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「セキニン?」
タオルケットを軽く巻き付けただけの椿がベッドに額をつけて土下座している。
甘い夜を過ごした二人とは思えない場面。
タオルケットが身体から浮いて、胸の谷間がチラリと見えた。
昨夜、夢中で食らいついた痕も見える。
「ぶっ、部長の輝かしい経歴に傷をつけてしまいましたこと、心からお詫びいたします」
「ケイレキ……って?」
「それは――」
「――あ、顔上げようか」
放っておいたら何時間でも土下座していそうだと思った。
「え? あ、はい」
「で、責任て? 具体的には?」
「はっ、はいっ!」
「男女の仲で責任と言えば――」
「――かっ、身体で! 身体で償わせていただきます!!」
「カラダ……?」
「はいっ! 本来であれば慰謝料として金銭をお支払いせねばならないことは重々承知しておりますが、ご存じの通り、私には借金がございまして、そちらが完済しないことにはにっちもさっちも立ちゆきません。そうしますと、私が差し出せるものはこの身体だけです。幸い、健康と頑丈さには自信があります。是非とも――」
「――身体、くれるの?」
表現には問題があるが、要するに椿が俺のものになると捉えた俺は、思わず頬が緩んだ。
「はいっ! 不肖柳田椿、誠心誠意お仕えいたします!!」
「オツカエ?」
思わずため息をつきそうになり、小首をかしげて誤魔化す。
いい加減、椿の言葉に俺が期待する色っぽさはないと学んでいるはずなのに、つい期待してしまった。
「はい! 今、この瞬間から、私のことは奴隷だとでも思って、何なりとお申し付けください」
「何なりと……って?」
「はい! 家事全般はもちろんのこと、マッサージや性欲処理など――」
「――せっ! いよく処理って――」
「――はい! 手技、口技、足技などお好みの技を習得いたしまして、ご満足いただけるよう――」
「――ストップ!」
咄嗟に手が出た。彼女の口を覆う。
そして、今度は誤魔化さずに盛大にため息をついた。
一緒に暮らし始めた時も、俺にはセフレが何人もいそうだとか言っていた。
椿にとっては、『いい男には寄ってくる女も多いだろう』という程度の考えなのだろうが、わかっていても面白くはない。
「きみは俺をどんな男だと思っているんだか……」
俺の気も知らないで――!
椿の口から手を離すと、代わりに唇で口を塞いだ。
細い腰を抱き寄せた時、彼女の身体を包んでいたタオルケットを剥ぎ取った。
柔らかな胸が俺の胸に押し付けられる。
それだけでもう、身体が疼く。
「お望み通り、身体で償ってもらうよ」
唇が触れるか触れないかの距離でそう言うと、にっこり微笑んだ。
「ひょ――」
「――好きだよ、椿」
「え――?」
碧い瞳を大きく見開く。
「きみが、好きだ」
昨夜、何度も言ったのに、まるで今初めて聞いたような反応だ。
覚えていないだろうことは想定していたから、敢えて言ったのだが。
「きみの弱みにつけ込んで一緒に暮らし始めたり、酔ったきみを抱いたり、卑怯なことはわかってる。だけど、それは、欲求不満だったわけでも、からかったわけでもない。全部、椿が好きだからしたことだ」
倫太朗が言っていた。
椿は、信じたいことほど信じない、信じて裏切られることを恐れている、と。
そして、それには深い理由があるとも。
ならば、信じてもらえるように、言葉や態度で示していくしかない。
思い込みの激しい椿には、ストレート且つ簡潔にわかりやすく伝えるのは、基本中の基本だ。
「俺は、きみを女性として好きなんだ。恋人になって欲しい」
「…………」
一世一代の真剣な愛の告白。
俺は、じっと椿の瞳を見つめて、返事を待つ。
否定的な言葉なら、キスで塞いでなかったことにしてしまうつもりでいた。
が、椿の唇は微かに震えるだけで、一向に言葉を発しない。
瞬きすらしない。
「椿……?」
「――――っ」
見る見る間に顔が真っ赤になる。
そして、その赤さは、恥ずかしくて頬を染めているわけではないとすぐにわかった。
「椿!?」
「はっ――、は――」
口をパクパクさせ、今度は世界記録に挑戦でもするかのような高速で瞬きを始めた。
「ちょ――、椿!? 落ち着こう! い、息して!」
パニックのあまり、呼吸を忘れたらしい。
いや、過呼吸か。
とにかく、俺は大きく息を吸い込むと、椿の口を開かせ、思いっきり息を注いだ。
キス、なんて色っぽいもんじゃない。
人命救助だ。
何度か繰り返していると、背中をバシバシ叩かれていること気が付いた。
身体を離して彼女の顔を覗き込むと、涙を流しながら口呼吸をしていた。
肩や胸を上下させ、苦しそう。
「大丈夫か!?」
はぁはぁ、と苦しそうに呼吸を繰り返しながら、椿がこくこくと頷く。
「す……すみませ――」
「――喋るな」
俺は椿の背中を擦る。
白くてすべすべの肌を、何度も。
数分で、椿は平静を取り戻した。
「すみません」と、肩を落とす。
「いや、大丈夫か? 病院に行くか?」と、俺は彼女の身体を包むように、タオルケットを巻いた。
自分も、ベッド下のスウェットと拾い上げて着る。
「いえ、大丈夫です」
「前にもこういうことがあったのか? 持病があるとか?」
「いえ! 初めてですし、持病なんてありません。ただ――」
