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82
#王子
すっこ
173
#主人公最強
杯雪乃
1,309
八枚目の死亡通知。
氏名。
水城千佳。
死亡日時。
十五年前。
六月十八日。
午後十一時四十分。
そして。
作成者。
私は、
その名前を読んだ。
相原美緒。
「あなたが……」
目の前の女は、
静かに頷いた。
「そう」
「八枚目を作ったの?」
「十四歳のときにね」
美緒。
みお。
私と、
同じ名前。
漢字だけが違う。
「死亡通知を作ったのは母じゃなかったの」
「最初の七枚は千佳」
美緒が言った。
「八枚目だけ、私」
「どうして」
「同じことを返したかったから」
「同じこと?」
「千佳は、人の人生が壊れる日を死亡日って呼んだ」
美緒は八枚目を見る。
「だったら」
少し笑う。
「千佳の人生が壊れる日も、通知してあげようと思った」
十四歳。
母によって名前を消された少女。
母によって、
存在しないことにされた少女。
その子が、
母の作った死亡通知を真似した。
「でも」
私は言った。
「母は本当に心停止した」
「それは私じゃない」
「じゃあ誰」
美緒は、
高瀬の名前を口にした。
「高瀬隆志」
私は息を止めた。
「高瀬さんが?」
「私が八枚目を送ったことを知って、利用した」
十五年前。
八枚目。
六月十八日。
午後十一時四十分。
高瀬は、
その時刻に母が倒れれば。
死亡通知が本物に見えると考えた。
「久我を使った?」
「そう」
鎮静薬。
母の心停止。
八分。
「私は」
美緒が言った。
「千佳を怖がらせたかっただけ」
「それで済むと思ってる?」
「思ってない」
即答だった。
「私が紙を書かなければ、高瀬はあの方法を思いつかなかったかもしれない」
美緒は自分の手を見る。
「だから私も加害者」
この事件では、
誰も。
被害者だけではいられない。
*
「今の死亡通知は?」
私は訊いた。
「あなた?」
美緒は頷いた。
「私が作った」
父が立ち上がった。
「じゃあ高瀬を殺したのも」
「違う」
「久我は?」
「違う」
「恵美は!」
美緒の顔が、
初めて歪んだ。
「お母さんは」
「お母さん?」
私は聞き返した。
美緒は、
篠宮恵美の箱へ手を置いた。
「私を産んだ人」
部屋が静まり返った。
美緒が、
三つの箱を金庫から出した。
一つ目。
水城千佳
二つ目。
相原奈緒
三つ目。
篠宮恵美
「開けて」
私が言う。
「そのために来たんでしょう」
美緒が頷く。
*
最初の箱。
新生児識別票。
血液型。
二十九年前のカルテ。
そして、
数年前に母が行ったDNA鑑定。
母。
水城千佳。
娘。
そこに書かれていた名前。
篠宮ひかり。
私は、
息を止めた。
「ひかりさんが」
美緒が言う。
「千佳の実の娘」
死んだと記録された、
母の赤ん坊。
死んでいなかった。
記録だけが、
死んでいた。
二つ目。
相原奈緒。
娘。
DNA鑑定。
私は、
自分の名前を見た。
水城澪。
何度読んでも、
変わらなかった。
「私……」
声が出ない。
「奈緒さんの?」
父が、
目を閉じた。
知っていたのだろう。
少なくとも、
途中からは。
「奈緒さんが」
私は言った。
「私を母に渡した?」
由紀子が答えた。
「最初は」
生まれる前。
奈緒は、
自分の娘を母へ託そうとした。
この子を千佳に渡してください。
私の娘として残してはいけません。
でも。
三か月後。
返してほしいと言った。
母は、
返さなかった。
「だから」
私は呟いた。
「母は私を誘拐したの?」
誰も、
簡単には答えられない。
美緒が言った。
「最初は預かった」
「でも返さなかった」
「そう」
「じゃあ」
「どの言葉を使っても」
美緒は言った。
「千佳が澪の人生を勝手に決めたことは変わらない」
私は、
二つ目の箱を閉じた。
三つ目。
篠宮恵美。
DNA鑑定。
娘。
相原美緒。
目の前の女。
「だから美緒さんが」
「三人目」
「名前を持ってなかった子?」
「そう」
美緒は、
自分の名前を見つめた。
「水城澪になったこともある」
「篠宮ひかりになったことも?」
「ある」
「相原美緒も?」
「借りた名前」
「本当の名前は?」
美緒は、
少し笑った。
「ないよ」
私は何も言えなかった。
「出生届が出されてないから」
二十九年前。
篠宮恵美の娘は、
生まれていないことにされた。
三人の母。
三人の娘。
なのに。
記録の中では、
二人しかいなかった。
だから母は、
三人目を。
二人の名前の中へ隠した。
澪。
ひかり。
二つの名前を、
三人で使わせた。
「本当の名前に戻したら死ぬって」
私は訊いた。
「どういう意味だったの」
美緒は答えた。
「身体が死ぬんじゃない」
やっぱり。
「戸籍上」
「そう」
存在しない人間を、
