テラーノベル
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ミラは胸の前でペンダントを握り、そっと目を閉じた。
「——女神の風よ、ひかりを運んで、この傷にそよげ。《聖癒の環》」
足元に光の輪が立った。淡い緑がかった円が、床の凹凸に沿ってひらき、すぐに薄くなっていく。輪の縁から、細かな光粒がふわりと舞い上がった。熱に揺れた埃みたいに頼りないのに、落ちずに集まっていく。ダリウスの肩へ。
噛み千切られた傷口のまわりで光粒が跳ね、肌に触れては溶けた。血の赤が滲む部分だけが、ゆっくり暗く沈む。ミラの指先が、ペンダントを握り直した。喉が小さく鳴る。
ダリウスの肩がびくりと跳ねた。眉間が一瞬寄って、すぐほどける。歯の間から息を抜き、首を回してから、ゆっくり腕を上げた。肩をぐるりと回す。引っかかりが減っていくのが動きでわかる。
「……よし。もう平気だ。ありがとう、ミラ」
「ほんとに?」
ミラは顔を近づけた。指でつつく。軽く、二回。目は肩ではなくダリウスの口元を見ている。
「無理してる顔してない?」
ダリウスは肩をもう一度回し、わざと大げさに息を吐いた。
「してないしてない。今んとこは、腹が減った顔しかしてないな」
ミラの口元がゆるむ。だけど眉はまだ下がったまま。視線がもう一度肩へ戻り、傷のあった場所を確かめるみたいに見た。
「……じゃあ、約束ね。ちゃんと休んでから次、だからね」
「ああ。まずは飯だ」
ダリウスは立ち上がった。右肩をかばうような癖が一瞬出て、すぐ抑え直す。焚き火のそばへ行き、鍋とフライパンを並べる。油を落とし、厚切りベーコンを一枚、二枚と鉄板に載せる。
じゅわああ——。
洞窟内に、景気のいい音が弾け、焦げかけの脂と肉の香ばしい匂いが広がっていく。
ナイフがまな板を刻む、軽やかな「トン、トン」という音と隣では白いスープ鍋が、ぐつぐつと小さく息をしている。
やがて、食卓代わりの低いテーブルに、湯気を立てるスープ皿が並んだ。
大きめの白いスープ皿の中には、とろりとしたクリーム色のスープが、ふちギリギリまでたっぷりと注がれている。
その表面の主役は、肉厚なベーコンだ。こんがりきつね色の焼き目がつき、軽く押せばじゅわっと肉汁がにじみ出る。
ベーコンのすきまからは、くたっと煮えたキャベツが顔をのぞかせて、スープをたっぷり吸い込んで、淡い黄緑色にふやけている。
その合間には、きのこがぽこぽこと浮かぶ、焚き火とランプの光を受けて、てらりと光って見えた。
仕上げに粗挽きの黒こしょうがひと振り——白いスープの上に散った黒い粒が、皿全体の印象をきゅっと引き締める。
牛乳と出汁が溶け合ったまろやかな湯気が、冷え切った身体の奥までほどいていくようだった。
「さ、冷めないうちに食べようか」
ダリウスがスプーンを取ると、三人も無言で続いた。
一口すくう。口へ運ぶ。
ミラの頬が先にゆるみ、オットーが喉を鳴らし、エドガーは一拍遅れて肩を落とす。
「……ああ、生きてるって感じがする……」
誰の声か判別する前に、焚き火がぱちっと弾けた。しばらくはスープをすくう音だけが続く。スプーンが皿に当たる小さな金属音が、やけに大きい。
ダリウスは湯気をふっと吹き、ゆっくり口に運ぶ。飲み込んでから、息を吐いた。
「……なんとか、今回も生き残れたな」
向かい側のエドガーが顔を上げた。スプーンを皿の縁に置く。視線だけがまっすぐだ。
「ダリウス。さっきの動き……また“超集中”に入ってましたね?」
ダリウスはスプーンを弄んだ。柄を親指で擦り、皿の端を軽くなぞる。答えを探すように一拍置き、頷く。
「ああ。多分だけど——もう、感覚は掴んだと思う」
オットーの手が止まった。口の中のものを飲み込む音がやけに響く。
「そりゃあ心強ぇな」
