テラーノベル
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──夏樹……さん。
あの夜から、全く遭遇する事もなかった男の人に再会して、私の心臓が大きく脈を打つ。
強面の鋭い眼差しにオールバックのヘアスタイルは、三年前とほどんど変わっていないけれど、少し痩せ、どことなく角が取れて丸みを帯びた雰囲気に感じた。
あれから夏樹さんが奥様と関係を修復させたのか、離婚したのか、私には全く分からない。
スーツに身を纏い、十九時以降にこの近辺を歩いているという事は、チヨダ自動車学校で教習指導員の仕事を続けているのだろう。
忙しなく打ち続ける鼓動を隠すように、私は笑顔の仮面を貼り付けた。
娘を抱き上げたまま、立ち止まりそうになったけど、歩き続けないと再び過去に引きずられそうになる、と考え、ぎこちなくも足を運ぶ。
夏樹さんは、その場に立ち竦んでいるようで、彼から送られている眼差しが徐々に強くなり、私と娘を凝視しているようだった。
彼とすれ違った瞬間、楽しそうにおしゃべりをしていた樹里の声がピタリと止むと、私は、腕に掛かる娘の体重を分散させようと、少し上に持ち上げるように抱っこをし直す。
頬に射抜かれた、夏樹さんの視線。
彼の眼光を感じ取りつつ、私は前を見やりながら歩き続け、樹里に微笑み掛ける。
背中に、夏樹さんの声を投げられたような気がしたけど、私は振り返る事なく、娘を抱っこしたまま毅然と歩き続けた。
「ねぇママ〜。さっきのおじちゃん、ママのおともだち?」
「ううん、違うよ。どうして?」
「だって、あのおじちゃん、じゅりとママのこと、ず〜っと、じ〜〜っとみてたよ?」
娘に痛い所を突かれた私は、笑みを深めながらも内心は狼狽えていた。
「あとねぇ、おじちゃん、ママにむかって、『ゆえ』っていってたよぉ〜」
──さっき感じた彼の声は気のせいではなく、私の名を呼んでいたのか。
夏樹さんが、まだ私を覚えていてくれた事に、三年前の密事の欠片が心にチクリと刺さり、樹里の言葉に、胸の奥が押し潰されそうになってしまう。
何て答えたらいいのだろう? 娘には父親である夏樹さんの事を一切話さず、あの日の情事は墓場まで持っていく覚悟だったのに。
けれど、過去に思いを馳せている場合ではないし、母として、樹里が独り立ちするまでは、しっかり育て上げなければならないのだ。
やがて、瞳の奥がピリピリと痺れていくのを感じ、目頭が熱を帯びてくると、天を仰ぎ、雫が溢れそうになるのを耐える。
三年過ぎた今でも、私の心の奥深くに、夏樹さんの陰影が僅かに残っている事に気付かされた。
公園の中に辿り着いたところで、私は娘をゆっくり下ろすと、華奢な身体を徐に優しく包み込んだ。
「ママ〜? どうしたのぉ?」
鈴の鳴るような声色で問い掛けてきた樹里に、丸くて可愛い頭を慈しむように撫でる。
「…………さっきの……おじちゃんは……」
娘が小首を傾げている仕草を見せているけど、私は唇に弧を描かせながら言葉を綴った。
「……ママにとって、『世界でいちばん大切な存在』を…………授けてくれた人よ」
——La fine——
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コメント
5件
返信ありがとうございます。又新作楽しみにしております。菅野さんの作品大好きですよ笑っスリリングな作品ずっと読み続けてます♪
菅野さんお疲れさまでしたジーンと染みました…大切な命を与えてくれただけでも愛する1つ生命を授けてくださったのが嬉しかったでしょに…
管野アリオさん、第35話読ませていただきました。 「世界でいちばん大切な存在を授けてくれた人」──この言葉が胸にじんわり響きました。娘に父親のことを隠しながらも、あの夜を否定しない優しさ。樹里ちゃんの無邪気な「ゆえ」という一言が、過去と現在を繋いでしまう切なさがとても印象的です。再会シーンの緊張感と、主人公の母としての強さが丁寧に描かれていて、引き込まれました。続きが気になります。