テラーノベル
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すでに生徒たちは席に着く気などなく、スマホを片手に笑い合っていた。動画。囁き。軽い罵倒。
空気はどこまでも軽く、どこまでも乾いている。
その中央で、遥が“準備”を始めていた。
遥は机をまたいで移動し、教室の後方へ。
椅子に座っていた男子の前に、膝をつく。
「ねぇ、“命令して”くれないと困るんだけど?」
わざと甘えた口調。
「オレ、頭よくないからさぁ。言われないと、どこまでやればいいかわかんなくて……。……ね、“どうしてほしいの”?」
笑いが爆発する。
カメラを向けた女子が叫ぶ。
「はっず、何あれ。言わせてんじゃん完全に!」
「え、赤くなってない? ほら、言ってあげなって!」
男子は調子に乗って遥の頬を軽く叩く。
パン、という乾いた音。
遥はすぐに笑った。
「……うわ、ちゃんと“叩いて”くれるんだ。……えらいね」
そしてすぐ、今度は自分から手を伸ばして男子の制服の裾を掴んだ。
「じゃあ……オレから、“お願い”していい? ほら、“ちゃんとできる奴”って、好かれるじゃん」
舌を出すような口調。
けれど、目は笑っていなかった。
ただ、冷たく見下すような斜めの視線を投げていた。
「……どうせ、“されるのが好きな変態”とか思ってんでしょ? だから、わざとやってるって決めつけた方が、おまえらも“気が楽”だよね」
誰かが「うわ、性格わっる……」とつぶやく。
でも、笑いは止まらない。
遥はそのまま男子の足元にしゃがみ、靴を指で叩いた。
「これ、舐めろって言ったら、ちゃんと命令してね。勝手にやっちゃうと、“やりたかっただけでしょ”って誤解されちゃうから」
完全な“道具”のふり。
でも、その口調にはわずかに棘がある。
「お前らが言わせてんだろ?」という苛烈な皮肉が、奥でじわじわと滲んでいた。
──だが、誰も気づかない。
クラスメイトはただ笑い、スマホのシャッター音が連続して響く。
遥の唇が、ふっと歪む。
わずかに引きつった、笑いきれない笑み。
──演技が、剥がれかけた。
だが、彼はすぐにそれを取り戻し、頭を垂れたまま続けた。
「……ほら、いつでも“命令”して。オレ、“される”の、慣れてるから。……どうされるか、予想もつくし。期待もしてるし?」
その声音の裏にあるもの──
日下部だけが、気づいていた。
(違う……“楽しんでる”んじゃない。楽しんでるように“見せて”、支配してる)
遥は今、自ら“差し出している”ように見せながら、
逆にクラス全体を“操っている”。
命令させて、しゃがませて、喋らせて、“お前らも共犯だよ”と、突きつけている。
そのくせに、すべてを“冗談”で済ませられるように笑う。
「ねえ、こっち見てるだけじゃつまんないでしょ? ほら、“言葉にして”くんないと、……ほら、興奮しないんでしょ?」
拍手と爆笑。
馬鹿にしたような声。
叩かれた音。
誰かが蹴りを入れた。
遥は痛みで眉をしかめ──それすら、笑いに変えた。
そしてその目だけが、演技ではなかった。
その目が言っていた。
──「これは、“お前らのせい”だよ」
教室は鳴り響いていた。
声と音と笑いの狂騒の中に、チャイムが沈み込んだ。
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