「――ただ?」
「げ、幻聴が聞こえたような気がして、呼吸を止めて耳を澄ましていました」
「は――!?」
「耳がおかしいのか、頭がおかしいのか判断がつかず、パニックになってしまいました」
「…………」
今度は俺が目を丸くした。
俺こそ、耳がおかしくなったのかとすら思える。
誰が思うだろう。
自分の愛の告白に、呼吸すら忘れるほど驚かれるとは。
自分の愛の告白が、愛する人の呼吸をも止めてしまうとは。
そう考えると、笑えてきた。
「ふっ――。くっ……、くくっ――」
「彪さん?」
今度は椿が、何事かと首を傾げる。
「は……っははっ!」
堪らず、声を上げてしまう。
「あははははっ! ご、ごめん」
「彪さん?」
俺はタオルケットごと椿を抱き締める。
「好きだよ、椿。きみの耳も頭も正常だ。あっ! もう息を止めちゃダメだよ」
本当に、椿はどれほど予想の上を行くのだろう。
一緒にいて、こんなに楽しい女性も、驚かされる女性も、きっとこの先の人生で二度と現れないだろう。
現れてたまるか。
「手技も口技も足技も必要ないから、俺を好きになって欲しい」
心の底から、そう思った。
「その為なら、俺はどんなことだってするよ」
「どんなこと……って」
かろうじて聞き取れる呟きに、俺はようやく彼女を解放した。
「とりあえず、約束通り椿の誕生日を祝おう」
放心状態の彼女を風呂に入れ、俺は台所に立った。
目玉焼きとウインナーを焼き、トーストとヨーグルトをテーブルに並べた。
コーヒーを淹れた時、椿が顔を出した。
「すっ、すみません! 彪さんにこんなことをさせてしまって!」と、椿が頭を下げる。
「椿ほど手の込んだものじゃないよ」
「後は私が――」
「――もう終わったよ。ほら、食べよう」
「ありがとうございます」
俺は恐縮する椿の肩を押し、椅子に座らせた。
それから、石鹸の香りのする首筋にキスを落とす。
「ひょぇっ!」
椿が肩を竦ませて奇声を発した。
「な――、な、なにを――」
「――ん? いい香りとすべすべの肌にキスを」と言いながら、キスした場所を指でなぞる。
「さ! 食べよう」
こんな言動、俺らしくない。
これまで付き合いがあった女たちが見たら、鳥肌を立てて後退るだろう。
都合の良い時に食事をして、ホテルに泊まる。休日にデートもしたが、互いの家に行き来はしなかった。
俺は自分の領域に他人を入れたくなかったし、だから、他人の領域に自分を入れて欲しいとも思わなかった。
なのに、椿は違う。
最初から、彼女にとって自分が恋愛対象ではなかったからかもしれない。
なんせ、『拝ませてください』だからなぁ。
人の気持ちとは不思議なものだ。
「あの……」
コーヒーを一口飲んで、椿が遠慮がちに口を開いた。
「ん?」
「今日は、どこへ行くのでしょう」
「ああ。買い物と食事は決めてるんだけど、どっか行きたいところ、ある?」
「いえっ! ありません」
「そう? 椿の誕生日祝いなんだから、椿の望みは叶えるよ?」
「はぁ……」と、椿は気落ちしたように息を吐いた。
椿の言動が俺の予想をことごとく裏切ってくれるのには慣れてきたが、この反応の理由はわからない。
ん? そう言えば……。
昨夜、倫太朗が言っていたことを思い出す。
『食事に行くのにどんな格好をしたらいいんだろうとか話してました』
それか?
「なぁ、椿?」
「はい」
「特に希望がなければ、今日は全部俺に任せてくれるか?」
「え? ……はい」
「よし。じゃあ、まずは椿のスーツを買いに行こう。会社で着るの」
「え? あ! いえっ! それは結構です!」
歯切れの良い完全拒否を即答され、驚き半分、ショック半分。
「昨日、倫――幼馴染に買ってもらったんです。誕生日プレゼントに。二着買ってもらったので、十分――」
「――それ、いつもの下着付けてサイズ合わせなかった?」
「へっ!?」
「ダメ。あんな胸が締め付けられる下着付けて着れるスーツなんて、なんの拷問だよ。返品しろ」
「えぇっ!? 無理ですよ。もうお願いしちゃいました」
「お願い? オーダーなのか?」
「セミオーダーです」
「ちっ! さすが朱月堂の御曹司」
心の呟きが、思わず声になる。
「俺から連絡しとく」と、テーブルの上のスマホをタップする。
「え? 彪さん、倫太朗のこと知ってるんですか?」
「ん? ああ、昨日、椿を送って来た時に少し話したんだ。連絡先の交換もした」
俺の言葉にハッとして、椿はまた肩を落とす。
「すみません。勝手に倫太朗を連れて来てしまって」
「いや? 丁寧に挨拶してくれたぞ? 椿ちゃんをよろしく、って」
「そんなっ! よろしくされるようなことは――」
「――任せろって言っといた」
それだけ言って、俺は倫太朗の番号に発信し、スマホを耳に当てた。
心配そうに見つめる椿に、早く食べろと身振りで伝え、寝惚けた声で出た倫太朗に、昨日のスーツをキャンセルできるかと聞いた。
倫太朗は自分からのプレゼントだからと譲らず、結局、サイズの変更に行くからと連絡を入れておいてもらうことにした。
まずは下着から。
椿には、いつも仕事で着ているスーツを着るように言った。
買ったものを持ち帰れるように、車で出ることにした。
椿は、どこに連れて行かれるのだろうと緊張の表情でシートベルトを握っていて、可愛かった。