大宮の運転でマルヨシへ向かう社有車の中で、私たちは先方に着いてからの段取りを確認し合う。
「……というわけで、今日は大口契約に向けての打ち合わせなわけだ」
私は軽く唸り声をあげる。
「やっぱり、私がいなくても大丈夫な案件ですよね」
「そんなことないよ。だって、特に事務に関する代理店からの問い合わせ対応って、早瀬さんたちがやってくれてるわけだから。正直言うとさ、俺一人でマルヨシさんに絡むのは心細かったんだ。だから助かる」
「またまたそんなこと言って。聞いてますよ?前にいた支店で、いくつも大口手掛けてたって」
大宮は前を見たままアハハと笑う。
「そうなんだけどね。それでもやっぱりさ、地元をよく知る人と一緒って言うのは心強いんだよ」
そんな話をしているうちに、今日の訪問先である「マルヨシ不動産」の看板が見えてきた。大宮は建物の前にある駐車場に車を止める。
「それじゃ、早瀬さん、今日はサポートよろしくお願いします」
「はい。頑張ります!」
二人して気合を入れるように言葉を交わし、車を降りる。店舗に足を踏み入れ、出迎えてくれた女性職員に用件を伝えた。
「お待ちしていました。どうぞご案内します」
彼女の後に続いて、私たちは店舗の奥に向かう。
廊下をさらに進み、奥の一室の前で足を止めて、彼女はドアを軽くノックした。中からの返事を確かめてからドアを押し開く。
「社長、お客様がいらっしゃいました」
「おぉ、わざわざ悪かったね」
社長と呼ばれた白髪の男性が、にこやかな顔で私たちを手招きした。
「本日はお時間を割いて頂き……」
大宮がドアの所で挨拶の言葉を述べようとするのを社長は止めた。
「まずは中に入りなさい。……おおっ、早瀬さん!」
大宮の後ろに控えていた私に気がついて、社長のにこやかな顔がさらに笑みを増す。
「よく来てくれた!すまなかったね、私の我がままで引っ張り出してしまって。しばらく顔を見ていなかったが、元気そうだね」
「はい、おかげさまで。いつも当社にお力添えを頂き、本当にありがとうございます」
私は丁寧に頭を下げた。
「そんな堅苦しいのはいいから。ほら、大宮君が座らないと早瀬さんが座れないだろう」
「は、はい。では失礼します……」
大宮は困惑気味に、しかし営業スマイルは忘れることなく、勧められたソファに腰を下ろした。私もそれに倣って、大宮の隣に座る。
「さて、と。早速仕事の話に入ろうか」
社長の方から言い出してくれたことに、大宮はほっとしたような顔をする。
「はい、では早速。早瀬さんは、設計システムを立ちあげておいてくれますか。あとでシミュレーション、お願いしたいので」
「はい、分かりました」
私は持参したノートパソコンを開いた。
話はスムーズに進み、予定していた時間よりも打ち合わせは早く終わった。
大宮と社長が今後の段取りを確認し合っているうちに、私は机の上に広げていた資料やパソコンを片づける。
「それではご契約日が決まりましたら、私が同行させて頂きますので、よろしくお願いいたします。また何かありましたら、いつでもご連絡下さい」
大宮は言って、私を見た。帰るという合図だ。
私は微笑みながら頭を下げる。
「社長、本日はありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。それでは私共はこれで……」
挨拶を終えて立ち上がろうとしたが、社長に引き留められた。
「もう少しだけ、時間いいかな?実は相談があってね」
「相談、ですか?」
私と大宮は顔を見合わせた。
「実は息子がね、うちで働くことになったんだよ。それでさ、保険の方を任せたいと思ってるんだが、ほらなんて言ったかな、研修生だっけ?それで少し経験を積ませたいと思うんだ。どうだろう、大丈夫だろうか」
「特に問題はないかと」
大宮が頷くのを見て、社長は安心したように口元を綻ばせた。
「それなら、早速そういう方向で話を進めてもらおうかな」
「承知しました。戻り次第、準備に入らせていただきます」
「よろしく頼むよ。そうだ。先に息子に会っておいてもらおうか。その方が何かとスムーズだろう?なんだったら、後は直接やり取りしてくれていい。逐一私を通すのも煩わしいだろうからね。ちょっとだけ待っててくれるかな」
社長は立ち上がり、その息子を呼ぶべく部屋を出て行った。
ドアがパタンと閉まってから、私と大宮は小声で話し出す。
「早瀬さんて、ほんと、社長に気に入られてるんだね」
「気に入られてる、というか。何かと優しくして頂いていますね」
そのきっかけとなった理由を当時の上司から聞いた。初対面での私の対応が良かったのだという。そしてそれ以来、ありがたいことに、マルヨシの社長は私に対して好意的に接してくれている。
「社長の息子さんて、どんな人なんだろうね。やっぱりあんな感じの人なのかな」
「どうなんでしょうね。確か二人いるんですよ、息子さん。どっちの人なんだろう」
そんな話をしているところにノックが聞こえてすぐにドアが開く。
「待たせてしまったかな」
「いえ、大丈夫です」
大宮が首を振る傍で、私はドアの向こうに目をやった。人影が見えた。
「宗輔、早く入ってきなさい」
「……失礼します」
低いがよく透る声だと思った。じろじろ見るのは失礼だと思い、目を伏せて彼が入ってくるのを待つ。
パタンとドアが閉まった。
大宮が立ち上がったため、私も目を伏せたまま一緒に立ち上がる。宗輔と呼ばれた彼の靴先が目に入り、全然仕事とは関係のないことを思う。
大きい足ね――。
社長が息子に言うのが聞こえる。
「うちでお世話になっている保険会社の、大宮さんと早瀬さんだ。これからは、お前もお世話になる方たちだ」
「高原宗輔と言います。父ともども、これからよろしくお願いします」
高原?いや、でも、まさかそんな偶然……。
私はごくりと生唾を飲み込む。そう言えば、屋号にばかり気が向いていてうっかり忘れていたが、マルヨシの社長の姓は「高原」だ。「マルヨシ」の社名は、創始者の名前の一文字を使ったものだと聞いたことがある。
「我々こそ、お世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
大宮の言葉が頭の上をすうっと通りすぎて行く。恐る恐る頭を上げた私の前に立っていたのは、「あの」高原本人だった。
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