店を出ると華子は言った。
「陸、ありがとう。大事にするわね」
華子が素直に礼を言ったので、陸は驚いて華子を見る。
すると華子は手を挙げて上にかざしたり角度を変えたりしながらダイヤのリングを愛おしそうに見つめていた。
その時陸は胸の中が何か熱いもので満たされていくような感じがした。
「今夜は俺が夕食を作るって言ったけど今から帰って作るのも面倒だな。なんか食べて帰るか?」
「ラッキー! 私もうお腹がペコペコよ。お昼はマフィン一つだったんだもん」
「店にはサンドイッチもあるだろう? もっとちゃんと食べろよ」
「だって今日はマフィンで足りるって思ったんだもん」
華子は口を尖らせて言う。
「そう言えば華子はこの辺りに詳しいんだろう? どこかいい店はないか?」
「あっ、あるある! 小さい店なんだけれどそこでいい?」
「うん。何の店?」
「クラブ時代に良くしてもらったおかみさんがやっている『おばんざい』の店なの。テーブル席は一つしかなくて、カウンターがメインの小さな店だけど」
「いいよ、じゃあそこに行こう」
華子は久しぶりに懐かしい人に会えると思い嬉しくなる。
華子はクラブで辛い目にあうと、いつもその店のおかみさんに話を聞いてもらっていた。
おかみさんは京都出身の相良という女性で、華子の母親と同じ年だった。
母親が母親としての機能を果たしていなかった華子にとって、この相良が母親代わりのような存在だった。
相良はいつも華子の話に真摯に耳を傾け最適なアドバイスをしてくれる。
彼女がいたから華子は辛い思いをしながらも頑張れたのだ。
その後野崎の愛人になると相良に告げた時、相良は反対した。そしてかなり心配していた。
しかし今日は愛人をやめた事も報告できる。
相良を少しでも安心させたかった華子は、今日会って今は真面目に働いている事を伝えようと思った。
店は雑居ビルの二階にあり、狭い階段を上がって行くと店の入口があった。
看板には『くいもんや 幸』と書かれていた。
『幸』は、相良の下の名前の『幸子』から取ったものだ。
陸がドアをあけてくれたので、先に華子が入った。
「こんばんはー」
「あらー華ちゃん随分久しぶりじゃない? まあ、元気そうで前よりも顔色がいいわね! ちょっともっとよく顔を見せてっ!」
店主の相良はカウンターの中から出て来ると、華子の両頬を手で挟んでじっと見つめる。
「あれからぱったり姿を見せないから心配していたのよー、もう母さんに心配かけて悪い子ねっ!」
相良は怒ったふりをしながら言ったが、本音では心から安心しているようだった。
「ごめんなさい、ずっとバタバタしていて。でも今日近くまで来たから寄ってみたわ」
「ううん、顔を見せてくれてうれしいわ! こちらはお連れの方ね。ようこそいらっしゃいました、相良と申します。華ちゃんの『銀座の母』をやっております。あっ、『銀座の母』って言っても占いのほうじゃないわよ。ウフフッ」
相良は陸に愛嬌のある挨拶をした。
「初めまして日比野です」
陸は微笑んで会釈をする。
「日比野さんは、華ちゃんの彼氏?」
「いえ、婚約者です」
「華ちゃん婚約したのねー。おめでとう! うわーいつの間にこんなに素敵な人と付き合っていたのー?」
相良は感慨深げな様子だ。
しかし急にハッとしてから陸に言った。
「ま、立ち話もなんですからどうぞ奥のカウンターへ」
相良は二人を席へ案内した。
今日は平日、それも月曜日の夕方だ。
店内は空いていたが、奥にある唯一のテーブル席にはカップルがいた。
二人はカウンターに座ると早速メニューを見る。
目の前のカウンターには、大皿に盛られた美味しそうな料理が何種類も並んでいる。
それを見た陸が嬉しそうに呟く。
「美味そうだな…」
陸は次々と料理を注文した。
●カツオと黒鯛のお造り
●ヒラスの味噌漬焼き
●ふぐの唐揚げ
●牛スジとこんにゃくの味噌煮
●いわしの梅煮
●ほうれん草の白和え
●京風いなり寿司
「ちょっと頼み過ぎじゃない?」
「美味しそうだから全部食べてみたいんだよ…」
「しょうがないわね」
華子は思わず苦笑いをする。
そんな二人を相良が微笑みながら見つめていた。
「今日はお車? だったらノンアルコールがいいかしら?」
「はい、私はノンアルで」
「華ちゃんは普通のにする?」
「私も今日はノンアルで…」
「あら珍しい。えっ? まさかっ?」
急に相良がうろたえたので、華子はキョトンとする。
そこで陸が言った。
「いえ、まだ彼女は妊娠していませんから」
「やだわぁ、私ったら早とちりしちゃった」
そこで二人は同時に笑う。
その時華子は会話の意味がわかったらしく真っ赤になる。
「あら華ちゃん、真っ赤になっちゃってかーわいい!」
相良はそう言いながら二人にグラスを渡すと、まずは陸のグラスに飲み物を注いでから華子にも注いでくれた。
コメント
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すっかり角がとれて 素直な可愛らしい女性に変わってきたように見える華子チャン✨ その彼女からの心からのお礼と、嬉しそうに指輪を翳し 眺める姿を見て 喜びを感じている陸さん....✨💍✨💖✨ 銀座の母 幸子さんのお店での 仲睦まじい二人のやり取り....👩❤️👨💕 銀座で 母親代わりに華子チャンを見守ってきた幸子さんも、その様子を見て きっと安心されたのでは....⁉️🥺♥️
子猫華子の素直な「ありがとう」にキュンの陸さん💕 華子の万華鏡のような表情の変わり様に陸さんもノックダウンですね🤭 それて華子の銀座の母、 幸子さんとのやりとりも華子の事を心配し案じながらも婚約者の陸さんを紹介してもらえた喜びを切々と感じる〜🥰🌸