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その夜、国雄は母の美津と口論をしていた。
「またどうしてそのお嬢さんなの? 夫を亡くしたばかりの未亡人でしょう?」
「だから今説明しましたよね? 彼女は未亡人ではありませんよ」
「そんなの、わかるもんですか。信用できません!」
「今回の話は、私の方から提案したことなんです。 向こうが言い出したわけではないんですよ」
「だからって信用できるわけないじゃない! よりによってどうしてそんな傷もののお嬢さんを……」
「母さんっ!」
国雄の鋭い声が部屋に響いた。その時、村上家の当主であり国雄の父・村上貞雄(むらかみさだお)が姿を現した。
貞雄は、父親から受け継いだ小さな工場を一代で成長させ、現在では関東各地に拠点を持つ巨大セメント会社の社長として知られている。
「おいおい、何を喧嘩してるんだ?」
「あなたっ! あなたからも言ってくださいな。国雄が急におかしなことを言い出して……」
「ははっ、まああまり騒ぐな。それで国雄、大瀬崎の先代の娘を家に連れてくるというのは本当なのか?」
「はい。私の身の回りの世話をお願いしようと思っています」
「ほほう、それはつまり、将来その娘をお前の妻に迎えるということか?」
「そのつもりです。まだ相手には伝えていませんが」
「なるほど……。ところで、その娘とお前は顔見知りだったのか?」
「はい。12年前に高瀬の棚田で一度だけ会いしました」
「そんな昔に? それも高瀬の棚田で? うむ……あそこは実に眺めがいい場所だ」
そこで、しびれを切らした妻の美津が夫に詰め寄る。
「あなたっ! そんなことよりも、国雄にちゃんと言ってくださいな!」
「まあそうカリカリするな。で、国雄は本当にその娘を嫁にしたいと思っているんだな?」
「はい」
「そうか……」
煮え切らない夫の反応を見て、美津が再び声を上げた。
「あなたっ!」
「なぜお前は反対なんだ? 国雄がやっと嫁にしたい相手を見つけたんだぞ? お前は常々、誰でもいいから早く結婚しろと言っていたじゃないか」
「それはそうですけど……だからといって、離婚歴のある娘を選ぶなんて、とんでもありませんっ!」
「母さん、 彼女は未婚ですよ」
「でも、あの高倉の家で一晩過ごしたんでしょう? ああ、考えただけでもぞっとする……おぞましいっ!」
「これ、美津っ!」
あまりにもひどい妻の言葉に、思わず貞雄は大声で怒鳴った。それは、彼が初めて妻に声を荒げた瞬間だった。
その怒鳴り声に、美津はピクッと震え、怯えた眼差しを夫に向けた。
「自分の意志で嫁に行ったならまだしも、その先代の娘は現社長の伯父夫婦に追い出されたと聞いている。あまりにも不憫ではないか。先代と親しかった人々は、その娘が工場を救うために自ら犠牲になったと語っているのだぞ。表面の事実だけで、人を判断してはならない!」
「も、申し訳ございません」
「分かったならそれで良い。まあ、まずは世話係として働いてもらいながら、この村上家にふさわしい嫁かどうかを見定めれば良いのではないか。そうだろう? 国雄」
「もちろんそのつもりです。いきなりでは母さんも驚くだろうし、彼女も警戒すると思うので、少しずつ段階を踏もうと思っています」
「ほう、そこまで考えているのなら、もう何も言うまい。嫁候補としてせいぜい尽力してもらえ」
貞雄はそう言ってニヤッと笑うと、二人を残して部屋を出ていった。
「すみません、母さん。でも、これはもう決めたことですから」
「分かったわ。ただ、私はそのお嬢さんとうまくやれないかもしれないけれど、許してちょうだいね」
「分かってますよ」
国雄はそう答えると、穏やかな笑みを浮かべた。
その頃、千代の家では賑やかな時間が過ぎていた。
夕食の後、紫野が国雄からもらったシュークリームを、千代と千代の姪のキヨ、その婿のタケシに振る舞った。
「ほ~、私たちにまでこんな上等なお菓子をくださるなんて……ありがたいねぇ」
「俺、シューなんとかっていう菓子を見るのは初めてだぞ」
紫野は微笑みながら、三人に言った。
「たくさんいただいたから、どうぞいっぱい召し上がれ」
「「いただきます!」」
キヨとタケシはさっそくシュークリームを一口食べてみる。
「うわぁ、こりゃすごく美味いな!」
「本当! ほっぺたが落ちそうだわ!」
あまりの美味しさに驚きながら、二人は笑顔で食べ続ける。
「さ、千代も食べてみて」
「ありがとうございます。ところで紫野様、本当に明日、村上家へ行かれるのですか?」
「ええ。ここへ置いてもらってもう二週間だもの。私もそろそろ次の生活へ移らないとね。長い間お世話になり、本当に感謝しています」
「うちは、いつまでいてもらっても構わないんですよ。でも、まさか紫野様が、あの村上家にお世話になるとは思いもしませんでした。ばあは驚き過ぎて、ひっくり返りそうですよ」
「自分でも驚いているわ。でも、せっかくのお誘いだから行ってみようと思うの。だから、千代も応援してちょうだい」
「もちろん、応援していますよ」
千代は感極まって目尻に涙を浮かべていた。それに気付いた姪のキヨが、千代に優しく声をかけた。
「おばちゃん、せっかく紫野様が前に進もうとしているんだから、明るく送り出してやりなよ」
すると、婿のタケシも言った。
「そうだよ、おばさん。今は女もどんどん社会へ進出する時代なんだ。それに、村上家ならきっと大事にしてくれるはずさ。あそこで働く人たちはみんな大切にされているって評判だから、大瀬崎の家とは違うと思うよ」
「そうそう、だからきっと大丈夫よ」
「そうだね……村上家の当主様は、情に厚く素晴らしいお人柄だと評判だしね……」
ぽつりと呟く千代に、紫野が明るく声をかけた。
「そうよ千代、だから心配しないで! それに、ここから近いんだから、休日には会いに来てちゃんと報告するから安心して!」
「本当ですか? それなら、ばあも安心して送り出せます」
「ふふっ、約束するわ」
紫野は無邪気な笑顔を浮かべながら、シュークリームを一口頬張った。
すると、中のクリームが皿の上に全部落ちてしまい、キヨとタケシが声を上げて笑った。
「あらあら紫野様、クリームが全部落ちちゃいましたよ」
「これ、食べるのが難しいわ。どうやって食べたらいいのかしら?」
「皮の部分でクリームをすくうのがいいかもしれませんね。 それにしても、とろけるように甘くて絶品ですわ~」
その夜、千代の家の茶の間には、楽しげな笑い声がいつまでも響き渡っていた。
コメント
32件
難しいそうなお母さんも紫野ちゃんだったら大丈夫だよ。それにしても村上家当主様は立派な方だわ。紫野ちゃんの置かれてた立場も理解されてて,国雄さんの気持ちもわかってて2人に取っては心強い味方❤️
くにおパパが理解ある人で良かった。シノちゃんならきっとくにママも理解してくれると思います。いつか伯父一家が村上家に押しかけてシノちゃんを貶そうとしても村上家総出で守ってくれると信じています
将来のお嫁さんとして側に置きたいって国雄さんは誠実だよ。 それにお互い運命の人なんだろうな(*≧▽≦)ノ♡ 理解ある父で良かった。 母だって紫野ちゃんと接していくうちに打ち解けるといいなぁ(。•̀ᴗ-)و ̑̑