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#執着
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「じゃあ、また明日ね」
私も微笑みながら手を振り返した。
「うん、また明日。宮坂先輩、お邪魔しました。では失礼します」
「……ああ、また」
会釈をした麗香へ素っ気ない視線を向けたまま、遼は短く返した。
そのまま正面玄関へ向かうものと思った時、不意に麗香がすっと私の耳元へ顔を寄せた。
「亜紀も気をつけてね」
吐息のような囁きが耳をかすめる。
「え……?」
……私も気をつける?
目を見開く私を見て、麗香はにこりと笑った。
「じゃ、お疲れさま~」
軽い口調でそう言うと背を向ける。
遠ざかっていくヒールの音を聞きながら、私は去っていく親友の背中を見つめていた。
「何だって?」
不意に遼が声を掛けた。
「……車、気をつけて行ってらっしゃい――だって」
ぎこちない笑みを浮かべながら、とっさに思いついた言葉を口にする。
「ふ~ん。俺たちも行くぞ」
「……うん」
私はバッグを肩に掛け直し、一人で歩いていく夫の背中を追いかけた。
正面玄関の扉が開くと同時に、秋のひんやりとした夜風が耳元を吹き抜けた。
カサカサと音を立て、風に踊られながら地面を転がる落ち葉。
「今日は風が強いな……寒っ」
ジャケットのポケットへ両手を突っ込み、肩をすくめながら遼が呟く。
「もうすっかり秋の風だね。イチョウもだいぶ色づいてきた」
駐車場へ向かう並木道。
外灯に照らされたイチョウを見上げながら、私は微笑んだ。
そしてふと視線を前へ戻すと、同じように職員駐車場へ向かう人たちの後ろ姿が、まばらに見えた。
「あ、そうそう。さっきね、オペ室の看護師さんたちと廊下で会ったよ」
薄暗い歩道を歩く職員たちを眺めながら、ふと思い出した出来事を口にした。
「へぇ。そう」
遼は私たちの横を通り過ぎる車を眺めたまま、興味なさそうに短く返した。
「この前遼に話した、私のお気に入りの浅倉楓ちゃん。彼女も研修会だったみたい。私たちもいろんな研修会があるけど、看護師さんたちも遅くまで大変だよね」
「ああ、そうだな」
「楓ちゃん以外、私が遼の奥さんだって知らなかったみたい。物珍しそうに一斉に見られて、若い子たちのパワーに圧倒されちゃった」
私は遼の横顔を見つめ、微笑んだ。
「へぇー」
遼は遠くへ視線を向けたまま、素っ気ない返事を繰り返す。
「……ねぇ。それって『そんな話はどうでもいい』って反応だよね」
「……は? だって実際どうでもいいし。その手の話には興味ない。オペ室のナースは、仕事のできるスタッフの名前しか覚えてない」
遼は私に一瞥だけ寄こし、口元をわずかに緩めた。
「仕事のできるスタッフの名前しかって……。そんな態度だから、みんなに怖がられるんだよ。仕事のパートナーであるナースを敵に回したら、自分が困るだけなんだから」
「別に敵に回すつもりなんてない。お互いの立場で、患者のためにやるべきことをやればいい。専門職に就きながら、それができない人間に価値は感じない。だから、価値を感じない相手の存在も自然と記憶に残らない。ただそれだけだ」
怪訝そうな私の表情など気にも留めず、遼は当然のように言い切った。
「価値を感じないとか……嫌な言い方。遼……前はそんなことを言う人じゃなかったのに……」
言葉にならない複雑な思いが胸をぎゅっと締めつける。
私は彼から視線を逸らし、風に揺れる枝葉を見つめながら唇を噛んだ。
「……なんだよ。気に入らないって顔してるな。お前のことを言ってるんじゃないぞ? 俺は亜紀をちゃんと認めてる。お前は俺の自慢の妻だよ」
遼は私の顔を覗き込み、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
――自慢の妻?
「……どうしたの? 急に……」
あまりにも彼らしくない言葉に、私は思わず目を瞬かせた。
「実は……お祝いも兼ねて、今夜はゆっくり食事でもしようと思ってさ」
「お祝い?……何のお祝い?」
思わず足が止まりそうになる。
私は遼の横顔を見つめながら眉を寄せた。
「そうか。まだ教授から直接聞いてないんだな。……まあ、いいや。あとのお楽しみだ」
「教授……? 佐橋教授、今日は一日学会でいなかったし……」
「だから、あとのお楽しみだって。俺から聞けるなんて、教授から聞くより嬉しいと思うぞ」
遼はにやりと目を細めた。
「何だろう……本当に分かんない。
……あ、話は戻るけど。くれぐれも楓ちゃんをいじめないでね。あの子、いつも一生懸命で優しくて、本当にいい子なんだから。仕事のできる、できないで冷たくしないでよ」
歩幅の違う夫の背中へ声を掛けながら、小さくため息をついた。
コメント
1件
遼の「自慢の妻」って言葉、逆に不気味すぎる……。あの麗香の「気をつけて」も、ただの心配じゃない感じがしてゾッとした。優しい場面なのに、なんでこんなに胸がざわつくんだろう。また重くて繊細な空気をありがとうございます、続きが気になって仕方ないです。