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第3話:死体漁り(スカベンジャー)の流儀
「おい見ろよ、あいつ……」 「マジかよ、革鎧(レザー)一枚だぞ?」 「自殺志願者か? それとも頭がおかしくなっちまったのか」
王都の地下深くに広がる巨大迷宮「奈落の顎(アギト)」。 その入り口付近に設けられた待機エリアで、冒険者たちの囁き声が波紋のように広がっていた。 彼らの嘲笑と憐憫の視線の先にいるのは、一人の少年――レンだ。
装備は酷いものだった。 アンティークショップのワゴンセールで買った、ツギハギだらけの古びた革鎧。 腰に差しているのは剣ですらなく、長年の脂と血で黒ずんだ、肉屋の解体包丁が一丁のみ。
対する周囲の冒険者たちは、全身をフルプレートで固め、高価な守護の護符(タリスマン)をジャラジャラとぶら下げている。
この世界において、ダンジョンに入るということは「死」と同義だ。 全財産をはたいて万全の準備をし、ようやく生存率が数パーセント上がる。それが常識であり、礼儀ですらある。
(……見ろよ。どいつもこいつも、怯えた顔をしてやがる)
レンは周囲の嘲笑を無視し、冷めた目で冒険者たちを観察していた。 彼らの目は泳ぎ、顔色は悪い。
これから魔物に挑む戦士の顔ではない。屠殺場に引かれていく家畜の顔だ。
彼らは知っているのだ。どんなに鎧を着込もうが、魔物の前では紙切れ同然であることを。それでも彼らは挑まねばならない理由がある。多額の借金があったり、王国の勅令を受け断ることが出来なかったり、中には貴族たちの賭けで駆り出されたものもいるらしい。
『雷光の牙』のガインたちのような覚悟を持って挑むものはごく少数なのだ。そんなガインらがあっさり打ちのめされたという話を聞いてしまった今、人間が魔物に勝てるわけないという機運はより色濃くなっているのである。
だが、その中でも”勝算”をもって迷宮へ挑む冒険者もいる。
「……行くぞ。全員、『隠蔽(コンシール)』のスクロール準備!」 「了解。魔力充填……発動!」
一組のパーティが動き出した。 僧侶が詠唱すると、彼らの姿が陽炎のように揺らぎ、周囲の景色に溶け込んでいく。 完全に姿を消すわけではない。気配と音を殺し、視覚的に認識されにくくする魔法だ。
これが、この世界の人類にとって「勝算のある戦い方」だ。
魔物は強すぎる。レベル1のスライムですら、Aランク冒険者を溶かす脅威だ。まともに戦って勝てる確率は万に一つもない。 だから、戦わない。 透明になってコソコソと進み、魔物の寝床を避け、道端に落ちているドロップアイテムや、運良く発見した宝箱の中身だけを回収して逃げ帰る。 それが、誇り高き「冒険」の実態だ。
(情けない話だ。だが、責められはしない)
レンは彼らの消えゆく背中を見送る。 食物連鎖の最底辺である人類が生き残るには、ネズミのように振る舞うしかないのだから。
「ちょっと、そこの君」
不意に、凛とした声に呼び止められた。 レンが足を止めると、ギルドの制服に身を包んだ、受付嬢の女性が立っていた。 手にはクリップボードと、青く光る水晶玉を持っている。
「君、ゴズさんのところの『死体回収業者(スカベンジャー)』の子ね? レン君だったかしら」
「……はい、そうですけど」
レンが頷くと、受付嬢は眼鏡の奥の瞳を細め、事務的ながらも心配そうな表情を浮かべた。
「装備とステータスをチェックさせてもらえる? 最近、身の程知らずの初心者が事故死するケースが増えていてね」
「チェック?」
