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#勧善懲悪
#勧善懲悪
翌日の夕方、キオノフの飲み物屋には、普段より多くの人がいた。といっても、行列ができるほどではない。けれど空いていた椅子が埋まり、窓際に子どもたちが座り、店の前で足を止める人が増えていた。
理由は単純だった。
キオノフが、ひとりひとりに、きちんと礼を言うからだ。
「来てくれてありがとう」
「昨日のこと、見ててくれてありがとう」
「噂をうのみにしないでくれてありがとう」
それを聞いていた年配の女性が、紙袋を差し出した。
「うちの店の焼き菓子、置いてみない?」
「え、いいんですか」
「いいの。助かったお礼」
隣の花屋も、小さな一輪挿しを置いていった。ローレリーズの洋菓子店からは、お試し用の小さな焼き菓子が届く。店の空気が、少しずつ温かくなる。
サペはカウンターのねじのゆるみを直しながら、その様子を見ていた。
「礼ばっか言ってると、疲れないか」
思わず聞くと、キオノフは首をかしげた。
「言わない方が、疲れるよ」
エリアが笑う。
「この人、そういうとこ強いよね」
「強いというより、癖かな」
キオノフは紙コップへ湯気の立つ飲み物を注いだ。
「ありがとうって言うと、自分も少しだけ助かる」
その時、店の外で声がした。
「ここ、個人情報流すんでしょ」
わざと大きく言う若い男に、周囲の視線が集まる。
キオノフは一瞬だけ黙った。けれど逃げなかった。
「うちは流しません。悩みを聞いたことはあります。でも、売ったことはありません」
サペが店の外へ出ると、男は少したじろいだ。さらにズジが手帳を持って現れた。
「今の発言、どこで聞きました?」
「べ、別に」
「誰から?」
「……知らない」
男は逃げるように去っていく。
ズジは小さく息を吐いた。
「噂って、こうやって増やすんだね」
「でも、今日は消えた」
エリアが店内を見回す。
キオノフの店には、まだ人が残っていた。
ありがとう、が先に残ったからだ。
サペはその光景を見て思った。
黒い名刺が人の弱みで穴を開けるなら、こっちは別のもので埋められる。
たぶん、礼とか、手とか、顔を見て言う言葉とか。
その時、スレンが入口のドアベルを鳴らして入ってきた。
「噂の出どころ、絞れそう」
その声で、店の空気がまた引き締まった。