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私は倫太朗と食事をして、ケーキを買って祖母を見舞おうとしていたのだが、間に合わなかった。
翌年からは、食事の前にお墓参りをすることにしている。
葬儀の後、他人同然の親戚たちが話し合い、祖父母の位牌とお墓の管理は何人かいる兄の従兄弟の一人が引き受けることになった。
その従兄弟に自己破産を勧められたが、それは断った。
これは、私が背負うべき責任で、私を引き取ってくれた祖父母への礼儀だ。
私は清掃会社から副業の許可をもらい、ひたすら働いた。
接客は苦手だったから、データ入力やテレアポ、スーパーの調理などが多かったが、その中でも気に入ったのがFree Style Productionの食堂のアルバイトだった。
接客業であると言えばそうなのだが、調理がメインだし、注文を聞いて、料理を運ぶくらいは苦にならなかった。
正社員と働いていた清掃会社の人員削減に伴い、私は雇用形態をアルバイトに変更してもらった。辞めるわけにはいかなかったし、会社側も若い人手を手放す気はなかったらしい。
事情を話すと、FSP側から契約社員として保険加入を勧められた。
契約社員ならば副業禁止の社則には当てはまらないと知り、二つ返事で了承した。
一年更新の契約社員だけれど、私は週三日勤務を五日勤務に変更して働いた。
働きぶりを評価され、食堂の改装に伴う予約システムの導入案なんかも採用してもらえた。
嬉しかったし、楽しかった。
その頃、アルバイト先の清掃会社が廃業した。
同時期に、FSPが外部委託している清掃会社を吸収する形で清掃業務課を新設すると知り、課の掛け持ちを頼んだ。
これによって、私は正社員になった。
幸運だった。
新社食の評判も良く、忙しい毎日は充実したいた。
清掃業務を始めて、毎日同じ人が残業していることに気が付いた。
五階の経営戦略企画部の是枝部長代理。
すごく真面目な人なんだと思った。
『マジで? 告ったの? 是枝部長代理に? 勇気あんねー』
いつもなら耳に入れない社食での噂話に聞き入ってしまったのは、他でもない是枝部長代理の名前が出たからだ。
『だってぇ、三十歳で部長代理だよ? エリートじゃん! イケメンだし』
『確かにねぇ。俳優の……なんて言ったっけ? 真舘玄也! あの人の若い頃に似てない? この前、昔の映画で見たんだけど、めっちゃ似てんの!』
『私も見た! 思った! あの人もうすぐ還暦らしいけど、全然見えなくて格好いいよね! 部長もあんなイケオジになるのかなぁ』
『けど、振られたんでしょ?』
『諦めないもーん』
帰宅した私は、最近購入したばかりのスマホで、真舘玄也を検索した。
なるほど、是枝部長代理よく似ている。格好いい。すごく格好いい。
それから、今までちょっと気になっていた是枝部長のことが、すごく気になるようになった。
声こそかけられなかったが、毎晩遅くまで仕事をしている彼の背中に応援の気持ちを送った。
だから、腹が立った。
是枝部長が作り上げた資料をゴミ箱に棄てた上に、作成者である彼の名をチョコレートで汚すなど、有り得ない。
けれど、ゴミを拾うことも有り得ない。
けれど、社外秘の印字もある。
迷って迷って、私は決めた。
『あのぉ……』
あの日、決死の思いで声をかけて良かった。
尊敬する是枝部長のお役に立てた。
優しい部長にボロアパートを見られてしまって恥ずかしかったけれど、たくさん話せたし、拝めたし、コーラまでご馳走になって、もうこの世に思い残すことはないというほど嬉しかった。
今更ではあるけれど、私は人との距離感を測るのが不得意だ。
緊張すると口調が硬くなり、早口になる。
言葉遣いに関しては、子供の頃に再放送していた古いドラマや映画の影響だ。
口真似をすると両親が笑ってくれたのが嬉しくて、癖のようになってしまった。
自分が普通じゃないことはよくわかっている。
俗に言う『キモイ』人間なことも。
だから、改めて基山さんに言われても、さほど傷つきはしなかった。
全くではないことが少し悔しいけれど。
『あなたに代わって是枝部長のお手伝いをすることになったのですが、業務を円滑に進めるアドバイスなどをいただけませんか』と、私はトイレから出て来た基山さんに言った。
基山さんは眉をひそめて私を睨む。
『あなたと違って見た目もこんなですので、まさか部長からセクハラを受けるとは思っていませんが、万が一ということもあります。対策などをお伺いしたく――』
『――バッカじゃないの!? そんなもん、適当に触られたって言えばいいのよ。嘘でも何でも、あとはコンプラ委員が何とかしてくれるわよ』
『嘘……ですか? コンプラ委員が騙されてくれるでしょうか』
『実際、騙されてくれてるじゃない』
『では、セクハラの事実はないと?』
『あったわ。あいつ、あたしを振ったのよ? 若い上に専務のコネまであるあたしをよ?』
交際を断られたことと、専務とのコネクションがあることと、セクハラ被害を訴えることが結びつかず、私は思わず首を傾げた。
『それがセクハラですか?』
『そうよ! この私があんなおっさんと付き合ってあげるって言うんだから、OKするのが普通でしょ? それを断った上に、大勢の前で叱られたのよ? 屈辱だわ。性的に屈辱を受けたの』
確かに、交際を断られたことで女性としても自尊心を傷つけられたというのなら、セクシャルな問題かもしれない。が、そもそも、OKして普通、という定義が正しい根拠は一切なく、それを性的な問題と言い切るのは無理がある。
大勢の前で叱られた件については、性的も何もない。
ミスした方が悪いのだ。
『大体! 私みたいに若くて可愛い女が、あんなお堅い部署にいるのが間違いなのよ。どう考えたって、秘書か受付向きでしょう? 専務に頼んであったのに、どうしてよ! ったく、使えないんだから! それでも、優秀そうな男がいるから良しとしてたのに、運が良くて部長になれたからって調子に乗ってる勘違い野郎だったし』
この言葉には、ムッとした。
私が尊敬する是枝部長を、運がいいだけの無能呼ばわりするのは、許せない。
『お言葉ですが、実力がなければ運を生かすことも出来ないと思います。実際にやりがいのある部署で、優秀な上司の元で働く幸運に恵まれたにもかかわらず、あなたはそれを無駄にした。是枝部長が若くして責任ある立場にいられるのは、部長の努力や人柄があってこそであって、運はおまけのようなものです。そんなこともわからないあなたは、部長のお相手として相応しくありません。後々恥をかくことは免れなかったでしょうから、今のうちに考えを改めて――』
『――キモいんですけどっ! なんなの、あんた!!』
『私は現在、あなたに代わって部長のお手伝いをさせていただいております。が、あなたが謝罪の上、気持ちを入れ替えて是枝部長にお仕えするということであれば、私から部長に――』
『――はあっ!?? なによ、偉そうに。あんな男に仕えるとか、有り得ないんですけど! 謝罪? なんでよ。謝罪するのはあっちでしょ? あたしは傷ついたの! 被害者なの!!』
私はコミュ障だ。
その私が言うのもなんだが、基山さんもそうではないだろうか。
言葉のキャッチボールが出来ていない。
専務はそれをご存じだから、受付や秘書といった、他社との関わりの深い部署を避けたのではないだろうか。