「隠蔽(コンシール)の魔法や、魔物の嗅覚を誤魔化す煙幕ポーション。そういう『確実に逃げるためのアイテム』をちゃんと持っているか見ておきたいの。あなたみたいな軽装じゃ、魔物と出くわした時点で戦うなんて選択肢はないんだから」
受付嬢はそう言うと、手にした水晶玉――簡易鑑定(ステータス・チェック)の魔道具をレンに向けようとした。
レンの背筋に冷たいものが走る。 もしここで、レンのレベルが『10』であることがバレたら? レベル1で死ぬのが常識の世界で、異常な数値だ。間違いなく騒ぎになる。
「結構です」
レンは素早く手で水晶玉を遮った。
「えっ?」
「遠慮しておきます。僕には必要ありません」
すると受付嬢はレンに向かって優しく微笑んだ。
「安心して。無料よ」
レンの強い拒絶を、金が払えないゆえの遠慮だと勘違いしたらしい。ミイアという名札を胸につけたその受付嬢は穏やかな声音で言葉を継いだ。
「ギルドの規定になっているの。あなたを鑑定したからと言ってもお金はもらわないわ。それに、もし煙幕ポーションを一つも持っていないなら譲ってあげる。いくら死体回収の仕事だからって、命綱なしで降りるなんて自殺行為よ」
スラムの孤児に対する、偽りない純粋な善意。だが、今のレンにとってその親切は死に直結する猛毒でしかない。ステータスを見られれば破滅だし、これ以上会話を長引かせればボロが出る。
「お気遣いありがとうございます、ミイアさん。でも、本当に大丈夫です。もったいないですし……逃げ隠れするのだけは、スラムで嫌ってほど慣れてますから」
レンが作り笑いを浮かべて頑なに首を振ると、ミイアは心配そうに眉を下げるしかなかった。
「わかった。でも、無理はしないでね。死体を拾いに行って、自分が死体になったら笑えないわよ」
「肝に銘じておきます」
レンは愛想笑いを浮かべ、逃げるようにダンジョンの暗闇へと足を踏み入れた。
死体回収業、スカベンジャー。 それは、冒険者が全滅した後に現場へ向かい、遺品や装備、そして「肉」を回収する仕事だ。 最も死亡率が高く、最も忌み嫌われる底辺職。 だが、今のレンにとっては最高の隠れ蓑だった。
(危なかった……。目立って良いことなんて一つもない)
レンは迷宮の前に立つ。
改めて見ると、迷宮の入り口は、巨大な獣が口を開けて獲物を待っているかのような、混沌とした異様な雰囲気を漂わせていた。
一歩足を踏み入れれば、空気は冷たく湿り気を帯び、血と腐敗、そしてむせ返るような魔力の匂いが鼻をつく。この深淵がどこまで続いているのか。100階層とも200階層とも噂されているが、正確に知る者はいない。
最深部にあるものについてもさまざまな噂が流されている。神をも殺す世にも恐ろしい魔王が眠っているとか、この理不尽な世界を根底から覆すような驚愕の真実が隠されているとか。学者や夢想家たちはあれこれ語るが、今のレンにとってはどうでもいいことだった。
(世界の秘密より、明日の飯だ)
極限の飢餓を経験したレンにとって、空腹を満たすこと以上に切実な真実はない。そして、そのためには金がいる。金を得るには、魔物を狩って死体を金貨に変える必要があるのだ。
ただそれだけのために。
レンは解体包丁の柄を握り直し、一切の迷いなく、深い闇が口を開ける迷宮の奥へと足を踏み入れた。
◇
迷宮に足を踏み入れてから一時間が経過した。
湿った石壁に囲まれた地下通路は、薄暗く、ひんやりとした空気が淀んでいる。しかし奇妙なことに、まだ一匹の魔物とも遭遇していなかった。
ギルドで立ち聞きした冒険者たちの噂話によれば、魔物の活動は月の満ち欠けや、迷宮の奥底から噴き出す魔力の周期に影響されるらしい。周期によっては浅い階層まで凶悪な魔物が溢れ返り、足の踏み場もないほどの死の罠となる日もあるという。