オットーはすぐ笑って、またスープをがぶっと飲む。わざと大きい音を立てて。
「前線が、やっと“まともに”機能し始めるってわけだ」
ミラは二杯目に突入していた。皿を両手で抱え、「おかわりありますか!」と鍋の方を見ている。話の重さと食欲の軽さが同じ火の近くに並ぶ。
エドガーはミラを横目で一瞬だけ確認し、言葉を探すみたいに口を閉じてから開いた。
「ですが……」
スプーンを皿のふちに当て、軽く音を立ててから続ける。
「まだ“作戦”に組み込むのは危険です。あれは再現性が不明ですし、私の魔法で沈める形が、今のところ最も確実です」
オットーのスプーンがぐるりとエドガーへ向いた。突きつけるというより、線を引くみたいな動き。
「おいおい、待て。今回みてぇに魔法を阻害されたら、一気に総崩れだろうが」
声が少しだけ硬くなる。
「前線が“時間を稼げない”構成は、もう卒業すべきだぜ。ここはしっかり前で受けて、刻んでいく戦い方を—」
「理想論です」
エドガーが即座に言葉をかぶせた。短い。切れる。
「ダリウスの“あれ”は負荷も大きい。持続時間もコントロール不能。頼り切るわけにはいきません」
「頼り切れなんて言ってねぇよ。ただ——」
オットーの声が一段低い。
「お前の魔法が通らなかった時の“次の一手”も、そろそろ真面目に考えねぇと、老体にはキツいって話だ」
火が揺れて、二人の頬の影が動く。言ってることはどちらも正しい。だから譲らない。
「……まあまあ」
ダリウスはスープ皿をテーブルに置いた。肘をつき、腕を組む。肩をかばわないように、わざとゆっくり動かす。
「二人とも、 言ってることは正しい」
エドガーの眉が寄る。オットーは口を結んだまま、視線だけダリウスに向ける。
「エドガーの言うとおり、“超集中”を前提に組むのは危ない。あれはまだ、技じゃなくて“現象”だ」
ダリウスは指を一本立てる。
「でも、オットーの言うとおり、今回のワーウルフみたいに、魔法を殺しにくる連中がいるのも事実だ。どっちか一方だけを信じてたら、間違いなく足をすくわれる」
ミラは三杯目をすすりながら、きょろきょろと三人を見回している。スープの縁に口をつけたまま、目だけ動く。
「だから、こうしよう」
ダリウスは言葉を区切った。
「これから先の階層で、“試す”。
——どのくらいの確率で超集中に入れるのか。
入りっぱなしじゃなく、どのくらいの時間持つのか。
それをひとつひとつ測っていく」
「検証……ってことですか」
エドガーが顎に手をやり、視線が少し下に落ちる。計算の顔だ。
「ああ。俺の身体を実験台にしてな」
ダリウスは苦笑し、肩をすくめる。右肩が一瞬だけ引きつるが、表には出さない。
「エドガーは今まで通り、“一発で終わる”前提で魔法を組み立てろ。
同時に、“外れた時”の逃げ道もいくつか想定しておいてくれ」
エドガーは黙ってスプーンを持ち直す。ひと口すくい、口へ運んでから、短く頷く。
「……了解しました。
計画に“不確定要素”が増えるのは怖いですが……あなたの動きが戦略の幅を広げたのも事実ですからね」
次にオットーへ視線を移す。
「そしてオットー。前線の負担が増えるのは間違いありません。腰のケアも含めて、もう少し慎重になってください」
「へいへい、先生は相変わらず口が達者だな」
オットーはぼやきながら、スープを飲み干す。器を置く音が大きい。
「まあ、今まで“エドガーの詠唱が終わるまで耐えりゃ勝ち”だったのが、
“耐えながらダリウスがゾーンに入ったらガンガン削る”って選択肢が増えるってことだろ?」
「雑なまとめ方をしないでください」
エドガーがむっとする。だが口元が先に緩む。
「……ですが、だいたい合っています」
「なら上等だ」
オットーはニカッと笑って、二人の肩を順に拳で軽く小突く。
「なんだかんだで、こういう話してる時が、一番“冒険してる”感じがするぜ」