突然存在させる。
その瞬間。
今まで美緒として生きてきた経歴。
別の名前で作られた学籍。
医療記録。
家族関係。
全部、
一度死ぬ。
母が最初に作った死亡通知と同じ意味。
名前を失っても、人は死ぬ。
母は、
最後まで。
死亡という言葉を、
二つの意味で使っていた。
*
地下資料室の扉が開いた。
足音。
一人の女が入ってくる。
私は、
すぐ分かった。
「ひかりさん」
篠宮ひかり。
三年前に死んだことになっている女。
父と九年間暮らした、
もう一人の娘。
彼女は、
父を見る。
「久しぶり」
父の目から、
涙が落ちた。
「生きてたんだな」
「うん」
「どうして連絡を」
「したら、また誰かの娘に戻されるから」
ひかりは言った。
「三年間、一人で生きてみたかった」
そして。
水城千佳の箱を見る。
「やっぱり」
「知ってた?」
私が訊く。
「たぶんって」
ひかりが答える。
「でもDNAの紙を見るまでは、決めたくなかった」
私は、
三人を見た。
水城澪。
篠宮ひかり。
相原美緒。
本当は。
そのどれもが、
本当で。
どれも、
嘘だった。
「じゃあ名前を返すって」
私は言った。
「どうするの」
美緒が三枚の紙を出した。
空欄。
希望氏名
母が用意していたものだった。
三人が、
自分で名前を書くための紙。
私は笑った。
「また書類」
母は最後まで、
紙が好きだったらしい。
ひかりが先に、
ペンを取った。
迷わず書く。
篠宮ひかり
「そのまま?」
私が訊く。
「うん」
「母の実の娘なのに水城じゃなくて?」
「関係ない」
ひかりは言った。
「私がこの名前で生きてきたから」
次。
美緒。
紙を見る。
長い間、
何も書かなかった。
そして。
相原美緒
と書いた。
「奈緒さんの娘じゃないのに?」
私が訊く。
「奈緒さんが」
美緒は言った。
「初めて私にくれた名前だから」
本当の母親。
本当の名字。
そんなものだけで、
人生は決まらない。
最後。
私。
空欄。
ペンを持つ。
水城澪。
母が、
私に与えた名前。
偽造された出生届。
嘘の家族。
奪われた人生。
それでも。
二十九年間。
私が生きてきた名前。
私は書いた。
水城澪
父が泣いた。
「いいのか」
「うん」
「千佳の名字だぞ」
「だからじゃない」
私は答えた。
「私が使ってきた名字だから」
母から返された。
なら。
今度は、
私が選び直す。
同じ名前を。
自分の意思で。
それだけで。
少しだけ違う名前になる気がした。
*
「一つだけ」
私は美緒を見る。
「まだ聞いてない」
「何」
「母を殺したのは誰?」
地下が静かになる。
母の死亡診断書。
午後十時四十分。
そのあと、
一時間以上生きていた。
早すぎた死亡届。
三田村。
現在の死亡通知。
「あなた?」
美緒は首を振った。
「千佳を先に死者にはした」
「死亡診断書を作った?」
「そう」
「三田村さんに出させた?」
「千佳が死んだって嘘をついた」
三田村が顔を伏せる。
「俺は確認しなかった」
「どうして」
「千佳から前に頼まれていた」
三田村が言った。
「もし自分に何かあったら、七枚を澪に届けろって」
そこへ美緒が、
母は死んだと伝えた。
偽造された死亡診断書。
三田村は、
信じた。
午後十一時四十分。
母がまだ生きている間に、
死亡届を出した。
「でも」
私は訊く。
「実際に母が死んだのは?」
真壁が、
一枚の新しい鑑定結果を出した。
「再検査の結果が出ています」
全員が見る。
「薬物による致死量の中毒は認められませんでした」
「じゃあ」
「直接の死因は、重度の不整脈」
「自然死?」
「医療的には、その可能性が最も高い」
母の心臓。
十七年前。
十三分間停止。
十五年前。
八分間停止。
何度も、
傷ついていた。
その心臓が。
最後に、
止まった。
「誰も殺してない?」
私は訊いた。
真壁は、
慎重に答えた。
「少なくとも、現時点で誰かが直接殺害した証拠はありません」
私は、
笑った。
本当に。
笑うしかなかった。
最初から。
母を殺した七人なんて、
いなかった。
*
「じゃあ高瀬さんたちは?」
私は美緒に訊いた。
「今の死亡通知で死んだ人たち」
美緒の顔から、
笑みが消える。
「私が始めた」
「人が死ぬと分かってて?」
「最初は、死なないように作った」
また。
その言葉。
最初は。
母も。
美緒も。
同じ。
「高瀬には、自分の罪を告白すれば通知が無効になるようにした」
「でも死んだ」
「逃げたから」
「久我は?」
美緒は黙る。
「由紀子さんを刺したのは?」
「私」
父が立ち上がろうとする。
真壁が止める。
美緒は、
逃げなかった。
「恵美さんは?」
私は訊いた。
美緒の目から涙が落ちる。
「私のせい」
「実の母親なのに?」
「知らなかった」
声が崩れた。
「通知を送ったときは」
美緒は、
箱を抱く。