(……どうやら今日は、奴らが息を潜める『静かな日』らしいな)
ただの死体拾いであれば、これほど好都合な状況はない。だが、新鮮な獲物を狩り、自身の糧とするための「狩り場」を求めている今のレンにとっては、少々肩透かしに感じる静けさ。
そう思った瞬間だった。
「ギャアアアアアッ!!」
断末魔の悲鳴が轟いた。 近い。
レンは反射的に壁に張り付き、気配を殺して前進した。 角を曲がった先の広間で、凄惨な光景が展開されていた。
「嘘だろ……なんでだよ! まだ『隠蔽』の効果時間は残ってたはずだろ!?」
「魔力切れ(マナ・ドレイン)よ! この階層、大気中のマナが薄いのよ!」
「あああ、ああああああ!」
5人の冒険者パーティが、逃げ惑っていた。 彼らを追い詰めているのは、身長3メートルはある巨躯の怪物。 豚のような顔に、鋼鉄のような筋肉。手には巨大な戦斧を持っている。
オークだ。 ゴブリンが「災害」なら、オークは「絶望」そのもの。 その皮膚は鉄よりも硬く、その腕力は岩をも砕く。
「ひっ、あ、あが……ッ!」
逃げ遅れた戦士が、オークの裏拳で吹き飛ばされた。 壁に激突した瞬間、人体とは思えない嫌な音が響き、戦士はあえなく肉塊へと変わった。 即死だ。
「ト、トマス!?」 「見るな! 走れ!」
リーダーらしき男が叫ぶが、オークの動きは巨体に似合わず俊敏だった。 一足飛びで距離を詰めた先には、逃げる女性の僧侶。
「いやぁ! いやぁ!」
彼女は必死に迷宮の出口へと走ろうとするのだが、そんな彼女の背中をオークは戦斧でなぎ払う。 胴体が両断され、内臓がぶちまけられた。
(圧倒的だ……)
「逃げ切れない……ッ! やれ、魔法を放て!」
リーダーの悲壮な叫びに呼応し、もはや逃走は不可能だと悟った残りの三人が決死の反撃に打って出た。老齢の魔法使いが杖を掲げ、残る魔力を振り絞って不可視の風刃と紅蓮の火球を立て続けに撃ち放つ。
しかし、轟音と共にオークの巨体を包み込んだ爆炎が晴れると、そこには焦げ跡一つ負わず、ただ忌々しげに鼻を鳴らす怪物の姿があった。彼らの渾身の魔法は、オークの鋼のような皮膚と分厚い脂肪に阻まれ、まったく通用しなかったのだ。
「化け物、が……」
絶望に染まる暇すら与えられなかった。
オークが再び俊敏に跳躍する。横薙ぎの戦斧がリーダーの上半身を宙に舞わせ、続く剛腕の裏拳が剣士の頭蓋を無残に砕き割る。最後の一人も、伸びてきた丸太のような腕に首を掴まれ、ボキリという乾いた音と共に容易く命を散らされた。
あっけなく五つの命を刈り取ったオークは、最後に首を折った冒険者の亡骸を床へ放り投げると、巨大な足でその体を何度もぐちゃぐちゃに踏み躙り始めた。
血肉の感触と蹂躙を楽しむように「ブゴォ、ブゴォ」と下卑た笑い声のような鼻息を漏らしている。
勝利と加虐心に酔いしれ、完全に意識が足元の死体へと向いている。これ以上の隙はない。
(……油断している)
周囲への警戒を完全に解いた、完璧な死角(ブラインドサイド)。
レンは暗がりの中で解体包丁を逆手に構え、静かに、そして深く身を沈めた。
(今だ)
レンは影から飛び出した。 恐怖はない。あるのは獲物を狙う狩人の集中力のみ。
「シッ!」
レンはオークの背後へと一瞬で肉薄した。 狙うは首の隙間。 分厚い筋肉と骨の合間にある、わずかな急所。 ゴブリンを倒した時と同じ、一撃必殺の軌道。 【剣聖の太刀筋】が冴え渡る。
「死ねッ!」
渾身の力で、包丁を振り下ろした。
ガギィッ!!
