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驚きのあまり、頭の中が真っ白になった。しかしすぐさま態勢を立て直し、表情を取り繕う。
一方の高原は、私の顔を見た瞬間に片方の眉をぴくりと動かしたきり、ポーカーフェイスを崩さない。
私たちの間には微妙な緊張感が漂ったはずだ。しかし社長も大宮も気づいた様子はなかったようで、そのことにほっとする。
社長と大宮が座ったため、私もやむを得ず再びソファに腰を下ろした。
「ほら、宗輔も座って」
社長に促されて高原も座ったが、その位置が私の真正面だったから気まずくて仕方がない。
早く帰りたいと思っている私の隣で、大宮が今後の流れをざっと説明する。
「――と、なります。それで、ご足労なのですが、高原さんには一度当社へおいでいただきたいのです。ご記入頂きたい書類などは、それまでにご用意いたしますので。よろしいでしょうか?」
「分かりました」
「なお今後は、こちらの早瀬と一緒にサポートさせていただきますので、何かありましたらいつでもご相談ください」
「私も、ですか?」
大宮の言葉に思わず口を挟んでしまった。
彼は当然と言うように私を見て大きく頷く。
社長が満面の笑みを浮かべた。
「早瀬さんも一緒に担当してくれるのなら安心だな」
担当……。
うっかりつぶやきかけて、はっとする。困惑を悟られないよう気をつけて笑顔で答える。
「しっかりとサポートさせて頂きます」
「よろしく頼んだよ」
「はい」
社長に頭を下げてから、正面に座る高原に向き直った。仕事なのだからと気を引き締める。強張りそうになる頬を引っ張り上げて笑顔を作った。どうせまたあの日と同じく、愛想のない態度に決まっていると思いながら、私は彼に訊ねる。
「高原さんにおいでいただく日ですが……。ここで決めてしまってもよろしいですか?」
「はい、構いません」
私は目を見張り息を飲んだ。彼が微笑んだからだ。社長も大宮もいるというのに、その顔をまじまじと見つめてしまった。本当に同一人物なのかと疑いたくなるほど、例の飲み会の時とのギャップがすごい。
高原は私の反応に気がついたはずだが、あえてなのか、柔らかな笑みを浮かべたままだ。
彼を見て動揺したことを隠すように、私は急いで手帳のカレンダーに目を落とした。冷静になろうと努めながら、ページをめくる。
「えぇと……。もしも十月からスタートするのでしたら、例えば来週の金曜日の午後などはいかがでしょうか?そうしますと、手続きのタイミング的にちょうどいいのですが。それとも、他にご希望の日時はおありですか?」
「いつでも大丈夫です。早瀬さんのご都合に合わせます」
「そうですか。それでは……」
少し考えてから時間を提示する。
「来週の金曜日、午後三時半はいかがですか?」
言ってから、高原の意思を確認しようと顔を上げた。彼の視線とぶつかり、落ち着かなくなる。
彼は私を真っすぐ見つめながら首を縦に振った。
「大丈夫です。その日、その時間に伺います」
目を逸らしたくなるのを我慢する。彼の視線から逃げたら負けのような気がした。それに、どことなく彼の目が面白がっているように見えて気に食わない。彼の切れ長の目を負けじと見返し、私は仕事用の笑顔を貼り付けて言った。
「当日、お待ちしております」
週が変わってその当日がやってきた。
高原がやってくるのは午後だが、私は朝から緊張していた。この前は自分と高原以外の人間がいたが、今日は違う。一対一で会うのだ。嫌いだという態度をちらとも見せることなく、最後まで対応しきれるようにと、いつも以上に気を引き締める。
約束の時間まではあと四時間。
今の仕事をある程度終わらせておこうと黙々とパソコンに向かっていると、戸田が声をかけてきた。
「早瀬さん、どうかしましたか?何か面倒な仕事でも?また課長から嫌がらせとか?」
「え?」
「いえ、なんか眉間にすっごくしわが寄ってるから」
はっとして私はキーボードを叩く手を止めた。
「あぁ、特に何がってわけじゃなくて、今日の午後、研修生対応するでしょ?久しぶりだから、少し緊張しちゃってるだけ」
「あぁ、今日でしたね。マルヨシの社長の息子さんでしたっけ?」
「そうよ」
頷く私に、戸田は首を傾げた。
「ご兄弟がいましたよね?どちらの方なんですか?」
「お兄さんの方ね。弟さんの方は建築士になって東京の大手ゼネコンで働いてるんだって。ほんとは二人で家業を手伝ってほしかったんだけど、なんて、社長は言ってたけどね」
その時近くを通りかかった久美子が話の中に入って来た。
「ねぇ、今度の研修生さんは独身なの?」
「そうみたい」
「イケメン?」
私は肩をすくめた。
「どうだろう?」
「どうって。会ったんでしょ?」
「まぁね」
口ごもる私の肩に、久美子はぽんと手を置いた。
「チャンスだよ」
「チャンスって何が?」
「だって、あのマルヨシのご子息なんでしょ?御曹司ってやつよ。誰もが憧れる玉の輿だよ」
私は深々とため息をついた。
「関係ないわよ。ただの仕事上のお付き合いなんだから」
せめてもう少しマシな出会い方をしていたら、私も久美子のように、少しくらいは思ったかもしれない。しかしあの出会い方では発展のしようがないし、発展させたいとも思わない。縁はないだろう。
「勿体ない。せっかくの出会いなのに」
久美子が大げさにため息をつく。
そこに大宮が近づいてきた。申し訳なさそうな顔をしている。
「早瀬さん、今日はよろしくね。同席できなくて悪いんだけど……」
「いえいえ。大宮さんも、契約、頑張ってください。それに私の方は大丈夫です。今日は簡単な説明と、書類を書いて頂くだけですから」
「もしも何かあったら、後で教えてください。フォローするので」
「その時はよろしくお願いします。行ってらっしゃい」
私たちに見送られて、大宮は出かけて行った。
「さて、私も仕事に戻るか」
久美子も自分の席に戻っていく。
周りが静かになったと同時に、大木の声が飛んできた。
「早瀬さん、ちょっといいかな」
「はい」
また面倒事を頼まれるのかと気を重くしながら、私は大木のもとへ向かった。
「この稟議書なんだけど、今日の便に乗せたいんだ。資料揃えて作ってもらえるかな」
「えっ、今日の便ですか?今日は午後三時半に研修生登録予定の方とお約束があって……」
「あぁ、分かってるよ。だけどまだ時間あるよね?早瀬さんならできるでしょ?」
笑みを浮かべながら言ってはいるが、その目は笑っていない。
いつもの大木の嫌がらせだ。私が「できない」と言わないことを見越して、このタイミングで言ってきたのだろう。
腹は立つが、今日の便に間に合わせる自信はあった。高原の対応以外に大きな仕事は抱えていないから、お昼を抜けば間に合う。
「承知しました。早速取り掛かります」
「頼んだよ」
大木がふっと鼻で嗤う。
私は奥歯をきりっと噛みしめた。