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風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町
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翌朝、ホテル名物の古い手荷物カートが、廊下をけたたましく走っていた。
ガラガラガラガラ、と木の床を揺らす音に、初めて泊まった客はたいてい驚く。宿泊常連は苦笑して道をあける。年代物の鉄輪が暴れるたび、誰かが必ず言うのだ。
「出た、ガラガラヘビ」
名づけ親が誰かは知らない。けれど、それ以上にぴったりな呼び名もない。
その日、ディアビレは山のようなリネンを積んだガラガラヘビの前輪に、ぎりぎりまで気づかなかった。廊下の角を曲がった瞬間、カートが想像以上の勢いで迫ってきたのだ。
「危ない!」
声より早く腕を引かれ、身体が強く後ろへ寄せられる。次の瞬間、カートは彼女のエプロンの端をかすめて壁にぶつかった。積まれていたシーツが雪崩みたいに落ちる。
ディアビレは誰かの胸にぶつかったまま、息を止めた。鼻先に、あのコーヒーの残り香がある。
「前見ろ」
ジナウタスだった。片手で彼女を支え、もう片方で倒れたカートを押さえている。思ったよりずっと近い距離に、寝不足の朝には危険すぎる低い声があった。
「見てました……たぶん」
「たぶんで歩くな。こいつは噛む」
そう言って、ガラガラヘビを横目で見る。ディアビレはこらえきれず、小さく吹き出した。
「名前、気に入ってるんですね」
「音の割に働くからな」
その一言が妙に可笑しくて、緊張がほどける。けれどほどけたのはそれだけじゃない。腰に回った手がまだ離れないことに気づき、急に頬が熱くなった。
ジナウタスはようやく腕を解き、落ちたシーツを拾い上げる。
「怪我は」
「ない、です」
「ならよかった」
あまりにも普通に言うから、余計に心臓がうるさくなる。ガラガラヘビはなおも不満そうに車輪を鳴らしていたが、ディアビレの耳には自分の鼓動の方が大きく響いていた。