硬質な金属音が、広間に響き渡った。
「……なっ!?」
レンの手首に、骨が軋むほどの強烈な痺れが走る。 刃はオークの首筋を捉えていた。正確無比な一撃だった。 だが、切れない。 オークの分厚い脂肪と、鋼のような皮膚が、刃こぼれした安物の包丁を弾き返したのだ。
(硬い……ッ!?)
レンは愕然とした。 技術(スキル)はあっても、それを支える基礎ステータス(腕力・武器の質)が足りない。 レベル10のレンの力では、オークという「絶望」の防御力を貫通できなかったのだ。
「ブモオオオオッ!!」
オークが振り返る。 怒りに充ちた豚の瞳が、背後をとった小賢しい羽虫――レンを捉えた。
「しまっ――」
ブンッ!
丸太のような腕が、視界を覆い尽くす。 回避する間もなかった。
「がハッ……!?」
レンの身体は枯れ葉のように吹き飛ばされた。 壁に叩きつけられ、肺の中の空気が強制的に排出される。 バキボキッという音と共に、肋骨が数本、確実に折れた。 口の中に鉄の味が広がる。
「かはっ、あ……ぐ……」
レンは地面に這いつくばり、激痛に顔を歪めた。 動けない。これが、種族というやつなのだろうか。レベル10程度では覆せない、絶対的な暴力をレンは目の当たりにする。
オークは動かなくなったレンに鼻を鳴らすと、興味を失ったのか、近くにいる別の獲物ーリーダーの男へと向き直った。 男は瓦礫の下敷きになり、下半身が潰されている。虫の息だ。 オークが戦斧をゆっくりと振り上げる。 あと数秒で、彼女はミンチになる。 そして次は、レンの番だ。
(死ぬのか? 俺は)
レンの視界が霞む。 せっかく「食べる」力を手に入れたのに。 まだ、何も成し遂げていないのに。 こんな、豚の餌になって終わるのか?
(嫌だ)
レンは血を吐きながら、地面を這った。 逃げるためではない。 オークに向かうためでもない。
彼の視線の先には、既に絶命している僧侶の上半身があった。
レンは這いずり、彼女の元へとたどり着く。驚いたことに彼女にはまだ意識があった。うつろな瞳をレンに向け、震える血まみれの手をレンに伸ばす。
「た、すけ……て……」
消え入りそうな声。 だがレンはその手を取らなかった。 代わりに、彼女の耳元でそっと囁く。
「……無駄にはしない」
それは謝罪ではなく、宣言だった。 次の瞬間、レンは少女の無防備な首筋に噛みついた。
グチュッ。
生々しい、熟れた果実を潰すような音だけが響く。
ズルッ、バクッ。ゴクン。
喉が鳴る音。 それは一瞬の出来事だった。 僧侶の手が力なく地面に落ちる。
《ピロンッ》
脳内にシステム音が響き渡る。
『冒険者を捕食しました』 『生体エネルギーを変換。HPが全回復しました』 『魔力回路(マナ・サーキット)を獲得。魔力のパスが通りました』 『スキル:【火炎弾(ファイア・バレット)】を継承しました』 『スキル:【詠唱破棄】を継承しました』
力が。 爆発的な熱量が、レンの腹の底から湧き上がる。 折れた肋骨が瞬時に繋がり、痛みが引いていく。 そして何より、体の中に新しい「血管」が通ったような感覚。 指先まで、熱い何かが巡っている。これが「魔力」か。
「ブモ?」
気配の変化に気づいたオークが、ゆっくりと振り返った。 そこには、先ほどまで虫の如く這いつくばっていた少年が、ゆらりと立ち上がっていた。
レンの口元は鮮血で濡れている。 その瞳は、オークよりもなお凶悪な、捕食者の光を帯びていた。
「物理が効かないなら……魔法(これ)だ」
レンは右手の解体包丁を持ち上げる。 ボロボロで、脂にまみれた、ただの鉄塊。 だが、そこにレンは新たに得た「魔力」を流し込んだ。
イメージするのは、全てを焼き尽くす紅蓮の炎。 僧侶の記憶が、スキルの使い道(マニュアル)を教えてくれる。
「【エンチャント・ファイア】」
ボッ……ゴォオオオオオッ!!
