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#海辺の町
客たちは半円を描くように集まり、誰も帰ろうとしなかった。華やかな夜の続きとして、あまりにも下品な見世物が始まる気配を、皆が感じ取っていたからだ。
セルマはゆっくり扇を閉じた。その仕草だけで、場の中心に立つのが自分だと知っている顔だった。
「皆さま、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
声音はひどく落ち着いている。だからこそ残酷だ。
「この子は昔から、自分より目立つ者が許せないところがありました。今夜も従妹の晴れ舞台に嫉妬して、保管庫へ――」
「違う!」
ディアビレは一歩出た。言わなければ、そのまま事実になる。胸の奥で積もってきた悔しさが、ようやく喉まで上がってきていた。
「私は盗んでいません。鍵だって、今初めて――」
その時、視界の端でアネミークがびくりと肩を震わせた。人垣の後ろに立ち、青い顔で唇を噛んでいる。目が合った瞬間、彼女はほんのわずかに首を振った。言わないで、と縋るみたいに。
ディアビレの言葉が止まる。
今ここで全部ぶちまければ、自分は少し楽になるかもしれない。けれど、アネミークは潰れる。誰かを守るために黙るなんて、馬鹿だと分かっているのに体が先に選んでしまう。
その沈黙を、セルマは待っていた。
「ほら、ご覧になって。言い訳もできないのです」
客のざわめきが決定打へ変わっていく。ベジラは何か言いたそうにしていたが、母の横で動けない。ラウールは青ざめ、ゲティは今にも前へ出そうな顔でこぶしを握る。ジナウタスだけが、静かすぎる目でセルマを見ていた。
ディアビレはそれ以上そこに立っていられなかった。視線の重さを振り切るように、人の間を抜けて階段へ向かう。
途中、髪を留めていた銀のスプーン形の飾りが外れた。乾いた音を立てて階段に落ちる。
振り返る余裕はなかった。
逃げるように駆け下りる背中の後ろで、その小さな銀だけが、取り残された証拠みたいに光っていた。
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