「篠宮恵美が私の母親だって、知らなかった」
母と、
同じだ。
誰かを守ろうとして。
誰かの人生を動かして。
その人が誰なのかも、
本当には知らない。
「だから終わらせたかった」
美緒が言う。
「全部集めて」
「だからって」
私は遮った。
「人を傷つけていい理由にはならない」
美緒は頷いた。
「分かってる」
「分かってない」
「今は分かる」
「母もきっとそう言った」
美緒が、
何も言えなくなった。
私は、
初めて分かった気がした。
母を許せない理由。
それは。
母が悪人だったからじゃない。
守ろうとしたから。
愛していたから。
その愛を理由に、
人の人生を決めたから。
美緒も、
同じことをした。
「真壁さん」
私は言った。
「お願いします」
真壁が美緒へ近づく。
「相原美緒さん」
美緒は両手を出した。
逃げない。
手錠がかかる。
「澪」
呼ばれる。
振り返る。
「ごめん」
私は首を振った。
「私に謝るだけじゃ足りない」
高瀬。
久我。
恵美。
由紀子。
ほかにも。
美緒が向き合わなければならない人はいる。
「生きて」
私は言った。
「自分で説明して」
美緒は、
泣きながら頷いた。
母には。
それができなかった。
だから。
せめて。
生きている私たちは、
生きたまま責任を取るしかない。
*
夜。
午後十一時四十分。
地下資料室。
七人分の椅子は、
空になった。
高瀬の席。
榊原の席。
父。
由紀子。
佐伯。
柿崎。
三田村。
母が、
「私を殺した七人」と呼んだ人々。
でも。
高瀬はもういない。
久我もいない。
恵美もいない。
そして。
生きている人たちも。
もう、
母を殺した七人ではない。
父は、
父でなくてもいい。
榊原は、
母の元上司でなくてもいい。
由紀子は、
母を裏切った親友だけではない。
佐伯は、
息子を失った父親だけではない。
柿崎は、
記録を改ざんした医者だけではない。
三田村は、
母の死亡届を出した男だけではない。
誰も。
母がつけた役名のまま、
生き続ける必要はない。
もちろん。
したことは消えない。
許されるわけでもない。
ただ。
その人の人生全部を、
一つの罪だけで呼ぶのをやめる。
それでいい。
私は、
母の八枚目の死亡通知を手に取った。
水城千佳。
紙を二つに折る。
そして。
破った。
一度。
二度。
三度。
今度は、
赤い文字は戻らなかった。
*
翌朝。
私は母の家へ戻った。
もう、
死亡通知はない。
テーブル。
母の写真。
遺品。
そして、
最後の手紙。
澪へ。
裏に、
まだ読んでいない一行があった。
母親をやめられたら、いつかあなたと話してみたかった。
私は、
しばらくその文字を見ていた。
「遅いよ」
誰もいない部屋で言った。
本当に。
遅すぎる。
生きているときに言えばよかった。
勝手に決める前に。
嘘をつく前に。
私を守る前に。
私に訊けばよかった。
でも。
もう聞けない。
だから。
私は母を、
許さないままでもいい。
愛していたことを、
否定しなくてもいい。
両方、
持って生きる。
母と同じように、
どちらか一つに決めなくていい。
私は手紙を封筒へ戻した。
玄関へ向かう。
最後に、
一度だけ振り返る。
「行ってきます」
返事はない。
当然だ。
私は外へ出た。
スマートフォンが鳴る。
ひかりから。
今度、三人でご飯食べない?
少しして。
美緒からではなく、
真壁から連絡。
取り調べが始まったという報告。
私は返信する。
分かりました。
それから。
ひかりへ。
行こう。
家族なのか。
姉妹なのか。
他人なのか。
まだ分からない。
別に、
今決めなくていい。
私は、
水城澪。
奈緒から生まれ。
千佳に育てられ。
雅彦を父と呼び。
ひかりと名前を分け合い。
美緒と人生を取り違えた。
その全部が、
私だ。
母を殺した七人は、
もういない。
いや。
最初から、
そんな七人はいなかった。
いたのは。
母に傷つけられ、
母を傷つけ。
誰かを守ろうとして、
誰かの人生を奪った人たちだけだった。
そして。
私も、
その続きを生きている。
でももう。
誰かが書いた死亡通知に、
続きを決めてもらう必要はない。
私は歩き出す。
今日の予定は、
何も書かれていない。
死亡日時も。
本当の名前も。
正しい家族も。
未来も。
だから。
今度こそ。
自分で書けばいい。
コメント
1件
最終話、読了しました…!😭💦 もうね、最初から最後まで息もつかせずに読んじゃったよ…「母を♡♡♡た七人なんて、いなかった」って言葉、めっちゃ衝撃的だった。でもそれ以上に、澪が自分の名前を「自分の意思で」選び直すシーンが本当にエモすぎて泣いた。やっぱり名前って、自分で決めるものなんだなって思った。最後の「自分で書けばいい」って言葉、めっちゃ響いたよ…! 本当に素敵な物語をありがとうございます🌸✨