包丁が発火した。 ただ燃えているのではない。圧縮された魔力が刃の形となり、超高熱のプラズマを形成している。 それはもはや包丁ではない。炎の魔剣だ。
「ブヒッ!?」
オークが初めて後ずさる。 野生の本能が告げているのだ。目の前の存在が、自分より「上」であると。
レンが踏み込む。 今度は、オークの動きが止まって見えた。 【剣聖の太刀筋】による最適化された動きに、【火炎弾】の推進力を上乗せした超高速の突進。
一閃。
オークが戦斧でガードしようとするが、無駄だった。 炎の刃は、鋼鉄の柄ごとオークの胴体を薙ぎ払った。
ズバァアアアアンッ!!
肉が焼ける嫌な音と、香ばしい匂いが同時に広がる。 オークの上半身が、斜めにずり落ちた。 断面は高熱で炭化し、血の一滴も流れない。
「……ふぅ」
レンは炎を消し、残心をとる。 圧倒的だった。 魔法と剣技。二つの力を組み合わせることで、災害級の魔物すら一撃で屠れる。
(これが……『喰らう』ということか)
レンは足元に転がる、もはや原形をとどめていない僧侶の遺体(残骸)に視線を落とした。 罪悪感がないと言えば嘘になる。 だが、それ以上に強烈な「生の実感」があった。 彼女の命が、彼女が積み上げてきた研鑽が、今、レンの中で生きている。
「約束通り、無駄にはしなかったぞ」
レンは短く祈るように呟くと、すぐに「仕事」に取り掛かった。 オークの死体は極上の肉になる。 僧侶が持っていた杖も、金になる。 感傷に浸っている時間はない。血の匂いを嗅ぎつけて、次の魔物が来るかもしれないのだから。
レンは手早くオークを解体し、肉を袋に詰め込んだ。 そして、僧侶の杖と、彼女の遺品である小さな銀のブレスレットを懐にしまうと、闇の中へと消えていった。
◇
夕暮れの冒険者ギルド。 その重い扉を開け、レンが戻ってきた。 全身煤(すす)だらけ、鎧はボロボロ。だが、その肩には巨大な麻袋が担がれていた。
「おい、ありゃスカベンジャーのガキか?」 「生きて帰ってきたのか」
ざわめく冒険者たちの前で、レンはカウンターにドサリと袋を置いた。 中から転がり出たのは、美しく処理された巨大な肉塊と、一本の杖だった。
「報告します。……地下三層で、パーティの全滅現場に遭遇しました」
レンは演技がかった沈痛な面持ちで、受付嬢に告げた。 さきほどレンを心配してくれた彼女だ。
「魔物に食い荒らされた後でしたが、この杖と……魔物の死体が残っていました。肉は僕が処理して回収しました」
「こ、これは……ミスリルの杖!?」
受付嬢が目を見張る。 それは、レンが喰らった僧侶の愛用品だ。
「魔物は……おそらくオークかと思われます。同士討ちか何かで死んでいました」
「オークの死体を回収してきたのか!? あの重いのを!?」 「すげえ……危険地帯から遺品を持ち帰るなんて、命知らずにも程があるぞ」
周囲の視線が変わる。 侮蔑から、驚嘆へ。 魔物と戦わずとも、死地から生還し、成果を持ち帰る能力。それはこの世界では十分に「英雄的」な行為だった。
「遺品はギルドにお預けします。……ご家族に渡してあげてください」
レンは銀のブレスレットをそっとカウンターに置いた。 自分が彼女を「喰った」事実は墓場まで持っていく。その代償としての、せめてもの誠意だった。
「それは……ッ!」
背後から、悲鳴にも似た声が上がった。
振り返ると、初老の女性が冒険者たちの人だかりを掻き分けて飛び出してくるところだった。擦り切れた粗末な衣服をまとい、その顔には長年の苦労と深い疲労が刻み込まれている。彼女はカウンターに置かれた銀のブレスレットを見るなり、膝から崩れ落ちた。
