雪子は俊の車が見えなくなるまで見送った後、息子の待つ家へ入って行った。
「ただいま」
雪子が声を掛けると、息子の和真がリビングから出て来た。
「おかえり!」
久しぶりに会う息子の和真は、体形が少し締まったような気がした。
前は少しふっくらとしていた顔も、シュッと引き締まり社会人としてのいい顔になってきた。
「今の車の人誰?」
和真は雪子が送ってもらったのを見ていたようだ。
「ご近所さんよ」
「もしかして彼氏?」
「ばかっ、違うわよ! 前にね、スーパーでトラブルがあった時に助けてくれたお客さんなの。上に高級住宅街があるでしょ
う? あそこに住んでいるんだって。たまたま歩いていたら通りかかって乗せてくれたのよ」
「そうなんだ。なんかカッコいい人だったね」
「そうそう、ほら、俳優の豊村悦司に似ているでしょう?」
雪子が興奮したように言うと、
「そんなおじさん俳優は知らん」
和真がニヤッとして言ったので、
「まったくもうっ!」
雪子は憤慨しながらも、久しぶりに家の中に響き渡る息子の声が嬉しくて顔を綻ばせた。
買い物した食材を冷蔵庫にしまっていると和真が言った。
「おじいちゃんの書斎、片づけたんだね」
「うん、やっとね。もう5年経ったからそろそろ手をつけないとって思ってね」
「鉱物類は残してあるんだ」
「そう。あれは、おじいちゃんが自分の足で採集してきたものだから、捨てられなくて」
「棚に並べて飾ったらいいんじゃないかな?」
「うん、家中の片付けが終わったら飾り方も考えてみるわ。それよりも、和真の部屋のいらない物があったら廊下に出しておい
てくれないかしら? ついでの他の部屋も片付けようと思ってるから」
「どうしちゃったの? なんか凄いやる気出てるじゃん」
「一部屋すっきり片付くと他の部屋も気になっちゃうみたい。こういうのは勢いでやっちゃわないとね」
「断捨離効果?」
「なに? それ」
「物を減らすとね、いらない物や古い物に宿っていた悪い『気』がなくなって新しい良い『気』が入って来るらしいよ。だから
やる気が出るんだよ」
「それはあるかも! お母さん、本当はミニマリストみたいに物を減らしたいのよ。なんか50歳になったら、物に対する執着
を手放したくなったの」
「いいんじゃない? 俺達の世代もミニマリストな奴多いよ。大学の時の大西って覚えてる? あいつ今ミニマリスト生活には
まってて、部屋の中からっぽだし」
和真はそう言って笑った。
「えっ? あの大西君が? 嘘っ! だって、うちに来た時、アクセサリーをジャラジャラつけていたし、やたら大きなバッグ
を持って来てお洒落な服に着替えたりしていたじゃない?」
雪子の言葉に和真は笑い出した。
「そう! あいつ去年彼女と別れてさ、それから修行僧のような生活になっちゃったんだ。この前久しぶりに家に行ったら、ワ
ンルームの部屋の真ん中に折り畳み式の小さなちゃぶ台があるだけなんだ。で、寝る時は寝袋だって!」
和真が笑いながら言うと、雪子は目を見開いて言った。
「うわっ、お母さんそういうの憧れる!」
「マジかよ? そこまで行ったらもう修行だろう?」
そこで二人は声を出して笑った。
久しぶりに母の笑顔を見た和真は安心していた。
前に帰省した時は、家全体が暗くよどんだ雰囲気だった。
母は和真に心配をかけないようにと明るく振る舞っていたが、和真は母の心や体調がしんどそうな事に気づいていた。
そしてそれ以降、和真はネットで更年期の症状について色々調べた。
ホルモンのバランスが崩れる年代に、子供の事や仕事の負担、介護問題等のストレスで体調を崩す。
酷い人だとそのまま鬱になって精神科へ通院したり、中には自殺してしまう人もいると知り驚いた。
だから和真は母の事が心配で、1ヶ月に1度は様子を見に来るようにしていた。
今日もきっと元気のない母の顔を見る事になるだろうと覚悟をしていたが、
今日の母は何か違う。
祖父の部屋を片付けた事がきっかけで、何か良い方向へ向かっているのだろうか?
あれだけ無気力だった母が、既に祖父の部屋を片付け終わっていた事に驚いた。
和真が来るたびに手伝うからと言っても全く動かなかった母が、一人で片付けを終えていた。
「新鮮なお刺身をいっぱい買って来たからね。鮮魚担当の社員さんに、一番いい所をお願いしますって言ったのよ」
母は得意気に言った。
「一人だと刺身なんて食わないから嬉しいよ! 今日は母さんもビール飲むでしょう?」
「うん、飲む飲む!」
母がデパートを辞めてから半年、久しぶりに聞いた母の明るい声に和真は目頭が熱くなるのを感じた。
女手一つで働きながらずっと自分を育ててくれた母が、祖父の死後、そしてデパートを退職してから
日に日に元気がなくなっていくのを見るのは辛かった。
今は特に近くにいてやれないので、心配でしょうがなかった。
でもどうやら母は漸く暗い沼底から脱出したようだ。
その事にホッとした和真は、母に見られないように指でそっと目を拭った。
そして和真は明るく言った。
「さっきのイケてるおっさんと、もし恋が芽生えたら俺応援するから! なんかすっげー外車乗ってて金持ちそうだし、ボーイフレンドにはいいんじゃない?」
ダイニングテーブルに箸や小皿を運んで来た雪子は、
「何馬鹿な事言ってるの! そんな事ある訳ないじゃない。それにあんな素敵な人だもの、きっと結婚しているわよ」
と言って、和真の頭を軽くごっつんとした。
そんな母の様子を見て、また和真は笑った。
その晩は、久しぶりに浅井家に笑い声が響いていた。
親子二人でビールを飲みながら、一晩中積もる話に花が咲いた。
コメント
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雪子さん和真君親子の会話のやりとりの中に、お互いへの思いやりが溢れていて…読んでてウルウルです🥺
和真~良い子だね〰️😢 ずっと心配で見守って来たんだね~🥹 雪子さん、暗い沼脱出おめでとうございます㊗️🎉 ステキな親子🤩
雪子さんは鎌倉に戻ってから片付けるまでの5年間すごく大変で和真も心配だったんだね🥺親孝行息子の和真👱♂️偉いね👏