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だが、お礼の内容はともかく、深夜に女性を一人歩きさせるのは男として知らん振りは出来ない。ならば、彼女のアパートまで言って、部屋には上がらず、自販機で十本ほど買って渡すのはどうだろう。

そうだ。

それがいい。

俺は考えをまとめ、笑顔を整えた。

「じゃあ、行こうか」

柳田さんの表情がぱあっと明るくなる。

「はい!」

道中、何を要求されるのか考えて、気の利いた会話も出来なかった。

とはいえ、たかだか十分。

隣り合う居酒屋とバーを過ぎて路地に入ると、一気に街灯の明かりが減る。そして、二百メートルほど先に自販機の明かりが見えた。

「ここです」

「ホントに近いね」

「はい。通勤時間、徒歩十分です」

「けど、治安が良さそうには見えないね」

「そうですね。ですが、十年近くここに住んでいますが事件に巻き込まれたことはありませんので」


巻き込まれてからでは遅いのでは?


ともかく、彼女を送り届けた。

俺は自販機の前に立ち、財布を取り出した。

「何が好き?」

「え?」

「飲み物。お礼に――」

「――拝ませてください!」

パンッと目の覚めるような弾ける音に、顔を向ける。

彼女が顔の前で両掌をくっつけている。

「おが……む?」

「はいっ! 是枝部長にあやかって、精進できるように拝ませてください」

そのまま腰を折ると、既に拝まれているも同然。

念仏でも唱えられたら、縁起が悪いことこの上ない。

じわっと背中に汗が滲む。

「ご利益……あるかなぁ?」

「気の持ちようです!」

力強く断言されると、なんだかそんな気がしてくる。

「お礼になる?」

「はい! とてもありがたいですから」

「そう……?」

「はい」

「じゃあ……どうぞ」

何となく背筋を伸ばすと、彼女も腰を伸ばした。両手は変わらず顔の前でくっついている。

「是枝部長のように仕事に邁進できますように!」

目を瞑って、パンッと一拍手。

「是枝部長のように大成できますように!!」

二拍手。

「是枝部長のような男性とご縁がありますように!!!」

三拍手。

深く頭を下げる彼女の顔は、真剣そのもの。

頭を上げ、目を開く。

「ありがとうございました」

嬉しそうににっこり笑う。

対照的に、俺は不気味な苦笑いを浮かべていた。

「プレッシャー半端ないんだけど」

「え?」

「俺、そんな出来た男じゃないよ?」

人前では隙のないように振舞っているし、実際に完璧だと思われて好意を持たれることもある。が、彼女から感じる圧は、恋愛感情のそれとは違う。

「努力失くして願いを叶えようとは思いません。ただ、爪の垢を煎じる代わりに拝ませていただきたかっただけなのです」

「爪の垢って……」

今時の二十代女性とは思えない発言の数々に、俺の顔は引きつるばかり。

ただ、彼女の眼鏡越しの瞳もまた、今時の二十代女性らしからぬ、なんというか、純粋な希望に満ちた輝きを放っていた。

「最後のだけど……」

「はい?」

「俺みたいな男と縁がありますように、って」

「はい」

「俺との縁は望まないの?」

「滅相もない! そこまで身の程知らずなお願いはしません。私はただ、是枝部長のように勤勉で、優しくて、紳士的な男性とご縁があったらと思うだけです」

思いっきり両手をブンブンと左右に振られて否定されると、それはそれで傷つく自分がいる。

彼女の俺を見る目は、なんというか、若い演歌歌手にうちわを振るおばさま方の眼差しに似ている気がする。

柳田さんは再び顔の前で手を合わせると、目を閉じて礼をした。長い三つ編みが揺れる。

「残業後のお疲れのところ、わざわざ送っていただきましてありがとうございます」

なんだろう。

テレビで見た寺の修行を思い出す。

なんだっけ。

あの、棒で肩を叩かれて礼をするやつ。

自販機がジジジッと不快な電子音を発し、僅かに照明が揺れた。

それを見て、俺は手に財布を持ったままだと思い出した。

「あ、ジュース」

「はい?」