「ああ、リナ……嘘でしょう、リナ……!」
女性――死んだ僧侶の母親は、血と泥に汚れたブレスレットを震える手で拾い上げ、すがるように胸に抱きしめた。
「あの子、私に楽をさせたいからって……止めるのも聞かずに、こんな危険な仕事を選んで……。このブレスレットは、あの子が初めて冒険者になるって決めた時、私がお守り代わりにあげたものなんです……っ」
ボロボロと大粒の涙をこぼし、母親は声を上げて嗚咽を漏らした。周囲の荒くれ者の冒険者たちでさえ、そのあまりにも悲痛な姿に言葉を失い、ギルド内に重苦しい沈黙が落ちる。
やがて、母親は涙に濡れた顔を上げ、すがりつくような目でレンを見た。
「あなたが……あの子の遺品を、あの暗くて冷たい場所から連れ帰ってくれたのですね。……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……っ」
床に額を擦りつけるようにして、深々と頭を下げる母親。
その痛切な感謝の言葉は、レンの鼓膜をひどく空虚に叩いた。
(……俺が、喰ったんだ)
娘の血肉は先ほど俺の胃袋に収まり、彼女が命を懸けて磨き上げた魔力は、今まさに俺の血管のなかで熱く脈打っている。母親が涙を流して感謝している相手こそが、娘の死体を物理的にゼロにした張本人なのだ。
だが、レンの顔には一切の感情が浮かばなかった。微かな罪悪感も、歪な優越感も表に出すことはない。ただ静かに、哀悼の意を示すように目を伏せるだけだった。
「ねえ……。あなた。一体、何者なの?」
受付嬢は、尊敬と驚きが入り混じった眼差しでレンを見ている。
レンは何も答えず、ギルドを後にした。
*
ゴズ精肉店の前には、長蛇の列ができていた。
「おい、まだかよ!」 「今日の分は売り切れだと!?」 「あの店の肉を食うと調子がいいんだ! 風邪も治ったし、肌もツヤツヤだ!」
噂が噂を呼び、ゴズの店は連日大盛況だった。
「へへへ、まいどありぃ!」
ゴズはカウンターで笑いが止まらない様子だ。 レンが裏口から戻ると、ゴズは揉み手をしながら駆け寄ってきた。
「おお、レン様! お待ちしておりました!」
態度は一変している。今やレンは、ゴズにとってのドル箱であり、同時に恐怖の対象だ。
「これ、今日の売り上げの取り分です! 金貨一枚、約束通りに!」
レンは差し出された金貨を受け取る。
翌日。王都の中心部、貴族や裕福な商人たちが集う大通りの一角にある小奇麗なレストランに、レンの姿はあった。 ゴズから受け取った金貨を使い、まずは身なりを一新したのだ。スラムの泥と血にまみれたボロ布は捨て、質の良い黒い革のジャケットと丈夫なブーツを身につけている。
髪も整え、顔の汚れを落とした今の彼を見て、元スラムの浮浪児だと見破る者は誰もいないだろう。
テーブルの上に運ばれてきたのは、焼きたての白パン、湯気を立てる濃厚なシチュー、そして香草で丁寧に焼き上げられた分厚い牛肉のステーキだった。
「……いただきます」
誰に聞かれるでもなく小さく呟き、レンはナイフとフォークを手にした。 久々に口にする「まともな食事」は、控えめに言って最高だった。外側がカリッと香ばしく、内側がふんわりとしたパン。口の中でとろけるような肉の旨味。塩とスパイスが適度に効いたスープの温かさが、五日間の絶食を経験した胃袋に優しく染み渡っていく。
(美味しい、美味しすぎる……)
