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十月十四日の夜、保管庫の床には延長コードと乾電池が散らばっていた。電子辞書の挙動がここ数日おかしいとジョンナが言い出し、皆で中身をもう一度洗うことになったのである。
「この古さでまだ何か隠してるの、根性ありますね」
エフチキアが感心する。
「持ち主が理屈っぽかったんでしょう」
ジョンナは小さな精密ドライバーを指で回した。
「褒めてるのか悪く言ってるのか分からない」
ドゥシャンが首をかしげる。
「両方です」
即答だった。
電子辞書のメモ欄には、すでにいくつもの単語が見つかっている。供花、土質、告白、避難経路、方言。脈絡がないようで、今となってはどれも町とつながっている。
今夜見つかったのは、その奥だった。
ジョンナが古い操作手順を試して、特定の記号入力のあとで画面を切り替えると、見慣れない一覧が出た。
《回遊案β》《放送補助》《夜間誘導》《降雨時切替》
「……祭りの台本じゃない」
オブラスが画面をのぞきこむ。
ジョンナはうなずき、最初の項目を開いた。
そこに出てきたのは、店を巡る順番の一覧だった。ただし、商品ではなく、坂の勾配、段差の数、屋根の有無、休憩可能人数まで書き込まれている。
次の画面には、広場から神社、神社から図書室、図書室から旅館裏へ抜ける複数の道と、それぞれの所要時間。さらに、雨天時は案内口上を変更し、高齢者を先に石畳の坂から外す指示まである。
保管庫の空気が一度静まった。
「これ……祭りの導線そのままで、避難路確認にもなる」
ハヤがつぶやく。
「そうです」
ジョンナの声も少しだけ低くなる。「笑って店を回るうちに、どこに屋根があって、どこに段差があって、どこなら集まれるか、町の人も客も自然に覚える仕組みです」
エルドウィンが腕を組んだ。
「ただの催しじゃなかったんだな」
「最初から、命を守る設計だった」
次のファイルには、旧放送小屋の使用想定が入っていた。祭り本番に使う語りの補助放送が、そのまま災害時の避難誘導へ切り替わるようになっている。真柄蒼司は、笑いの場と緊急時の場を、同じ線の上に置いていたのだ。
「だから事故の日も、あそこへ残ったのか」
ノイシュタットが言う。
誰もすぐには返せなかった。
画面の最後には、短いメモがあった。
《祭りは、名を呼ぶ練習でもある。非常時ほど、誰がどこにいるかを言える町でなければならない》
ドゥシャンがゆっくり息をのむ。
「守り神の話、そのままだ」
「伝承の方が、実務より先に残ったんでしょうね」
ジョンナが画面を見つめたまま言う。
ハヤは胸元の名札を指で押さえた。名を呼ばれるのが怖かった自分が、今こうしてここにいる。その怖さごと必要だったのかもしれない、と初めて思う。
名前は飾りではない。避難路と同じで、いざという時に人を見失わないための目印なのだ。
オブラスが静かに言う。
「これで、町議会に出す材料が一つ増えました」
「数字の横に置くには、強すぎる材料だな」
ノイシュタットが答える。
「だから余計な脚色をしないでください」
「分かってる。今夜は、いらない」
保管庫の裸電球の下で、古い電子辞書の小さな画面だけが、やけに強く光っていた。二十年前に止まった設計が、今の手の中で再び動き始めている。笑いながら回る道が、そのまま命綱になる町。真柄蒼司が最後まで守ろうとしたものの形が、ようやく見えた。