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その日の夜、急に降り出した雨は、古い瓦を細かく叩いた。離れの屋根は前から弱っている。雨漏りの場所を確かめるため、何人かが残ることになった。
残ったのは、啓介、芽生、鼓夏、義海、それから遅れて顔を出した遼征だった。美恵は帳場から乾いた雑巾を回し、享佑は「寝るなよ」とだけ言ってプリンではなく蒸しパンを置いていった。
「非常食の扱いが甘味屋すぎる」
義海が言う。
「ありがたく食べろ」
啓介が返す。
離れの中は、昼間よりずっと小さな音で満ちていた。雨粒、桶に落ちる水、古い柱の軋み。鼓夏が濡れた場所へ印をつけ、遼征が天井の位置を見上げる。芽生は記録用紙へ、落ちる場所と量を書き込んでいった。
「こうして見ると」
芽生が言う。
「残すって、きれいな気持ちだけじゃ無理ですね」
「今さら?」
啓介が笑う。
「今さらです。でも、こういう現実も含めて残したくなる場所なんだなって」
「それ、うれしい言い方するな」
義海は蒸しパンを半分にちぎりながら、早くも眠そうにしていた。
「俺、静かな雨だとすぐ寝そう」
「寝たら起こす」
鼓夏が言う。
「優しく」
「保証はしない」
雨足が少し弱くなったころ、鼓夏が縁側寄りの暗がりに座り、できかけの札を一枚ずつ読み始めた。声を張らず、子守歌みたいな間で読む。
こ 孤独の温度は、湯のみ一杯で変わる
き 君のためにできること
まだ完成していない札も、鼓夏の声に乗ると、先に息だけ宿る。
啓介は、向かい側で聞いている芽生を見た。昼よりもやわらかい顔をしている。雨音が間を埋めてくれるせいか、何も言わない沈黙が怖くない。
鼓夏が次の札へ移る少し前、室内の灯りが風で一度だけ揺れた。
その拍子に、啓介が置いていた手と、芽生が畳へ伸ばした手が、暗がりの中で触れた。
どちらも、すぐには引かなかった。
#海辺の町