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#大人ロマンス
桃下結衣
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「……お待たせ」
言いたくもない言葉を落とし、彼女の前に腰を下ろした。
「何を飲みますか? 私は残念ながらお酒のお付き合いができませんが、先生は遠慮なく飲んでくださいね」
彼女はそう言って、ウェイターがテーブルに置いたメニューに手を乗せ、私の前へと滑らせた。
残念ながらお酒のお付き合いができません……
彼女の手元にあるのは、中身が烏龍茶と思われるグラス。
無意識に彼女の下腹部へ視線が移ってしまったことに気づき、慌ててドリンクメニューに目を戻す。
「……私もアルコールはいらない。飲みたい気分じゃないの」
「えー。亜紀先生は飲んでくださいよ。バーに来て二人ともソフトドリンクなんて、お店の人に失礼じゃありません?」
「勝手にバーに呼び出したのはあなたじゃないの」
「つまり、私にお酒を飲めと言うんですか?」
彼女はわざとらしく下腹部に手を当て、私の顔色を窺うように眉根を寄せる。
何を言っているの、この娘は……。
誘導されて、気づけば意識が胎児に向けられてしまう。
「あなたの好きにしたら? 私は珈琲でいい」
冷たく言って、ウェイターに視線を向けた。
「ふ~ん。この前も感じたけど……先生、何だか雰囲気が変わりましたよね。……もしかして、浮気性の旦那には愛想尽かして、新しい男でも作りました?」
彼女から視線を外した隙を狙われたかのように、横顔に投げつけられた言葉。
虚を衝かれた私は大きく目を見開き、恐ろしいものでも見るような眼差しを彼女に向ける。
「……どういう発想? 自分の立場もわきまえず、よくそんなことが言えるわね」
心拍が乱れる。
彼女を蔑むことで動揺を隠し、唇を引き結んだ。
「ホワイト・レディーを一つください。あと、生ハムとルッコラのピザも一つ」
彼女は、いつの間にか私の肩越しに立っていたウェイターに向かって声を放つ。
造作もなく言葉を払い除けられた私は、ただ驚いて後ろを振り返った。
「今夜は私が奢りますよ。お好きなカクテルでしたよね? ホワイト・レディー」
「……」
「本題に入る前に少しアルコールを入れた方がいいかと思って。時間はたっぷりありますから。ねっ、家出中の亜紀先生」
彼女は烏龍茶の入ったグラスを指でなぞりながら、口をつぐむ私を見て不敵な笑みを浮かべた。
平日の早い時間帯だからであろう。週末の夜はほぼ満席状態になると評判の店内は、まだ客足がまばらだ。
気持ちを落ち着かせようと静かなBGMに耳を傾けながら、目の前に置かれたカクテルグラスに手を伸ばし、ほんのり透き通る乳白色のカクテルを口に含んだ。
「……」
オレンジの香りがするフルーティーな味わいがお気に入りだというのに、今夜の一口はジンがやけに苦く舌に残る。
「そのカクテルって、【白い貴婦人】って意味ですよね。澄ました顔して女医が飲んでると、何だか嫌味に感じますね」
彼女はカクテルを口にする私をじっと見つめると、聞こえよがしに言って笑みを貼り付ける。
私はグラスから唇を離し、能面のような表情を彼女に向けた。
「そう? あなたには不似合いなカクテルね。好きなの……この上品な味が」
負けじと笑顔をまとい、気味の悪い焦燥感をごまかそうと、もう一口流し込んだ。
彼女はグラスの氷を揺らしながら私を見据えている。
「私には、亜紀先生の心の中が手に取るように分かりますよ」
突然、何の脈絡もなく落とされた言葉。
「えっ? ……」
投げられた言葉の意図が掴めず、私はキョトンとして彼女を見る。
「そんな汚れた子供なんて消えてしまえばいい。いっそのこと、流産でもしちゃえばいいのに……そう思ってるんでしょう?」
「なっ!?」
薄ら笑いを浮かべながら平然と言う彼女を見て、驚きのあまり思わず言葉を詰まらせた。
流産すればいいだなんて――
「何て恐ろしいことを言うの。そんなこと、思ってるはずないじゃないっ」
「思ってるはずない……? 逆にどうして思わないんですか?」
「どうしてって……当たり前でしょ! 子供には何の罪もない。それなのに――」
「子供に罪はない? ……反吐が出るような偽善ですね。夫の浮気相手に子供ができたっていうのに……普通に考えたら、そんな偽善を吐く余裕すらないと思いますけど?」
私の言葉を遮った彼女は、まるで私の心を覗き込むような目をして言葉を並べていく。
「先生は子供の頃、友人が持つ、人から注目を浴びているモノを『奪ってやりたい』と、そう思ったことは一度もありませんか? 親友だと思っていた子が他の子と仲良くしていたら、それを見て『腹立たしい』と思ったことはありませんか?」
「……」
「つまり、女の本質は独占と嫉妬の塊なんです。恋愛が絡めばなおさらあざとい。こんな状況に置かれたら、普通の女だったら思うはずですよ? 『あんたの腹の子なんて、死んでしまえばいい』と――」
彼女は私の瞳の奥を見て、まるで悪魔が囁くような深い笑みをこぼした。
全身の血が冷えわたり、動悸が高まる。
震え上がって沈黙する私は、顔を引き攣らせ、彼女の鋭い視線から逃れられずにいる。
闇が覆うようなこの憎々しい感情は、遼を奪われたことに対する楓への嫉妬心?
――いいえ、違う。嫉妬心なんかじゃない。
これは、女である私のプライドをへし折られた、同性である彼女への憎しみでしかない。
だって、私の心の中にはもう――
「……分かりました。偽善ではないってことですね?」
「え……」
「憎しみが子供に向かないということは、あなたが遼一さんを愛していない証拠です。
……この間、私がマンションに行った時に感じたあの違和感の意味が、今、あなたの様子を見てはっきりと理解できました」
あの日の――
彼女がシャンパンを持って現れた、あの夜に感じた違和感の意味?
息を殺して眉間に亀裂を刻む私。
彼女は表情を硬くする私を見た後、視線を自分の右下に移し、バッグの口を開けた。そこから取り出したのは、真っ白な長形封筒。
彼女は封筒をゆっくりとテーブルの上に置き、向かい合う私とのちょうど中間辺りまで滑らせた。
「……なに?」
私は彼女の手の下にある封筒を凝視し、強い警戒心を抱く。
「私の予感は的中したようなので、腹の探り合いは終わりにして、そろそろ本題に移りましょうか」
「……予感が的中?」
「亜紀先生、私と取引しませんか?」
顔に微笑を滲ませた彼女はそう言って、封筒の上に重ねていた手のひらを退けた。
コメント
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みぅ🤍🥀です。今日は「策略(9)」読んだよ。 亜紀先生と楓のバーでの対峙、すごく緊迫感があってドキドキした……。楓が「流産すればいいと思ってるんでしょう?」って平然と言い放つところ、心臓が止まるかと思った。あの「ホワイト・レディー」のカクテルが嫌味に感じられるっていう楓の台詞も、皮肉が効いてて好き。最後の「取引しませんか?」で終わる感じ、続きが気になりすぎる……!柏木さんの書く女性同士の心理戦、本当にゾクゾクする💭