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中学時代。
保健室の空気は、いつも少し埃っぽくて、薬品と古いシーツの匂いが混ざっていた。窓は閉め切られていて、午後の陽の光だけがまっすぐ差し込んで、白いベッドの端を鈍く照らしていた。
たぶん、あのとき俺は熱があった。というより、毎日どこか具合が悪かったから、呼吸が浅いのも、吐き気がするのも、いつものことだった。
その日は偶然、もう一人、同じクラスの男子が保健室にいた。名前は忘れていない。今でも、夢に出るくらいには。
彼はベッドに腰かけて、水筒を抱えたまま俺のほうをちらっと見た。何か言うでもなく、ただ数秒見て──そのまま顔をそらした。
そして、ぽつりと笑ったような声で、こう言った。
「おまえ、ずっと見てると……ちょっと笑えるよな」
なんて意味のない一言だったのかもしれない。
それとも、俺には意味がありすぎたのかもしれない。
あれは“からかい”だったのか、何かの悪意だったのか。
──それとも、違ったのか?
俺は、わからなかった。
けど、なぜかその言葉が、胸の奥でひっかかった。
笑われた? 見下された? それとも、違う?
彼は、それ以上は何も言わずに、眠るふりをした。
俺は動けなかった。
何も言えずに、ただその横顔を見つめていた。
顔の輪郭も、唇の色も、襟元からのぞいた鎖骨も──
まるで、触れたら砕けそうなものみたいに見えて。
「話しかけてくれた」
たったそれだけのことで、俺は体の奥がぐらりと揺れた。
いつも「おまえの顔、気持ち悪い」と言われ、
「存在が鬱陶しい」と言われてきた。
誰かが、話しかけてくれる。
誰かが、同じ空間にいてくれる。
それが、救いのように思えてしまった。
──間違ってた。
その数日後、彼は教室で嘔吐した。
周囲が騒然として、保健の先生がすぐ駆けつけた。
そして、俺の名前が、ヒソヒソと周囲の口から出始めた。
「たぶん、アイツに粘着されてたんだって」
「ストーカーされてたらしい」
「気持ち悪くて吐いたんじゃね?」
俺は、何もしてない。
言葉も、かけてない。
ただ、見ていただけ。
なのに、見たから──気持ち悪がられた。
欲しかったから──壊してしまった。
教室の隅、誰もいない保健室、グラウンド、昇降口。
どこにいても、俺は「加害者」だった。
声をかけられるたび、ひそひそと何かを言われるたび、
「おまえが壊したんだよな?」って、無言の視線で責められる気がした。
いや──俺自身が、そう思い込んでいた。
「俺が、壊したんだ」
「俺が、欲しがったから」
「俺が、触れたいと思ったから」
──それが、あの子を壊した。
あの日から、俺は人の目をまっすぐ見られなくなった。
好きとか、優しさとか、近づきたいとか──
そんな感情は、全部、加害の前触れになった。
存在そのものが毒になる。
俺の温度は、誰かを傷つける熱でしかない。
ずっと、そう思って生きてきた。
今も変わらず、ずっと──。