TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

食堂へ行くと美奈子は杏樹を椅子に座らせ缶コーヒーを買いに行った。

静まり返った食堂のに ガコンッ という音が響き渡る。その音に杏樹はビクッとする。


「杏樹大丈夫? はい、温かいコーヒー。飲むと落ち着くよ」

「ありがとうございます」


杏樹は温かいコーヒーを受け取ると両手で包み込んだ。

美奈子は早速缶を開けると一口飲む。


「杏樹が金庫室に行っている時に副支店長が外回りから帰って来たの。で、杏樹はどこに行ったかって聞かれたから金庫に呼びに行ったのよ。そうしたら二人があんな事に……それで慌てて近くにいた副支店長を呼んでしまったの…ごめんね」


それであの時入口に美奈子もいたのかと納得する。


「いえ、先輩のお陰で助かりました。声を出そうとしたら手で口を塞がれてしまって……怖かった……」


杏樹の手はかすかに震えていた。

それに気付いた美奈子は杏樹の背中をさすってくれる。


「もう大丈夫よ杏樹! それにしても間一髪だったわね。でもなぜ森田はあんな馬鹿な事を? あの人があそこまで腐ってるなんて思わなかったわ」


美奈子は忌々しそうに言うとコーヒーをもう一口飲んだ。

そこで杏樹も缶コーヒーを開けて一口飲んだ。甘く温かい液体が身体に入った瞬間ホッとする。


「早乙女家具の件とか社長令嬢との事とか……色々あってむしゃくしゃしていたんでしょうか?」

「そうかもしれないけれど、だからってあんな事が許されると思う? それも昔の恋人によ。信じられない!」

「……私と森田さんが付き合っていた事、みんなにバレちゃいますよね?」

「それは大丈夫よ、きっと副支店長がうまくやってれるわ。それよりもあの時の副支店長の顔見た?」

「あの時?」

「杏樹が森田に襲われているのを見た時よ」

「いえ……」

「副支店長、声は冷静だったけど今にも掴みかかりそうな勢いだったんだから。おそらく上司と部下の関係じゃなかったら森田の事殴ってたんじゃないかな?」

「…………」

「そのくらい森田の事を許せないって思ってるわよ。それに私がいたから表には出さなかったけど杏樹の事を凄く心配していると思うわ」

「…………」


その時杏樹はあの時の優弥の低い声を思い出す。その声は確かにぞっとするような迫力があった。

あんな優弥の声は今まで聞いた事がない。


その時誰かが階段を上がって来る足音が聞こえた。その足音は食堂へ向かっている。

二人が入口の方を見ると心配そうな表情を浮かべた北門課長が入って来た。


「杏樹、大丈夫か?」

「課長!」


美奈子の声の後、杏樹は少し緊張気味にコクリと頷いた。


「今下で聞いてびっくりしたぞ」


そこで美奈子が杏樹の代わりに課長に聞いた。


「課長はどんな風に聞きましたか?」

「金庫室で杏樹が森田に襲われたって……びっくりして心臓が止まるかと思ったぞ」


部下を娘のように思っている北門課長は深刻な顔で杏樹を見つめる。

そこでまた美奈子が聞いた。


「で、今奴はどこにいますか?」

「副支店長が支店長室へ連れて行った。おそらく得意先課長も交えて話し合いの最中だろう。それよりも杏樹は大丈夫なのか? 副支店長は危ない所だったと言っていたが本当に大丈夫なのか?」


北門課長は杏樹と正輝の交際については知らないようなのでとりあえず杏樹はホッとする。

そして杏樹は漸く口を開いた。


「大丈夫です。ギリギリのところで副支店長と美奈子先輩が来てくれたので……」


直接杏樹の口から聞けたので北門課長は安心したようにホーッと息を吐いた。


「それなら良かった。とはいえ嫌な思いをした事に変わりはないんだけどな…。いやぁ、ご家庭からお預かりしている大切なお嬢さんをまさか銀行内でこんな目に合わせるなんてあってはならない事だ。申し訳なくてご両親に合わせる顔がないよ。私がもっと気配りをしていたらなぁ……杏樹、本当にすまなかったね」


課長は悲痛な表情で深々と頭を下げた。


「いえ、課長のせいではありませんから」

「そうですよ、課長! それよりもあんな野獣みたいな行員を何とかして下さいっ! もっときちんと教育するように得意先課長に厳しく言って下さいよ! 全く女をバカにし過ぎですっ!」


美奈子が鼻息を荒くして捲し立てる。


「本当だよなぁ。でも杏樹、安心しろ。おそらく森田は明日からここには来ないから」

「「えっ?」」


驚いた杏樹と美奈子は同時に声を出した。


「いやぁ副支店長がかなりお怒りでね。森田君は早乙女家具とも色々あってただでさえマズい立場だったのに今回のこれだろう? だからおそらく懲戒解雇の処分は免れないだろうなぁ」

「それってクビって事ですか?」


美奈子が嬉しそうに叫ぶ。


「まあそういう事だ」


その言葉に杏樹は心底ホッとする。

正輝に振られて以降、職場で顔を合わせるのも苦痛だったのにあんな事までされて今まで通りに接するなんてとても出来ない。


(もう顔を合わせなくて済むならなんとか頑張れるかも……)


杏樹のくじけそうだった心が少し持ち直した。


その後杏樹と美奈子は着替えを済ませてから銀行の通用口へ向かった。

途中1階のフロアをチラリと覗くと奥の融資課の机で北門課長と融資課長が深刻な顔で話しをしている。

役職者だけには今回の騒動を報告しているのだろう。

もちろん副支店長と支店長の姿はそこにはなかった。まだ2階の支店長室で話しをしているのだろう。


しかし1階のフロアに残っている数名の行員達はいつもと変わりなく楽しそうにお喋りをしていた。

ついさっき金庫室で起こった騒動については全く気づいていないようだ。


二人は銀行を後にして駅へ向かう。駅に着くと美奈子が言った。


「杏樹、本当に大丈夫? 不安だったら家まで送るよ」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですから」

「そう? でも何かあったら連絡しなさいよ。すぐに飛んで行くからね。あ、でも私が行かなくても副支店長がいるか!」


美奈子がそこで舌をペロッと出したので杏樹がクスッと笑った。

そして二人はそこで別れた。


電車に乗った杏樹は吊り革につかまりながら先ほどの出来事を思い返す。

そしてあまりの嫌悪感にぶるっと震えた。


(私が好きだったはずの人はどうしちゃったの? なんであんな事を?)


杏樹はあまりのショックに気持ちの整理がつかない。


付き合い始めた頃の正輝は常に上を見ていた。

営業成績を上げ、上へ上へと上り詰めていずれは本部に行ってやるというのが彼の口癖だった。

たまに他の支店で不倫や使い込みをして処分された行員の話を聞くといつもこう言っていた。


「自ら出世コースを棒に振るなんて浅はかだよなぁ」


それなのになぜ? こんな事をしたらこうなる事はわかっていたはずなのになぜ? 杏樹は理解に苦しむ。


熱く野望を語る正輝を正直頼もしいと思っていた時期もあった。

ただ日々同じ業務を繰り返すだけの杏樹とは違い、常に前向きな正輝の姿勢に尊敬の念を抱いた事もある。

それなのになぜ?


その時杏樹の目に涙が滲んできた。


(馬鹿じゃないの、全部駄目にして……)


杏樹はこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら力を込めてギュッと吊り革を握りしめた。

loading

この作品はいかがでしたか?

721

loading
チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