ミラがスプーンを置いた。空になった皿を見て、次の瞬間には鍋を見上げる。
「……私は、今日もダリウスのごはんが食べられてよかったなぁって思ってる」
「おい、一番大事なこと言ったな」
ダリウスが吹き出す。エドガーも肩を震わせ、オットーが「だな!」と声を上げた。
笑いが一度走る。
それでも火の向こうの空気は、すぐに締まる。
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」
ミラが首をかしげる。スプーンを指先でくるくる回しながら。
「魔物って、あんなに賢いものなの?」
ダリウスは天井をあおいだ。返事の前に、息を吐く。長い。
「……そこなんだよなぁ」
エドガーはカップの中を覗き込み、静かに言う。
「この間のミノタウロスもですが、明らかに不可解でしたね。
“怒り任せの猛獣”ではなく、“戦況を読んでいた”」
「魔物の習性や浅知恵じゃねぇ」
オットーが机に肘をつく。
「あれは戦い方を知ってた。肩を狙うとかよ。嫌な知恵だ」
焚き火がぱちりと弾けた。
ダリウスは火を見てから、ミラへ戻す。
「……この塔の“特徴”なんだと思う」
「えーっと……」
ミラが両手を組み、目を細める。
「記憶を食べる、ってやつ?」
「ああ」
ダリウスは頷く。
「食った記憶で、魔物が賢くなる。そういう仕組みなら筋が通る」
エドガーがうなずき、オットーが鼻を鳴らす。
「めんどくさすぎるな」
ミラは顔をしかめたあと、ぽんっと手を打った。
「じゃあそのうち、テスト勉強してる魔物とか出てくるのかな?」
三人の視線が揃ってミラに向く。
「ほら、“期末試験の過去問の記憶を食べたスライム”とか。
出会った瞬間、テスト範囲を全部教えてくれるの。
——でも問題を解ける知能は無いから、すっごくイラっとするやつ」
エドガーが額を押さえる。
「発想は面白いですが、想像しただけで腹が立ちますね」
オットーが笑い、ダリウスが肩をすくめる。
その流れで、エドガーが少しだけ背筋を正した。口元に余計な気配。
「……あの流麗な動きに、もし名前をつけるとするなら——」
「エドガー!」
ミラが椅子を鳴らして立ち上がる。
「やめてって言ってるでしょ!!」
「いえ、今回は引けません」
エドガーも珍しく引かない。
「歴戦の冒険者に通り名をつけるのは、後世への義務です!
“老剣士の——”」
「ほんとにやめて!!」
ミラは両手をぶんぶん振る。
「神学校で言いふらすよ!? エドガーの老眼とドライアイ!
“魔導書より、まず目薬”って噂、一瞬で広がるからね!」
エドガーの口が閉じた。まばたきが一回止まる。
「……それは、やめなさい」
オットーが重々しく手を上げる。
「引け、エドガー」
エドガーが横目でオットーを見る。
「この年頃の女の子の“拡散力”は、マジで脅威だ。
一か月もすりゃ、国全体に“老眼魔導士”の噂が広まるぞ」
「……そこまでですか?」
「そこまでだ」
ダリウスが笑いを堪えきれず、口元を押さえる。
「なんだよそれ。
魔王より、ミラの口の方がよっぽど危険じゃないか」
「失礼ね!」
ミラが頬をふくらませる。
「私は、必要なことしか広めないもん!」
「それを世間では“余計なお世話”と言うんですよ」
エドガーがぼそり。オットーが「ははっ」と喉を鳴らす。
火が落ち着き、器の底が見え、腹が温まる。
さっきまでの血の匂いが、スープと焼き脂に押し流されていく。
四人の笑い声がひとしきり続いて、最後にダリウスが鍋を叩いた。
「よし。次に備えて寝るぞ」
ミラが「はーい」と伸びをし、オットーが腰をさすり、エドガーが魔導書を閉じる。
焚き火は小さくなっていった。
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