テラーノベル
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チャイムが鳴っても、誰も席に着こうとはしなかった。昼休みは終わっている。だが、ここにいる連中にとって、時間の区切りなど意味を成さない。
教室の中心──いつもの窓際とは違い、今日は遥が自分から前方へと“出てきていた”。
誰に指示されたわけでもない。
ただ、気づいたら、そこにいた。
腰かけていた男子の膝に、背を預けるようにして。
「ね、今日も……お利口にするからさ」
遥の声は、甘えるでも媚びるでもなく、
どこか“試す”ような含みを帯びていた。
そしてその目だけは、笑っていなかった。
「昨日より、上手にできると思うよ? ……たぶん」
男子が笑う。
周囲の女子たちも、「また始まった」とでも言うようにスマホを構える。
「え、マジでそっちから来たの?」「やる気じゃん〜」
「ってか、昨日より服ちゃんとしてない? ねえ、わざと?」
遥は、笑った。
ほんの少しだけ、口角を上げる。
そう、“見せるため”の表情。
「うん、そういうの、好きなんでしょ? みんな」
その言葉には、皮肉があった。
けれど、それすら演技としか受け取られない。
前の席の男子が、遥の後ろ襟を引いた。
もう一人が、わざとらしく机を叩く。
「声、もっと出せよ」
「昨日みたいな“いい声”、期待してんだからさ」
遥は、軽く首を傾げる。
少しだけ目を細めて、ゆっくりと言った。
「……ねえ、それ、命令?」
教室が、一瞬だけ沸く。
誰かが「ヤバ〜」と呟き、クスクスと笑いが波紋のように広がった。
「ね、言ってよ。ちゃんと命令してくれないと、わかんないし。
……ほら、“言わせたいんでしょ”? そっちがさ」
男子の片方が、冗談めかして机を叩く。
もう一人が、「じゃ、言うか?」と笑う。
遥は、両手を膝に置き、少しだけ目線を上げた。
その目には、従順さも、恐怖もなかった。
あるのはただ──「お前らの欲望なんて全部透けて見えてる」という、冷めた嘲り。
だが、それすらも“キャラ”として処理されていく。
誰も気にしない。
誰も、その目の奥を、見ようとはしない。
「サービスいいな、今日」
「え、記念日? 誕生日?」
「ごほうびタイムじゃん」
女子たちの笑い声が飛び交う。
誰かが写真を撮る。
誰かが、動画の録画を始める。
遥は、少しだけ息を吐いた。
そして、ゆっくりと目を閉じて──ほんの数秒、沈黙したのち、再び薄く笑った。
「──じゃ、始めよっか。ちゃんと、全部“お望み通り”に」
そう言って遥は、身を預けた。
誰も止めない。
誰も、疑問を持たない。
教室という名の劇場で、
彼は“完璧な道化”を演じていた。
それが、自分の意志なのか。
それとも、支配されたまま選ばされたことなのか。
もう、誰にも、区別はつかない。
──ただ、一人。
後ろの席で、それを見ている日下部だけが、
声も出せず、目を逸らすこともできず、
ただ、爪を噛むように拳を握りしめていた。
「……ふざけんなよ……」
かすれたその声は、誰にも届かない。
遥は、その瞬間、ほんの一瞬だけ、日下部の方を見た。
だが、何も言わず、何も求めなかった。
“自分で選んだふりをする”こと──
それこそが、最も深い絶望の表現であると、遥はもう知っていた。
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