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白鴎婚礼祭の八日前。朝から港は、王都じゅうの荷が集まっているかのように騒がしかった。潮と魚と麻袋と、人の声。誓約局に届く羊皮紙や封蝋も、祭り前は多くがここを経由する。
アーダとヴォロジャは、腕に巻いた布の下で鎖を隠しながら、荷捌き場の木箱を一つずつ改めていた。前日の菓子箱の痕から、帳面の切れ端が一時的に運搬物へ紛れた可能性が出たからだ。
「こっちは空です」
「こっちは封蝋の予備だ」
箱の底を確かめていたアーダの指先に、紙の端が触れた。麻布を持ち上げると、木の隙間に薄茶の切れ端が挟まっている。彼女が慎重につまみ上げた、その瞬間だった。
ばさっ、と白い影が落ちる。
「え」
「かもめだ!」
一羽のかもめが見事な勢いで舞い降り、紙片を嘴でさらって飛び上がった。アーダは反射的に追いかける。だが隣のヴォロジャまで同じ方向へ踏み出したせいで、鎖が引き、二人そろって足をもつれさせた。
「待って、待ちなさい!」
「鳥は待たない!」
石畳の上を半ば引きずられるように走り、桶を避け、荷車の車輪をまたぎ、最後は洗濯物の下をくぐる。港の人々は最初こそ何事かと目を丸くしたが、すぐに笑い声を上げ始めた。
「おお、王宮の新しい余興か?」
「違います!」
息を切らしたアーダが否定しているあいだに、かもめは一軒の倉庫の屋根へ止まった。そこはナサン商会の印が掲げられた倉庫だった。
若い商会主ナサンは、騒ぎの理由を聞くと眉根を寄せたが、すぐ中へ通してくれた。倉庫の中では、配達見習いのミッシーが麻紐をくるくる指に巻きつけながら待っている。
「最近、へんなことが続いてるんです」
ミッシーはすぐに言った。
「封蝋も羊皮紙も、数だけなら合ってるんですよ。でも届く順番だけが時々おかしいんです。先に届くはずのないものが先に来たり、控えのないまま次の荷だけ来たり」
「帳尻だけ合わせた形跡か」
アーダがつぶやくと、ナサンがうなずく。
「祭り前で人手が足りない。止めれば全体が詰まる。だから現場が先回りして合わせたんだろう。だが、正規の記録を経ずに物だけ動けば、誰かがそこへ何かを紛れ込ませる余地ができる」
その時、屋根の上でかもめが甲高く鳴いた。ヴォロジャが外へ出て手をかざし、器用に視線を誘う。ミッシーが干物をひと切れ投げると、鳥はあっさり釣られた。呆れる間もなく、巣の近くから紙片が回収された。
アーダは広げた切れ端に息を呑む。
「白鴎婚礼祭・特別推薦名簿……」
そこには、本来なら貴族家の令嬢や功労家の娘しか載らない欄に、見慣れた自分の名が追記されていた。
「特別推薦名簿って何だ?」
ヴォロジャが尋ねる。
「王家主催の見合い舞踏会に、例外的に招く人物の一覧です」
アーダは乾いた喉で答えた。
「平民を入れることも、まれにあります。新制度の見本として、あるいは功績への褒賞として。ですが、私にはそんな理由は……」
紙片の端には、薄く欠けた白蝋の印が残っていた。王女付きの私印に似ている。見間違えようがないほど、見覚えのある欠け方だった。
ヴォロジャが紙片を覗き込み、視線を少し細める。
「誰かがお前を舞踏会に立たせようとした」
「何のために」
「それを探すんだろう、俺たちは」
その言い方は穏やかなのに、手首の鎖がわずかに震えた。風のせいではない。アーダは、彼が何か言いかけて飲み込んだのを感じた。
帰り道、港の高台から白い羽がひとつ落ちてきた。アーダの肩先にとまったそれを、ヴォロジャが摘み上げる。指先が布越しに触れ、彼女は思わず息を詰めた。
「どうした」
「なんでもありません」
そう答えた瞬間、鎖がきらりと細く光った。なんでもないはずがない、と言われた気がして、アーダはますます海の方を見られなくなった。