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オペ室の扉には、小さな覗き窓が付いている。
そこから恐る恐る部屋を覗き込むと、小さな照明灯が見えた。
手術中に使用する無影灯だ。
部屋全体の照明が落とされた中、唯一その光だけが、ベッドに横たわる楓ちゃんを浮かび上がらせていた。
衝撃的な光景に喉が引きつる。
息を吸った拍子に声が漏れそうになり、慌てて手で口を塞いだ。
楓ちゃん……!?
そんなところで、何を……!
窓へ顔を寄せて周囲を見渡す。
けれど、手術台に横たわる彼女以外、誰の姿もない。
手術台の上で、スポットライトを浴びる楓ちゃん。
まるで映画の猟奇的なワンシーンを見ているようだった。
怖くて足が動かない。
瞬きを忘れた視界が、一瞬白く霞む。
「楓ちゃん……」
無意識に掠れた声が漏れた、その時だった。
彼女はゆっくりと寝返りを打った。
反射的に腰を屈め、窓から顔を逸らす。
手で口を押さえたまま数秒をやり過ごし、恐怖と好奇心が入り混じる中、息を潜めて再び中を覗き込んだ。
こちらへ顔を向けた彼女の瞳は虚ろで、どこに焦点を合わせているのかも分からない。
寝返りを打った拍子に乱れたのか、スカートの裾が捲れ上がり、白い太腿が露わになっていた。
身体は微動だにしない。
けれど、唇だけが微かに動いているのが分かった。
……独り言?
何を言ってるの?
彼女の唇の動きに目を凝らし、耳へ意識を集中させる。
……歌?
微かに声が漏れ出ている。
それは言葉ではなく、音符へ声を乗せているのだと分かった。
何を歌ってるの……?
さらに耳を澄ませる。
けれど、漏れ聞こえる声はあまりにも小さく、歌詞までは聞き取れない。
「……」
突然、ぷつりと歌声が途切れた。
彼女の顔が歪み、嗚咽が漏れ出す。
「……うぅっ……うっ……」
小さく肩を震わせる彼女は、ベッドへ頬をつけたまま泣いていた。
その異様な光景を見つめ、背中を冷たい指でなぞられたような戦慄が走る。
何なの……
何が起きてるの……
恐怖で足が竦む。
私……
ここにいちゃいけない。
この楓ちゃんを見ちゃいけない……
息を殺し、そっと後ずさる。
その場で脱いだスリッパを胸へ抱え、震える足で中材室へ続く扉を目指して駆け出した。
嗚咽はやがて慟哭へと変わり、彼女の泣き声が静まり返った暗闇に響き渡る。
その声に背中を掴まれたような気がして、足が縺れそうになった。
心臓が激しく脈を打つ。
耳に入り込む泣き声が、先ほど見た光景を鮮明に呼び起こし、全身が震えた。
……怖い。
逃げ出したい!
震える指でガウンの紐を解きながら、足を踏み入れてしまったことを後悔した。
中材室と休憩室を駆け抜ける。
最後の扉を抜けた瞬間、身体が大きく傾き、咄嗟に壁へ手をついた。
壁へ身体を預けて深く息を吸い込む。
そこで初めて、自分がどれほど震えていたのかに気づいた。
廊下の奥に照明の灯りが見える。
「そうだ……帰らなきゃ……」
灯りを見つめながら小さく呟く。
茫然としたまま身体を起こし、手すりに手を添えながら、その場を後にした。
データ解析室へ戻り、バッグから携帯電話を取り出した。
震えの引いた指で夫の番号を表示させ、その画面をじっと見つめる。
「……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、何から話せばいいのか分からない。
息を整えたあと、覚悟を決めて発信ボタンを押した。
「……遼。今から帰るから、寝ないで待ってて。
あなたに聞きたいことがあるの……」
短く返事をする夫へそう告げ、電話を切った。
携帯と一緒に、机へ置き去りにしていた手帳をバッグへ押し込む。
「……楓ちゃん」
無影灯に照らされた彼女の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
どうしてあんなことを……
楓ちゃんに何が起きてるの?
――正気とは思えない。
バッグを強く握り締め、漠然とした恐怖に追われるように部屋を飛び出した。
コメント
1件
うわ……今回、すごく怖かったです。無影灯だけが灯る暗いオペ室で、楓ちゃんが虚ろな目で歌って、突然泣き出す――あの光景が脳裏に焼き付きました。主人公が「ここにいちゃいけない」と感じて、スリッパ脱いで逃げ出す呼吸の生々しさも良かった。それにしても、楓ちゃんに何があったんだろう……。夫・遼さんに電話したところで終わったのが気になります。続きが待ちきれないです。