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#海辺の町
翌日、離れでは朝からその女性の話でもちきりだった。義海は「絶対、重要人物」と三回言い、蓮都は「当たり前だろ」と三回返した。享佑は黙ってプリンの蓋を閉めながら聞いている。
「“優しい子だった”か」
昇万が言う。
「過去形なのが気になるな」
「亡くなったって意味じゃないかもしれませんよ」
芽生がすぐに返す。
「昔そうだった、ってだけかも」
啓介はうなずきながらも、昨日の涙を思い出していた。あれは懐かしさだけで出る涙ではない。もっと長く閉じ込めていたものが、急に扉を開けられた顔だった。
海花は黙ってスケッチブックを開いた。
「昨日の女の人、どんな顔でしたか」
啓介と莉々夏が、順番に目元や口元を伝える。芽生が横から「目尻はやわらかいけど、見られるのを警戒してた」と補う。海花の鉛筆は迷いなく動き、白い紙の上に少しずつ人の輪郭が立ち上がる。
「そんなに早く描けるの」
義海がのぞき込む。
「忘れる前に描くから」
海花は短く答えた。
絵が半分ほど進んだところで、啓介は胸の奥が妙にざわついた。見覚えがあるわけではない。けれど、誰かに似ている気がする。
「この目」
義海が先に言った。
「どっかで見た」
「どこで」
「わかんない。でも町のどこか」
海花は答えず、さらに数本の線を足す。女性の顔に、幼いころの名残みたいなものが混じる。啓介は突然、離れの押し入れではなく、もっと明るい場所の記憶を掴みかけた。集合写真。畳。端に座る細い子ども。
「写真」
啓介がつぶやく。
「何の」
芽生が聞く。
啓介は海花の絵から目を離さずに言った。
「離れに、昔の写真があった気がする。大勢で写ってるやつ」
絋規がすぐ顔を上げる。
「写真なら俺の出番じゃん」
「まだあるかわからないぞ」
「なくても探す。そういう時の写真館」
海花は鉛筆を止め、完成しかけた似顔絵を机に置いた。紙の上の女性は、泣くのをこらえた人の顔をしていた。
啓介はその顔を見つめたまま思う。
昨日の涙の理由は、まだ分からない。でも、あの人は確かに離れを知っていた。そして、赤いリボンの先にいる“優しい子”も。
絵の目元が、どこか昔の集合写真の隅と重なり始めていた。
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