次の日から毎日のように葉月は笑顔でこの部室を訪れるようになった。
「失礼しま〜す!また来たよ!一澄くん!」
「また君か。ここ最近、ずっと来るよね」
「当たり前じゃん!新聞に出してもらうためだよ!ていうか、いつまで私のこと〃君〃って呼ぶの?」
「だから新聞には出さないって言ってるじゃないか…で、なんて呼んでほしい訳?」
「翠って呼んで!」
「は?なぜ?呼ぶ訳ないだろう?」
そこまで仲良くない奴になぜ呼び捨てで?
しかもなぜ下の名前で?
意味がわからない。意味がわからなすぎる。
「なんで!?いいじゃんか!私、一澄くんって呼んでるんだよ!?」
「だからなんだよ?逆に一澄くんって呼んでたら下の名前で呼んでくれると思ってた訳?」
「うん!そう思ってたよ? …えっ、違った!?」
「違うだろ。あと、絶対下の名前では呼ばないから」
男子が女子を呼び捨てなんてできるか。
なにせ陰キャの僕がだぞ?
変な噂が広まるに決まってる。
「えぇぇ…じゃあ!私のこと、下の名前で呼んでくれなかったらメール交換しないよ!?」
「はい?いや、そもそもメール交換したいなんて思ったことないんで」
「え。」
葉月は笑顔から顔色を変え、口をぽかんと開けた状態でフリーズしてしまった。
ほぼ知らないって言っても過言じゃない人の名前を呼び捨て、しかもメール交換って。
普通ならしたいと思わないだろ。
「こいつ…女子の誘いを断るとは…相当バカな奴なんだな…」
本人は聞こえてないと思っているのだろうがバリバリ耳に入ってくる。
「バカで悪かったな」
「うげっ!聞こえてんの!?耳良すぎかよ!」
「どんな驚き方だよ。聞こえてほしくないなら、もっと小声で言えよな」
「とにかく!下の名前で呼んでくれたらいいからさ!一回だけでいいから!お願い!」
なんか、ちょっと可愛い奴だな。
つい、からかいたくなるような性格だ。
「人にものを頼む時はなんて言うんだっけ?」
「…お願いします…」
なんと葉月は土下座をして言うものだから驚いた。
まさか土下座までするとは思ってなくて…。
土下座をしてほしかった訳じゃなかったんだけど…
「ちょ、顔上げろよ、もういいから…」
「ふっ…くっ…」
すると、葉月はお腹を抑えながら笑い出した。
何か変なことを言ってしまったか?
「な、なんだよ?」
「なに焦っちゃってんの?自分から言っといて焦る奴とかいるんだね〜!」
「はぁ!!?なんだよ!!」
とても恥ずかしい。
今の顔は絶対真っ赤だ。
絶対りんごみたいに赤い。
早く追い出すために、引っ張って部室から追い出した。
そして、二度と葉月が部室に入れないよう、扉の鍵を閉めた。
「ねぇって!ごめんって!もう絶対しないから!」
「一澄くん!開けてよ!」
廊下で葉月の声が響いている。
やりすぎてしまったか…。
でも、悪いのは葉月の方だ。
僕はしばらく無視をした。
葉月に何度声をかけられようと、扉を叩かれようと。
原因を作ってしまったのは僕だが、言い方というものがあるだろう。
けどやっぱりやりすぎてしまったか…。
「一澄くん…」
廊下から葉月の泣いているような声が聞こえた。
え…?泣いてる…のか…?
名前を呼んだ葉月の声は、どこか悲しみに溢れているような…そんな声だった。
さすがにやりすぎたのかもしれない。
自分の顔が真っ赤というのを見てほしくないだけで部室から追い出し、ましては扉の鍵を閉めてしまった。
当たり前、そんなことされたら泣くよな…
すぐに…謝らないと…。
鍵を開け、扉を開けた。
だけど、そこには葉月の姿はなかった──。
この少しの時間で、どこかに行けるか?
いくら陸上部でもオリンピック選手でも難しい。
瞬間移動か透明人間になるというなら話は理解できるが、僕達の世界にそんなことがある訳がない。
アニメの世界じゃあるまいし。
だが、その後も葉月が現れることはなく、その日を終えた。
いったいあの後、葉月はどこに行ったのか。
葉月は陸上選手だったのか、
または瞬間移動?透明人間?
そのことばかり家に帰っても考えていた。
考えてばかりでご飯も進まずにいた。
ご飯を食べるのを諦め、僕は自分の部屋に潜り込んだ。
自分の部屋に入ってはすぐにネットを開いた。
今日の葉月のことを調べてみたのだ。
だが、もちろん調べても何か出てくる訳もなく。
謎がどんどん生まれてくるばかりだった。
次の日、妹の世話があり、少し遅刻気味に学校へ向かった。
急いで教室に入ると、教室がやけに静かだった。
いつもなら廊下まで騒がしい声が聞こえるというのに、今日はまるで誰もいないかのような教室だった。
よく見てみれば、窓側の奥の席に鮮やかな花が花瓶に入って机に置かれていた。
確か、あそこの席は葉月と同じくらい明るい、桜香 朝日(おうか あさひ)さんの席だったような。
なぜ花が?なぜみんな静かなんだ?
これじゃあ、まるで…桜香 朝日さんが亡くなったみたいじゃないか。