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「運命……ですか?」
科学的にも、医学的にも証明できない運命……
奇跡……
医師としての自分を支えるため。
そして、自分を慰めるために何度も言い聞かせてきた言葉でもある。
「……そうですね。信じてます」
彼を見つめ直し、私は静かに頷いた。
「そうか。俺も信じてる。
亜紀ちゃんと衝突したあの夜の出逢いも、落とした指輪を俺が見つけて再会できたことも、今こうして亜紀ちゃんと星を眺めていることも。
全部、俺たちの巡り合わせ。
運命だと思ってる」
今泉さんは無数の輝きを放つ夜空を仰ぎ、満面の笑みを浮かべた。
耳を澄ませば、さわさわと揺れる草木の囁きと、風の唄が聞こえる。
「亜紀ちゃんは亜紀ちゃんらしく。
自然体でいれば、必ず動き出すタイミングが見えてくる。
二人の運命に身を任せるのも、いいんじゃない?」
そう言葉を重ねると、相槌を求めるように口元を緩め、私へ視線を向けた。
「はい……そうですよね」
私は彼に返事をすると、とりとめのない想いを胸にしまい込み、そっと笑みを浮かべた。
その後、私と今泉さんはオフィスから車で五分ほどの場所にある和食の小料理屋で夕食を済ませた。
会話を楽しみながら過ごす時間も、私の心には、どこか燻るものが残っていた。
もどかしい……
心がざわつく……
苛立ちにも似た、この感情。
何……この感情は……
私は一体、何にはがゆさを感じているの?
煮え切らない私自身に?
それとも、どんな時も冷静さを失わない彼に?
「……」
駅へ向かって車を走らせる今泉さんの横顔へ一瞬だけ視線を向ける。
けれど、絶え間なく疼く胸の痛みに耐えきれず、私は流れていく夜の景色へと目を逸らした。
「亜紀ちゃんが乗り換える駅まででいいかな?」
信号待ちでブレーキを踏みながら、今泉さんが尋ねる。
「はい。あ、でも今泉さんは今から会社へ戻るんですか?」
胸の内を悟られないよう、私は何気ない笑みを作って問い返した。
「うん。まだ少しやり残した仕事があるからね。
……御主人は、もう帰ってるの?」
「……はい。
そろそろ帰って来る頃だと思います……」
私は赤信号をぼんやりと見つめたまま、小さく答えた。
「そうか。なら急いで帰らないとね。
男が女より勘が鈍いと言っても、今までより夜の外出が増えれば怪しまれるに決まってるから」
「その辺は……うちは大丈夫だと思います。
お互い定時なんてない、二十四時間呼び出し覚悟の仕事ですから……」
闇に浮かぶ信号機を見つめたまま、私は苦笑いをこぼした。
「ねぇ、亜紀ちゃんの職業って……」
「……」
「……まぁ、いいか。
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それだけ大変な仕事だからこそ、やり甲斐を感じられるんだよな。亜紀ちゃんは」
途中まで口にした言葉を飲み込むように、今泉さんは穏やかに微笑んだ。
「……今泉さんは、私の私生活について何も聞かないんですね。いつも、私が一人でペラペラ喋ってるだけ。
私は今泉さんのことを、もっと知りたいのに……」
聞きたいのに……
それは、聞いちゃいけないの?
それが秘密の関係の……
麗香の言う『大人のルール』なの?
今泉さんは、私をもっと知りたいとは思わないの……?
「……」
喉まで込み上げた言葉を飲み込み、やるせない気持ちのまま目を逸らした。
「俺が亜紀ちゃんの職業を聞かないのが、不満なのかな?」
「えっ……」
「亜紀ちゃんが醸し出す雰囲気や会話で、大体のことは察しがついてる。
でも、亜紀ちゃんが言いたくないことは、言わなくていい。
だって、ためらいがなかったら、とっくに自分から話してるでしょ?」
信号が青へ変わるのを確認すると、今泉さんは再び静かに車を走らせた。
「大体察しはついてる……そうですか。
そうですよね……」
有能な外科医と言われる夫は浮気を繰り返し、
真面目で堅物の女医と言われる妻は、慰めを求めて別の男に恋い焦がれる。
なんて背徳的な夫婦関係。
私たちに命を預ける患者さんの立場からすれば、
【不純】
【不潔】
【不埒】
……あらゆる【不】を浴びせられても当然の行為だ。
「何やってるんだって……軽蔑しますよね……」
俯いたまま、自嘲するように呟いた。
「軽蔑……? 何で?」
今泉さんは驚いたように私を見た。
「人と人との繋がりに、社会的立場なんて関係ないだろ?
もちろん、秘密を守る努力は必要だけど。
世の中には本当に悪い人間がたくさんいる。
……それとは違う。
いつも人のために頑張ってる人間が、ちょっと甘い蜜を吸って何が悪い。
そこには罪悪感だって葛藤だって存在する。
これは、誠実な人間であるために必要な裏と表だよ。
人間らしく生きるための裏と表……これも俺の持論だけどね」
今泉さんはフロントガラスを見つめ、わずかに目を細めたあと、穏やかに微笑んだ。
「誠実な人間であるための……裏と表……」
自分を保つための……
人間の裏と表……
――この言葉、どこかで聞いたような……。
眉を寄せる私をちらりと見て、今泉さんは悪戯っぽく声を弾ませた。
コメント
1件
うわあ、この回すごく好きだ……。亜紀ちゃんの「もどかしい」っていう心のざわつき、すごく伝わってきた。自分でもわかんない感情に名前がつけられなくて、でも胸が痛くて。今泉さんの「人間らしく生きるための裏と表」って言葉、めっちゃ染みるわ。彼が何も聞かないスタンスなのも、逆に亜紀ちゃんを追い詰めてる気がして切ない。二人の距離感、丁寧に描かれてて引き込まれた。