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九月半ばの土曜、保管庫前の試験開催には、前より明らかに人が集まっていた。花屋の一輪包みを手にしたまま立ち話をする夫婦、焼き菓子の袋をぶら下げて笑う学生、地方紙の記事を見て坂を上ってきたらしい町外の客。朝風通りは、少しずつだが、自分の足で戻ってくる人の数を増やしていた。
その日の目玉は、どう考えても不安な名前の小企画だった。
《告白実況中継》
手書き札を見た瞬間、ハヤは本気で引き返しかけた。
「やっぱり駄目です」
受付脇で腕を組む。
「品がないです」
「品だけで町は温まらない」
ノイシュタットがのんきに返す。
「だったら別の温め方をしてください」
「あるよ。だが、今日はこれだ」
特設台と言っても、保管庫前に板を二枚渡しただけの簡易舞台である。エルドウィンがぐらつかないよう釘を足し、ハルミネが布をかけ、アンネロスが“最低限かわいげは必要”と小花柄の端布を結んだ。見た目だけはやけに本格的だ。
エフチキアが受付箱を抱えている。
「紙に名前と、相手と、言いたいことを書いてもらって、ドゥシャンさんが実況みたいに読むんです」
「なぜ一番口が軽い人に読む役を」
「声が通るから」
それは利点でもあり、最大の欠点でもあった。
開始の鐘代わりに、ドゥシャンが空き缶を鳴らした。
「さあ始まりました、朝風通り初の心臓に悪い催し!」
「最初の一言がもう駄目です」
ジョンナが額を押さえる。
最初の二件は、意外なほど平和だった。
一件目は、小学生が祖母へ“いつも唐揚げをありがとうございます”と読み上げてもらうだけの、ほとんど感謝状だった。会場が和み、祖母が照れくさそうに笑う。
二件目は、旅館の若旦那が帳場係の妻へ“今夜のまかないを薄味にしてほしい”と頼むだけで、これも客席が笑って終わる。
「案外、大丈夫かもしれませんね」
ハヤが言いかけた、その三件目だった。
ドゥシャンが応募用紙を掲げ、張り切って読み上げる。
「えー、本日の本命! “おれは十年前から、さえこさん一筋です!”」
会場の端で、二人の女が同時に振り向いた。
「え」
「は?」
片方は魚屋の妻、もう片方は豆腐店の娘だった。どちらも朝風通りで“さえこさん”と呼ばれている。応募者の男は青ざめ、立ち上がりかけて、また座った。
「ドゥシャンさん、苗字は」
ハヤが低く言う。
「書いてない!」
「確認してから読んでください!」
会場がざわつく。ノイシュタットが舞台へ飛び上がり、場を収めようとする。
「皆さん落ち着いて。恋はしばしば同名の危険を孕む」
「何を言ってるんですか!」
魚屋の妻が腕を組んだ。
「うちの人なら帰ったら締めるわよ」
豆腐店の娘は耳まで赤くしている。
「私じゃないなら私じゃないで恥ずかしいんだけど!」
そこでようやく、応募者の男が震える手を上げた。
「ま、豆腐店の……佐江子さん、です」
会場が一拍置いて、どっと笑った。
魚屋の妻は豪快に笑い飛ばし、豆腐店の娘は顔を隠し、男はその場で縮む。最悪の事故である。けれど、完全な破滅にはならなかった。
むしろ、そのあとが妙だった。
豆腐店の娘が、隠していた顔の隙間から言う。
「十年前からって、何」
男は観念したように頭を下げた。
「町内会の餅つきの時からです」
「早く言いなさいよ」
「怖かったんだよ」
周りがまた笑う。
誰かが手を叩き、アンネロスが「豆腐買って帰るから続きはあとでやりなさい」と叫ぶ。混乱のわりに、客は帰らない。むしろ前へ寄ってくる。
その流れで、長年口をきいていなかった兄妹が、応募用紙なしでその場で言い合いを始めた。言い合いと言っても、中身は「あの時の金魚鉢は自分が割った」「いや先に謝るべきはそっちだ」という古い話だ。笑いながら聞いているうちに、最後は二人とも肩の力を抜いた。
ノイシュタットが、騒ぎの端で満足そうに呟く。
「ほら。多少の事故は、関係を動かす」
「多少じゃありません」
ハヤは呆れた。
けれど、目の前でほどけていく人たちを見ると、完全に否定もできない。
企画が終わる頃には、保管庫前の笑い声が通りの奥まで伸びていた。焼き菓子は売れ、花屋にも“仲直り用に明るい花を”という注文が二件入る。
ドゥシャンは舞台袖で頭を抱えていた。
「俺、やっぱり司会向いてないかも」
「今さら気づいたんですか」
ハヤが言う。
「でも……豆腐店の人、最後は笑ってたな」
その一言に、ハヤは言葉を失った。
事故は確かに起きた。けれど、そのせいで止まっていた何かが動いたのも本当だ。
笑いのあと、保管庫の裏手へ回ると、夕方の光が板壁を長く照らしていた。そこに、見慣れない古い杭が一本、半ば土へ埋もれている。先端にかすれた文字があった。
M―。
全部は読めない。それでも、鍵の刻印に似ていると分かる程度には残っていた。
ハヤはしゃがみ込み、その文字を見つめた。
祭りの騒ぎの裏で、別の扉がまた少しだけ、こちらを見ている気がした。