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翌日のルーチェ港は、朝から空の色がおかしかった。青というより鉛に近い灰色で、海まで重たい布をかぶせたように鈍く光っている。港では船が早めの避難準備に入り、縄を巻く音と怒鳴り声が風にちぎれて飛んでいた。
ホテルでも窓の補強や非常灯の点検が始まり、普段は優雅な回廊に脚立と木箱が並ぶ。ダービーは走り回り、グラツィエラは備蓄表を抱え、ゲティは保安室と裏口を往復していた。
ラウールだけが、不安を笑いに変えようとして失敗する。
「なんか、明日、世界が終わる日みたいですね」
誰も笑わなかった。
その言葉が冗談に聞こえないほど、風の唸りは低く、空気は湿っていた。ディアビレはロビーの大時計を見上げ、それから窓の向こうの海を見た。まっすぐな水平線が、今日は少しだけ歪んで見える。
そこへ、セルマが帳場から全員を呼びつけた。顔色は悪いのに、声だけはいつも以上に鋭い。
「今夜、買収契約の最終確認を行います。明日の荒天前に話をまとめるの」
ざわめきが走る。
アルノー・カーデンもすでにホテル入りしているらしい。宿泊客の一部には、上階の特別室へ移動の案内まで始まっていた。
ディアビレは思わず前へ出る。
「こんな時に、売却の話を優先するんですか」
セルマの目が冷える。
「だからこそよ。天気は待ってくれない」
海鳴りが窓を震わせた。誰もが外の嵐に気を取られているのに、ここでは別の崩れ方が進んでいる。
ディアビレは唇を引き結んだ。明日どころか、今夜のうちに、この場所の未来が切り売りされるかもしれない。
ロビーの隅でジナウタスと視線が合う。彼は一度だけ、静かにうなずいた。
その合図は、まだ終わらせないという返事に見えた。
#恋愛
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