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30
#命
ruruha
279
きゆう
88
相談者は、椅子に座るなり、少し不満そうに口を開いた。
「最近、昔なら気にしなかったようなことが、妙に引っかかるんです」
蓮司は机に頬杖をついた。
「例えば?」
「友達の何気ない一言とか。前なら笑って流してたのに、帰ってから思い出して、あれってどういう意味だったんだろうって考えたり」
「その場では笑ってるのに?」
「そうです。別に傷ついたってほどでもないんですけど、なんか残るんですよね」
「あとから効いてくるタイプか」
「そんな感じです。昔はもっと気にしない性格だったと思うんです。多少失礼なことを言われても、次の日には忘れてたし」
「今は忘れられない?」
「忘れたいわけじゃないんです。ただ、前なら何とも思わなかったのに、どうして今さら気になるんだろうって」
蓮司は少し考えてから、尋ねた。
「昔、気にしなかったのは、本当に何とも思ってなかったから?」
相談者は顔を上げた。
「……どういう意味ですか」
「気にならなかったのか、気にするほどのことじゃないって処理してただけなのか。そこは違うだろ」
「でも、本当に平気だったこともありますよ」
「そりゃあるだろ。昔の自分が何でも我慢してたって話じゃない」
蓮司は指先で机を軽く叩いた。
「ただ、昔の自分って、思ってるほど正確に覚えてないんだよな」
「覚えてない?」
「当時は気にしなかった、っていう記憶は残ってても、実際に何を感じてたかまでは残ってないことがある。今の自分と比べて、昔のほうが何でも平気だったように思えるだけかもしれない」
相談者はしばらく考えた。
「……確かに。昔のことって、結構ざっくり覚えてるかも」
「だろ」
「でも、実際に今のほうが気にしやすくなった可能性もありますよね」
「もちろん」
蓮司はあっさり答えた。
「経験が増えれば、引っかかるものも増える」
「経験?」
「前に似たようなことがあって嫌だったとか。誰かの言葉で失敗したとか。そういうのがあると、昔は気づかなかった部分に気づくようになる」
「じゃあ、成長したってことですか?」
「成長って言えば聞こえはいいけど、単純に面倒になっただけかもしれない」
「面倒?」
「知らなかった頃には戻れないってこと」
相談者は思わず笑った。
「言い方がひどいな」
「実際そうだろ。何も知らなかったら気にならないことも、知ってしまえば気になる。人の言葉に裏があることを知れば、何気ない一言にも裏があるかもしれないって考える」
「……それはあります」
「でも、裏があるかもしれないことと、実際に裏があることは別だからな」
相談者の表情が少し変わった。
「そこが難しいんです。前だったら気にせず済んだのに、今は一回引っかかると、いろいろ考えちゃって」
「考えた結果、何か分かる?」
「……分からないことのほうが多いです」
「じゃあ、考える時間だけ増えてるのか」
「そう言われると、そうですね」
蓮司は笑わなかった。責めるでもなく、ただ話を続けた。
「気になること自体は、別に悪くないんだよ。前は見落としてたものに気づけるようになった可能性もある。でも、気づいたものを全部解決しようとすると疲れる」
「気になったら、理由を考えたくなるんですよ」
「相手がどういうつもりで言ったのかとか?」
「そうです。自分が何かしたのかもしれないし、嫌われたのかもしれないし。でも、考えても答えは出ない」
「それでも考える?」
「考えます」
「律儀だな」
「褒めてないですよね」
「褒めてない」
相談者は苦笑した。
「どうしたら、前みたいに気にしなくなれますかね」
蓮司は少し首を傾けた。
「前みたいになる必要ある?」
「……え?」
「気になるようになったことを、全部なかったことにしなくてもいいだろ」
「でも、疲れるんです」
「だったら、気になったあとに何をするかを変えればいい」
「例えば?」
「誰かの言葉が引っかかったとする。そこで『自分は何か悪いことをしたのかもしれない』って考えるのは自由。でも、確かめられることがないなら、答えが出てないまま置いとく」
「気にしたまま放置するんですか?」
「そう。気になることと、今すぐ答えを出さなきゃいけないことは違うから」
相談者は眉を寄せた。
「それ、できるかな……」
「できるかどうかは知らないけど、少なくとも、気になった時点で自分が悪いって結論にするよりはましだろ」
「自分が悪いって決めてるつもりはないんですけどね」
「でも、考え始めるとそっちに行くんじゃない?」
相談者は返事をしなかった。
しばらくして、小さく頷く。
「……行きますね。相手の言い方がちょっと変だっただけなのに、自分が何かしたからかもって」