「俺にご利益なんてないだろうから、せめてジュースの一本くらい受け取って?」

財布から百円玉を二枚出し、自販機に差し込む。

「何がいい?」

「……では、コーラを」

「ん」

五百ミリのコーラのボタンを押し、ガコンッと音をたてて落ちてきたペットボトルを取り出して彼女に差し出す。

彼女は即座にキャップを捻って、口をつけると、豪快に上を向いた。腰に手を当てて。

ギョッとして眺めていると、三口くらい飲んだ彼女が「プハッ」と音をたてて息を吐いた。

「美味しいです。ありがとうございます!」

顔をくしゃくしゃにして笑った。

つられて、俺も笑う。

「はははっ! そんなに美味そうにコーラを飲む子、初めて見た」

「えっ!? そうですか? 外はまだ暑いですし、部長とご一緒して少し緊張していましたので、冷たい炭酸が五臓六腑に染み渡るというか――」

「――あっ、ははっ! 五臓六腑って……」

自分でも驚くほどツボにハマり、深夜なのも忘れて腹を抱えて声を上げてしまう。

「やべぇ、俺も飲みてぇ」

腹を抱えたまま、コーラを買う。

冷えたペットボトルのキャップを外し、大小の水泡が浮き上がる黒い液体を喉に流し込んだ。

半分ほど飲み干して、酸素を取り込む。

「マジで、美味いな」

大通りから派手なクラクションが鳴り響き、俺たちは通りに目を向けた。

なにやら、騒がしい。

「喧嘩か?」

「あ、よくあるんです。居酒屋とかホストクラブとかキャバクラとか並んでるので、酔っ払って喧嘩する人が多くて」

「マジで? そんなとこに住んでて大丈夫なの?」

「大丈夫です。もう十年近く住んでいますし。徒歩通勤できますし、家賃もお安いので」

お礼に何をねだられるのかに気を取られてよく見ていなかったが、自販機の奥のアパートは昭和の映画に出てきそうな木造二階建てで、最近ではあまり見かけない外階段。クーラーなんてついていないのだろう。明かりのついている二部屋は窓が開いている。俺の笑い声も聞こえていたに違いない。

そして、もう一つ。

柳田さんは帰り道から二度、このアパートには十年近く住んでいると言った。彼女は今年二十八歳と言っていたが、十八歳くらいからこのアパートに住んでいるのだろうか?

「どうかしましたか?」

「あ、いや。今日はありがとう。おやすみ」

「おやすみなさい」と、彼女はもう一度頭を下げた。

「あ、帰り道――」

「――大丈夫。大通りに出たらタクシー拾うから」

「そうですか」

「さ、部屋に入って」

「え、でも――」

「――女性に見送られるの、好きじゃないんだ」

おかしなことを言っただろうか。

柳田さんはフイッと顔を背けると、軽くペコッと頭を下げて、階段を駆け上がって行く。

彼女が家に入ったのを見届けて、俺はアパートに背を向けた。

何十メートルか先はネオンが煌々としているのに、路地一本でその明かりが届かなくなる。

「やんっ!」

猫の泣き声のようにも聞こえる女の甲高い声に振り返ったが、誰もいない。

「あっ! そこぉ」

「好きだろ? ここ」

「うんっ、すきぃ」

間違えようのない、真っ最中の男女の声。

アパートの一階、ちょうど柳田さんの下の部屋の窓が開いていて、カーテンがなびいているのがわかる。

恐らく、声はそこからだ。

もう一室、窓が開いていた部屋は、いつの間にか閉まっていた。

「なんつーアパートだよ」

思わず呟いて、俺はコーラを片手に大通りに足を進めた。

彼女の言った通り、キャバクラの前に数人の人だかりが出来ていた。

パトカーのサイレンが近づいてくる。

俺は騒ぎを尻目に、反対方向に歩いた。

いくら職場が近くても、若い女が一人暮らしをするには危険が多い場所だろう。

まして、窓を開け放ってセックスするような住人がいるなど、不快でしかないはず。

そもそも、清掃員とはいえうちの会社の給料ならばもう少し条件のいいアパートを借りられるだけの給料はもらっているはずだ。

そんなことを考えながら、家路についた。

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