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風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町
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閉館後のルナ・マグは、昼間のホテルとは別の生き物みたいだった。大きな窓の向こうに海の闇が広がり、カウンターの丸い灯りだけが、眠る前の人の声を受け止めるように低くともっている。
ディアビレは客のいない席に写真を何枚か並べていた。朝焼けの埠頭。雨を含んだ窓。誰もいない回廊の先にだけ差す光。その余白へ、鉛筆で短い言葉を書き添える。
――眠れない夜ほど、湯気はまっすぐ立つ。
――海は遠くへ逃げる場所じゃなく、戻ってくる音がする。
――笑わなかった人の横顔に、朝はいちばんやさしい。
「落書きか」
振り向くと、ジナウタスがカウンターの内側から覗き込んでいた。いつの間にかエプロンまでつけている。
「人のノートを勝手に覗かないでください」
「開いたままだった」
「それは、うっかりです」
彼は一枚の写真を持ち上げた。水平線の上に薄い雲が伸び、手前の窓ガラスに室内の灯りがぼんやり映り込んでいる。
「この言葉、説明しすぎてない」
「褒めてます?」
「景色が先に立ってる。読んだ人間が、自分で続きを考えられる」
思ってもみなかった言われ方に、ディアビレは目を見開いた。セルマからは役に立つか立たないかでしか量られず、ベジラには便利な直し役として頼られる。こんなふうに、自分の言葉そのものを見られたことはなかった。
ジナウタスはさらに別の写真を抜き取り、光にかざした。
「これ、表に出したらいい」
「無理です。誰も見ませんよ」
「見る。少なくとも俺は見る」
静かな夜だった。だから、その一言は余計にまっすぐ届く。ディアビレは誤魔化すようにカップを磨き始めたが、手元の布が少し震えているのを、自分だけは知っていた。
窓の外では、波が岬の下で白く砕けていた。言葉にする前の気持ちみたいに、何度も。