「相手の機嫌まで自分の責任にしてるのか」
「そこまでは……」
「してない?」
「……してるかもしれないです」
蓮司はそれ以上、追及しなかった。
相談者は膝の上で手を組み直した。
「昔は、こんなこと考えなかったのにな」
「昔の自分に戻りたい?」
その問いに、相談者はすぐには答えなかった。
「……戻りたいというか、昔みたいに楽に過ごしたいんです」
「それなら分かる」
蓮司は頬杖を外した。
「昔の自分に戻るのと、今の自分が楽になるのは、別の話だからな」
「どう違うんですか?」
「昔は気にならなかったことが、今は気になる。そこは変えられないかもしれない。でも、気になったことを何日も抱え続けるかどうかは、少しずつ変えられるかもしれない」
「……気にしない人になるんじゃなくて?」
「気にしても、ずっと引きずらない人になるとか」
相談者は視線を落とした。
「そっちのほうが現実的かも」
「だろ」
「でも、昔の自分と比べちゃうんですよ。前はこんなことで悩まなかったのに、なんで今の自分はこんなに面倒なんだろうって」
「昔の自分、結構いい基準にされてるな」
「え?」
「昔は平気だった。昔はもっと気楽だった。昔はこんなことで悩まなかった。……昔の自分って、今の自分を責めるために呼び出されがちだよな」
相談者は、少し驚いたように蓮司を見た。
「……確かに」
「昔の自分が今より優れてたとは限らないだろ。今の自分が弱くなったとも限らない。単に、今は昔と違うものを気にするようになった。それだけかもしれない」
「そう考えたこと、なかったです」
「昔の自分に勝とうとしなくてもいいんじゃないか。そもそも、昔のおまえは今のおまえと同じ条件で生きてたわけじゃないんだから」
相談者はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟いた。
「昔なら気にしなかったことを、今は気にする。それだけなのに、自分が変になったみたいに思ってました」
「変わったんだろうな」
蓮司は否定しなかった。
「でも、変わったことと、悪くなったことは同じじゃない」
相談者はゆっくり顔を上げた。
「……はい」
「前は笑って流せたことを、今は流せない。それなら、今の自分に合う流し方を探せばいい。昔と同じやり方じゃなくても」
「今の自分に合うやり方……」
「まあ、すぐには見つからないだろうけど」
「最後に現実的なことを言いますね」
「最初から現実的だっただろ」
相談者は笑いながら立ち上がった。
「でも、ちょっと楽になりました。昔の自分に戻らなきゃいけないわけじゃないんだって思えたので」
「戻ろうとしてたのか?」
「無意識に、ですかね。前みたいに気にしなくなれば、元に戻れた気がするから」
「なるほどな」
蓮司は机の上のペンを揃えた。
「でも、昔の自分に戻ったら、今まで経験したことまでなくなるわけじゃないだろ」
「……そうですね」
「だったら、今の自分で楽になる方法を探したほうが早い」
相談者は扉に手をかけてから、振り返った。
「蓮司さんも、昔は気にしなかったのに、今は気になることってあります?」
「あるよ」
「例えば?」
「昔なら、こういう質問に真面目に答えてた」
「今は?」
「面倒だから、そろそろ帰ってほしいと思ってる」
「ひどい!」
相談者の笑い声が部屋に響く。
蓮司も少し笑った。
「冗談だよ。半分くらい」
「半分は本音なんじゃないですか!」
相談者は笑いながら部屋を出ていった。
扉が閉まる。
蓮司は、さっきまで相談者が座っていた椅子に目を向けた。
人は変わる。
気にしなかったことが気になるようになったり、昔は大切だったものがどうでもよくなったりする。
それを全部、成長と呼べるわけじゃない。
弱くなったと決めつける必要もない。
ただ、以前の自分には合っていたやり方が、今の自分には合わなくなることもある。
それなのに人は、今の自分が苦しいときほど、昔の自分を正解にしたがる。
蓮司はペンを一本手に取った。
「……昔の自分って、そんなに便利な比較対象かね」
誰に聞かせるでもなく呟き、ペンを机に戻した。
コメント
1件
うわあ、この話、すごく好きです…!😭💕 蓮司さんの「昔の自分を基準にして今を責めるために呼び出しがちって言い方、めちゃ刺さった…! たしかに「前は平気だったのに」って考えてるときって、無意識に自分の変化を否定してるんだなって気づかされた。 「気になることと答えを出すことは別」っていうのも、分かってるようでできてないやつだ…。蓮司さんの距離感優しいし、ちょっと毒あるのも含めて推せるキャラすぎる!🌸 ruruhaさん、今回もめっちゃ響く回をありがとうございます!続き気になります〜!