高地優吾 心療内科
「え、マジ?」
ジェシーからの言葉に、びっくりして訊き返した。
「まあ、そういうこと。俺じゃどうにもできないから、高地の手を借りようと思って…」
両手をすり合わせて言う。
さっき、仕事が終わったタイミングで医局に訪れてきたジェシーから、こんな頼み事をされた。
「担当患者で膵がんの女性なんだけど、こないだ急に『どうしてこんなたくさん治療をするんですか』って訊いてきて。あ、治療はケモと放射線なんだけど。で、どうしたのかって訊いたら、『もう死ぬってわかってるのに、治療をする意味はないんじゃないですか』って。俺さ、返事に困って、『治そうとするのが医師の仕事です』って言ったんだけど、もうわかんなくなっちゃって。どうすればいい?」
あたふたするジェシーを落ち着け、ゆっくり話を聞いた。
要約するとこうだ。担当患者――佐伯さんは、突然、治療をする意味を尋ねてきた。もう余命がわかっているのに治すのは無駄ではないか、というのが理由。
つまり、緩和ケアに切り替えるかどうかジェシーは迷っているわけだ。
「でもまあ治すのが俺らの仕事だもんね。間違ってないよ」
「…うん…。あの、患者さんファーストだってことはもちろんわかってるよ? でもまだ治療をやめずに、もうちょっと話を聞いてあげたい」
ただ、その話を聞く役を精神科医に丸投げしている、ということになる。でもそれが俺の仕事なのだが。
「別にその人は治療自体をやめたい、ってはっきり言ってるわけじゃないんでしょ?」
「うん。やめたいとは言ってなかった」
「…そう。で、具体的にはどんなことを聞けばいいわけ?」
「だからその、なんで治療をする意味がないと思ったのか。これからどうしたいのか」
「そんぐらいジェシーでも聞けるだろ?」
半ば呆れるが、ジェシーはあくまでも真面目な顔だ。
「違う。なんか雰囲気が違うんだよ。ちょっと陰があるっていうか、なんか隠してるっていうか」
「えーそれは言い過ぎじゃ…」
「違う違う、わかんないんだけどなんか言えない思いでもあるのかな、って」
とにかく真意が知りたいらしい。そのジェシーの気持ちを汲み、うなずいた。
「わかった、行ってみるよ。話聞けたら報告する」
ありがと、と笑って去っていった。
「失礼します。こんにちは、佐伯さんですよね」
はい、と答えたのはジェシーから頼まれた患者さんだ。昼食後、時間があったので訪ねてみた。
「初めまして。僕、心療内科の高地っていいます」
「心療内科…?」
聞き慣れない言葉か、縁がないと思っていたのか首をかしげた。
「まあ精神科だと思ってください。ちょっと今日はお話をしに。でも嫌なお話じゃないんで、安心してください」
笑顔を見せて言う。佐伯さんの口元も緩んだ。
「今日はすごい晴れてますよね。暖かくて」
まずは世間話から。
「ええ、気持ちいいです」
「治療、どんな感じですか? まだ耐えられますか」
「……正直辛いですけど、我慢はできます」
そう強く言った。「そうですか」
「佐伯さんは、治療ってなにをすることだと思いますか?」
突然の難しい質問に困惑しながらも、首をひねって答える。
「…やっぱり、病気を治すことなんじゃないですか」
「それもあります。ですが、痛みや苦しみを取り除き、穏やかな最期を迎えるためのものも、れっきとした治療です」
なるほど、とうなずく。
「きっと、最初に担当医から説明されたときに、『緩和ケア』というのもあったと思います。これは別の科の担当になりますが…。大事なのは、患者さんの苦痛をなくす、ということです。無理をするのをやめてもいいんですよ」
「…緩和ケア。知ってます。じゃあ、私もお願いしようかな…」
穏やかな笑みでそう言う佐伯さんは、もうその覚悟があるのかもしれない。
「ただし、緩和ケアに切り替えれば、快方に向かうことはありません。体調は良くなるかもしれませんが、病状は恐らく悪くなる一方です」
「わかりました。また担当の先生に話してみます」
腰を上げ、立ち去ろうとしたところでふと足を止めて振り返る。
「あの…佐伯さんって、もしかして医療従事者だったとかありますか?」
「え?」
「いや、その…症状のこととかよく理解されていたようですし、緩和ケアもご存じだったので…」
ああ、と合点がいった様子だ。
「実は、わたしの父と祖父も同じがんだったんです。遺伝性でした。なのでわたしにもリスクがあると、母に言われていました。でもやはり早期発見って、意外と難しいですね。父と祖父もステージⅣで、闘病の末亡くなりました。なので、がんが見つかったとき、いずれこうなることはわかっていました。だから端的に言えば、死ぬ覚悟はできています。なので、先生方が治療を勧める意味があまりわからないのです。もちろん、従わないということではありません」
思ってもいなかったことで、言葉が出ない。
「まだ治療は1か月ちょっとしかやってないですけど、もういい気がします。というか、家族に会いたいです」
俺はそこでやっと口を開く。
「…え、お母さまは…」
「わたしが小さい頃、亡くなっていたらしいです。記憶は全くありません」
それを聞き、自分の家庭の幸せさが身に染みてわかった。
「決めました。わたし、緩和ケアを受けます。それも治療なら、いいですよね」
はい、とうなずいた。
「また何かあったら、気兼ねなく言ってください。担当医じゃない僕でも大丈夫です」
ありがとうございます、と答えたその表情は、柔らかかった。
家族も同じ最期だったから、自分もその覚悟はできている。
どれほど強い覚悟なんだろう、と思った。
ジェシーには、俺からも緩和ケアにしたら、と進言しておこう。
続く
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