ガインや僧侶の肉から得た、あの爆発的で暴力的な旨味とエネルギーの奔流とは違う。これは、心を人間側に繋ぎ止めてくれるような、穏やかで安心できる味だった。 食事を終え、食後の果実水を傾けながらレンは小さく息をつく。
(これから、どうするか)
当面の目的はすでに達成されている。飢え死にする心配はなくなり、ゴズという換金ルートも確保した。定期的に浅い階層で魔物を狩れば、毎日こんな食事にありつくことができる。温かいベッドで眠ることも、もう夢ではない。 今の時点でもう十分に満足だ、とレンは感じていた。
これ以上、危険を冒して深い階層に潜る理由などないはずだ。
(そう、適当に生きていけばいい)
満足感と微かな充足感を抱え、レンはレストランを後にした。 そのまま王都の中心部の大通りを抜け、ゴズの待つ精肉店へと帰ろうと雑踏の中を歩き出した。
その時だった。
「……ん?」
行列の中にいた一人の少女と、すれ違った。 白銀の長い髪。透き通るような青い瞳。 身に纏っているのは、一目で高級品とわかる純白の騎士服。 その凛とした佇まいは、雑多なスラム街の中で異彩を放っていた。
(綺麗な人だな……)
レンは何気なくそう思っただけだった。 だが、少女の方は違った。
すれ違いざま、少女がピタリと足を止めたのだ。
「……待って」
鈴を転がすような、しかし鋭い響きを持った声。 レンは足を止める。
「何か?」
振り返ると、少女はレンを凝視していた。 その青い瞳が、細められる。 彼女は鼻を小さくひくつかせた。
「あなた……」
少女が一歩、レンに近づく。 その顔には、困惑と、疑念と、そして微かな殺気が混じっていた。
「どうして、あなたから……お兄ちゃんの匂いがするの?」
「……え?」
レンの心臓が、早鐘を打った。 お兄ちゃん。匂い。なんのことだ?」
「私はエリザ。ガインの妹よ」
ガイン。『雷光の牙』のガインか!?
レンの脳裏に、初めて同族喰いをしてしまったあの男の顔が思い浮かぶ。ゴズの店に運び込まれた英雄。レンのレベルを10まで押し上げた男。『雷光の牙』のガイン。その顔は、確かに目の前の少女――エリザの顔と重なった。
「な、何のことでしょう。人違いでは?」
レンは努めて冷静に返した。 だが、エリザは引かない。彼女の手が、腰の細剣(レイピア)の柄にかかる。
「いいえ。間違えるはずがない。私はこの匂いをよく知っている。……兄の魔力の残り香」
エリザの瞳が、レンの奥底を見透かすように光った。
「あなた、お兄ちゃんと会ったの? ……いえ、それだけじゃない。もっと深い、何か」
(まずい)
レンは冷や汗が背中を伝うのを感じた。なんだこの鋭さは。特別なスキルを持っているのか、それとも兄弟の絆というやつだろうか。いやそんなことより今はこの場を誤魔化さなければならない。
「……僕はただの解体屋です。色々な死体を扱いますから、匂いが移ったのかもしれませんね」
レンはそう言い捨てると、逃げるように背を向けた。
「ねえ。待って!」
エリザの声が背後で響く。 レンは雑踏に紛れ込むように歩調を早める。 だが、その背中には、突き刺さるような鋭い視線がいつまでも張り付いていた。
(さて、どうする……?)
群衆の中に溶け込みながらレンは確信した。あの女は間違いなく自分に災いをもたらす。
先ほどのように誤魔化し続けるか、ゴズのように手中に置くか、それとも……兄と同じように自分の「糧」とするか。
屍喰らいの解体屋の日常は、まだ始まったばかりだった。
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