テラーノベル
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タクシーに乗り込んだ瞬間、春物のふんわりしたコートに身を包み、サングラスをかけた妊婦姿の凪子を見て、運転手は一瞬ぎょっとしたように目を丸くした。
「お客様、どちらまででしょうか?」
「申し訳ないんですが、もうすぐあの建物から男の人が出てきてタクシーに乗ると思うんです。その車を追ってほしいの。もちろん、待機中の料金もお支払いしますから」
身重の女性にそう頼まれては断れないと思ったのか、運転手は観念したように「承知しました」と答え、ビルの入口へ視線を向けた。
数分後、ビルからかなりのイケメンが姿を現す。
「あの男性ですか」
「そうです」
予想通り、信也が外に出ると同時に、待っていたかのようにタクシーがスッと寄ってきた。
信也は飲みに行くとき、いつもタクシーを使う。凪子の読みは当たっていた。
「じゃあ、追いますね」
「お願いします」
「シートベルト、きついでしょうけど、しっかりつけてくださいね。何かあったら大変ですから」
「はい、ありがとうございます」
凪子がシートベルトを締めたのを確認すると、運転手はアクセルを踏み、前を走るタクシーを追い始めた。
しばらくすると、運転手がぽつりと言う。
「新宿方面ですね」
「新宿……」
信也が行きつけの店があったかどうか、凪子は必死に記憶をたどったが、思い当たる場所はない。
そして、ハッとする。
(まさか……ホテル?)
新宿にはホテルが多く、自宅や仕事場からもほどよく離れている。
浮気にはうってつけの場所――そう思った瞬間、運転手が凪子の胸の内を見透かしたように声をかけた。
「こういうときは、あまり悪い想像を膨らませないほうがいいですよ。今はひとりのお体じゃないんですから」
その言葉に、凪子はハッとした。
「そ、そうですね……。すみません、つい悪いことばかり考えてしまって……」
「無理もありませんが、まずはお腹のお子さんのことを第一に考えてください。あなたはもう、お母さんなんですから」
なぜか、その言葉が深く胸に染みた。
父と同じくらいの年齢の運転手は、こんな状況でも優しい笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。運転手さん、もしかして娘さんがいらっしゃるんですか?」
「はい。五年前、幼い子を連れて離婚して戻ってきました」
「えっ……?」
「だから分かるんですよ。今のあなたの気持ちが」
「そう……でしたか……」
凪子は目頭が熱くなるのを感じたが、必死にこらえた。
やがて車は新宿の繁華街を抜け、裏通りへと入っていく。
「バーが多い地域ですねぇ」
「そうみたいですね」
てっきりホテル街へ向かうと思い込んでいた凪子は、思わぬ展開に戸惑う。
ほどなくしてタクシーは一軒のバーの前で停まり、信也がゆっくりと降りてきた。
「ここで停まりましょうか?」
「お願いします」
停車した車の中から様子をうかがうと、彼は『紅子デラックス』というバーへ入っていった。
どう見てもオネエ系の店だった。
「このあたりのバーは、ほとんどがおかまバーですから、心配なさっているようなことはないのでは?」
運転手は愉快そうに言ったが、凪子の胸の不安はまだ消えなかった。
このあとどうするべきか迷っていると、運転手がそっと背中を押すように続けた。
「いっそ、店に入って様子を見てきたらどうです? このまま帰っても、真実が分からず悶々とするだけでしょう?」
「それはそうですけど……でも、バレちゃいませんか?」
「あの店は大きそうですし、混んでいれば気づかれないかもしれませんよ。仮にバレたとしても、そのときはそのとき。ちゃんと向き合って、思っていることを伝えたほうがいいと思います。うちの娘はそれができなくて、離婚までいきましたからね。それだけは避けないと。お腹のお子さんのためにも」
そう言って、運転手は軽くウインクをした。
その一言一言が、凪子にじんわりと勇気を灯していく。
「そうですね……。今日一日、朝からずっと悶々としてましたし……。もうこんな思いは嫌です。はっきりさせてきます」
持ち前の気の強さを取り戻した凪子は、タクシー料金を支払い、運転手に微笑みかけた。
「いろいろと、ありがとうございました」
「健闘を祈りますよ」
運転手は優しい笑みを浮かべ、凪子の背中をそっと押すように励ました。
コメント
9件
ウフフ…紅子さんのお店なら、きっと大丈夫ですね~🤭
お久しぶりです紅子ママ(ノ˶>ᗜ<˵)ノ 行き先が紅子デラックスで良かった☺️
新宿と聞いて、まさかと思ったらホントに紅子さんのお店ꉂꉂ(˃ᗜ˂๑)w𐤔 まさかの紅子さん繋がり⤴ マリコ先生、最近タクシーでの尾行が流行りですか?(。 >艸<)ククッ