雨のにおいが、まだ窓の向こうに残っていた。夜の静けさはいつもより深く、音もなく遥の部屋を満たしていた。
日下部が去って、静かになったはずの空間。
でも遥の胸の奥は、焼けつくようにざわついていた。
──なんで、あんなこと言った。
──なんで、あんな顔、見せた。
──どうして、期待した。
喉の奥がぎゅうっと絞られる。
息が吸えない。吸いたくない。
このまま、何もかも閉じ込めて、死ぬみたいに黙っていられたらどんなに楽か。
けど──
「あぁああああああああッ!」
声にならない叫びが、喉からこぼれた。
拳が壁にぶつかる。もう片方の手は、震えながら髪を引きむしっている。
息も、鼓動も、感情も、全てが壊れかけたガラスみたいに、身体の内側で軋んでいた。
「なにが、“触れたい”だよ……」
「なにが、“知りたい”だよ……」
「……誰も、知らないくせに」
「どんなふうに壊されたかも、どうやって耐えたかも、全部……知らないくせに……っ」
床に膝をつき、額を押さえながら、遥は震え続けた。
泣いてるわけじゃない。
ただ、止まらなかった。
言葉が、吐息が、手のひらが、全てがもう──限界だった。
「……俺は、ただ……誰にも、見られたくなかっただけなのに」
「“助けて”って言ったら、また壊されるの、わかってたのに……」
「……それでも、おまえにだけは……」
そこで言葉が途切れた。
ドアの外、誰かの気配がした。
一瞬で、遥の顔から血の気が引く。
そして、聞こえたのは──蓮司の声だった。
「……何、叫んでんの。俺、心配して見に来てやったのに」
その声は、やけに優しくて、でも底のない嘲りが滲んでいた。
遥は、ゆっくりと立ち上がる。
震える足を引きずりながら、ドアへ向かう。
顔を上げたその表情は、もはや“我慢”ではなく、“戦う”ためのものになっていた。
「おまえに……心配されたくて、壊れてんじゃねぇよ」
声が低く、芯から濁っていた。
それは遥が今まで、蓮司にも日下部にも見せたことのない、“怒り”だった。
そしてそれは、これから始まる対峙の──始まりにすぎなかった。