翌日、仕事を終えた楓は朝食スタッフのリーダー・松井由美子とランチへ行った。
由美子は楓が今月いっぱいでホテルを辞める事を知り急遽誘ってくれたのだ。
二人はビジネスホテルの近くにあるファミリーレストランへ入った。
「今日は送別会代わりに私が奢るから好きなものを頼んで」
「ありがとうございます」
そこで楓は好物のクラブハウスサンドを選んだ。
「どうせならセットにしよっか。ドリンクバーとデザートもついてくるし」
「すみません」
そして由美子がタブレットで注文を入れてくれる。由美子はパスタセットを選んだ。
二人でドリンクバーへ行き飲み物を取ってくると早速由美子が言った。
「経理の仕事が出来る所へ行くんだって?」
「はい」
「新しい職場は近いの? 何ていう会社?」
「場所は割と近いです。『藤城コーポレーション』という会社なんですがご存知ないですよね?」
社名を聞いた由美子は「えっ?」と驚く。
「『藤城コーポレーション』って、もしかし藤堂組の?」
「えっ? 何で由美子さんそれを?」
「フフッ、あまり大きい声で言えないんだけど、私の叔父が昔そこの組員だったの」
「えーっ、びっくりです」
「みんなには内緒よ。でもなんで楓ちゃんが藤堂組の会社に?」
「実は兄の事で色々あって……で、藤城コーポレーションの方がお仕事を紹介してくれたんです」
「え? お兄さんってあのエリート商社マンのお兄さんだよね?」
「はい」
「まさか……お兄さんに借金があるとか?」
「それがまだよくわからなくて……今調べてくれているみたいですが」
「はぁっ? まさかそのお兄さんの為に楓ちゃんがお給料のいい所へ転職するの?」
「詳しくは言えないのですが、確かに最初はそんな感じだったかと。ただ今はもう兄にお金を貸すつもりはありませんが」
「そうそう、貸したら駄目よ! 例え兄弟でもお金は絶対に貸したら駄目!」
「はい……」
楓は返事をしながら既に良に渡してしまった数百万円の事を思い出す。おそらくあの金はもう帰ってこないだろう。
「まあでも良かったんじゃない? 楓ちゃんは折角資格をいっぱい持っているのに今の仕事のままだったらその資格は生かせないからね。それに経理の仕事はいいわよ~。あたしの友達もやってるんだけど、経理の仕事は資格と経験があれば定年なんか関係なく歳を取っても働けるから絶対強みになるわ」
「私もそう思いました。ただ会社が会社なので少し不安も……」
「藤堂組の会社なら大丈夫よ。藤堂組は地元密着型だし結構情に厚いところよ」
「そうなんですか?」
「うん。普通ヤクザは怖いっていうイメージがするけど藤堂組は素人に手を出さない事で有名だし。それにあそこは今確かパトロールもやってくれてるのよね」
「パトロール?」
「そう。自分達の管轄地域を毎晩若手にパトロ―ルさせてるの。ほら、今『トクリュウ』とかいう押し込み強盗が流行ってるじゃない? だから藤堂組のシマを毎晩パトロールしてくれているのよ。彼らが町をうろついていたらハングレ達も簡単には悪さは出来ないじゃない?」
それを聞いた楓は驚く。
(ヤクザが一般の人を守ってるの?)
「え? でもなんでそこまで? 彼らが一般人を守っても何の得もないですよね?」
「フフッ、普通はそう思うわよね。でもね、彼らにとってはその地域で暮らす人々は大切なお客様なのよ。彼らの縄張りには組が経営する店がいっぱいあるわ。昔のようにショバ代やみかじめ料で稼げなくなった今、店の売り上げは彼らにとって大事な収入源なのよね。だからそこへ来てくれる客を守る……きっとそんな感じじゃないかしら?」
「…………」
楓は驚いていた。由美子の話を聞きヤクザに対する印象が少し変わった。
その後楓は由美子から藤堂組について色々と教えてもらった。
由美子の亡くなった叔父は的屋要員として組に所属し、神社やお寺で開かれる祭りの出店を取り仕切っていたらしい。
「お祭りの出店って大した収益にはならないから、今はどこも組でもやめる風潮なんだよね。でも藤堂組だけはずっと続けているの。例え収益にならなくても地域貢献の一環として組長が続けさせているみたい。だからこの地域のお祭りはいつも賑やかでしょう?」
「確かに。昔違う地域のお祭りに行ったら出店はほとんどありませんでした」
「そうなのよ。でもこの町でのお祭りはいつも賑やか。そういう所が心憎いのよ、藤堂組は」
由美子はそう言って笑った。
その後由美子と別れた楓は、歩きながら今話していた内容を思い返す。
(ヤクザって言っても意外とソフトな集団なのかな?)
由美子の話を聞いて、楓は少し気が楽になったような気がした。
そして何度も通い慣れた道を歩きながら思う。この道とももうすぐお別れなのだと。
(新しい職場と家はどんな所だろう?)
ほんの少し未来に希望が見えてきた楓は、元気な足取りでアパートへ戻って行った。
コメント
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由美子さんから色々聞けて良かった✨せっかくだからこれからも会って話せたらいいよね🥰 数百万はもう返ってはこないだろうけど金の無心をする兄とはきっぱり縁を切って新たな仕事や環境で前向きに頑張っていこう🫶
確かにあの家業の方々情が熱く情けに弱く有る意味純粋で不器用の方多いと思うわ。親分の為なら命を張るしね。
身内にオレオレ詐欺をやられるとは、まぁ、あんまり考えへんわな。