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「あのぉ……」

一人だと思っていた深夜のオフィス。

背後から曇った声が聞こえ、冗談抜きで心臓が一時停止した。

かろうじて叫び声は飲み込んだが、振り返って再び叫びだしそうになった。

上から、グレーの帽子、黒縁眼鏡、白マスク、グレーの作業着、白スニーカー。

冷静に、日光か照明の下で見れば、清掃員だとすぐにわかるが、なにせ、自分のデスク以外の照明は落としているため、認識できたのはまず、白マスクと白スニーカー。ぎょっとしてよく見たら、普通に人だった。

「な……んでしょう」

それでも、声が上ずる。

「これ……、ごみ箱にあったんですが、大切な資料ではないでしょうか?」

そう言いながら、彼女が近づいてくる。

ぬっと差し出されたA4用紙二十枚ほどの冊子の表紙に目を凝らした。

「あっ!」

八時間ほど前に、事務の基山もとやまに二十部コピーするように指示した資料。明日の会議で使用するものだ。

表紙の上部には、赤の太字で『社外秘』と印字されている。

コピーして、原本は俺に、二十部は課長に渡すように言っておいた。

「これっ、どこで!?」

「ですから、ごみ箱に――」

「――どこの!?」

清掃員の女性はわずかに首を傾げ、それから上半身を捻った。暗いフロアを見渡し、一番端の机を指さす。

「あの席のごみ箱です」

基山の席。

俺は湧き上がる怒りを深呼吸で沈め、資料を確認した。

経営会議で使う、大事な資料だ。過去の企画や業績、収支、顧客情報などの企業秘密がふんだんに盛り込まれている。これが外部に漏れれば、俺の首が飛ぶこと間違いなし。

いくら成績優秀で、出世街道邁進中の、最年少で部長昇進を果たした俺でも。

「ありがとう。助かったよ、本当に」

そう言いながら、資料を閉じ、気が付いた。

作成者である俺の名前が、茶色い汚れで見えなくなっている。

指で擦ると、茶色い塊がはげ落ちたが、やはり汚れは残った。

「チョコレートか何かでしょうね。あの席のごみ箱には、お菓子のごみが多く入っているので」

「チョコレート……って――」

仕事中とはいえ、一息つきたくて飴やチョコレートを口に入れるくらい、なんでもない。だが、大事な資料をこんな目に合わされたとなれば、問題だ。大問題だ。

俺は立ち上がり、壁のスイッチを押してフロアの照明を点け、基山の席の前に立った。資料のコピーを机の上に放置していないか確認する。ない。

次に、課長の席に行く。資料二十部は見当たらない。念のために課長の引き出しを開けて探すが、ない。


コピーすらしてない?


他に汚れがないか確認し、表紙をプリントアウトし、二十部コピーする。間にデータ化されていない過去の資料が三枚ほど挟まっているのだが、これがA3サイズ。その為、コピー機のステープル機能は使えない。コピーし、A3サイズの資料を折り込み、ホッチキス留めする。

大した作業ではない。

が、あと二十分で日付が変わろうという時間には、応える作業だ。

だが、やるしかない。

フンッと鼻から息を吐き、気合を入れたところで、目の前の女性の存在を思い出した。

「あ」

俺がウロウロしだしたものだから、帰るに帰れなくなってしまったのだろう。

「仕事中に申し訳なかった。助かったよ、ありがとう」

「いえ」

女性はペコッと頭を下げると、くるっと身体を回転させて背を向けた。

彼女の髪は腰まで長く、縄の如くきっちりと三つ編みされていた。

パーテーションのところまで行き、俺を見て、深々と頭を下げた。

「失礼します」

三つ編みが肩から落ちる。

「お疲れさまでした」

声から察するに、俺と同じくらいの年齢か、少し若い。落ち着いていて、穏やかな声色。

俺は、「よしっ!」と小声で気合を入れて、自分の席に座ると、資料を一枚ずつ確認した。それから、コピー機に向かう。既に電源が切れていたため、起動させる。

「はぁ……」

起動するのを待つ間、思わずため息を漏らした。

基山は、婚活に忙しい二十五歳。ブラウスのボタンを開け過ぎだと、年に三度は注意している。机の上には常にスマホを置いていて、ヴヴッと唸ると三秒で確認する。もちろん、仕事には無関係。やれ合コンだ、婚活パーティーだと、毎日きっちり定時で帰る。


だから、わざわざ余裕をもって頼んだのに……。


もう、注意するのもうんざりだ。

部下でなければ、若くて華奢で可愛らしい、よく笑う人懐っこい子だと、好印象を抱いたろう。

実際、他部署の若い男性職員には人気らしい。

だが、いわゆる玉の輿を狙う彼女は、同世代よりも年上が好みで、かく言う俺も一年前に告白された。ちょうど、部長代理への昇進の辞令が出た翌日。

当然、秒で断った。

「しばらくは仕事に専念したいから」と。

彼女は涙を浮かべて口を尖らせ、図ったような上目遣いで、「こんなに好きなのに」と言った。

意味がわからない。

とにかく、俺には理解不能な女性職員。

それでも、仕事が出来るならいい。


出来てたらこんなことにはなってないよな……。


もう一度ため息をつき、コピー機のモニターに表示された〈welcome!〉の文字に、またイラッとした。

コピーを終え、原本とほんのり温かい二十部を持って、どこか広いスペースはないかと見渡す。どの机もパソコンや資料で埋まっている。


仕方ない……。


俺は部長室自分の部屋で作業することにした。

いったん資料を置き、ノートパソコンの電源を落として鞄に入れ、その鞄の持ち手に腕を通して、資料を持つ。照明を消す前に、フロアを見回す。

コピー機の電源も切ったし、大丈夫だな。

肘で照明のスイッチを押そうとした時、コツンと靴音が聞こえた。目を向けると、パーテーションから女性が顔を覗かせた。

「さっきの……」

それがさっきの清掃員の彼女だとわかったのは、黒縁眼鏡とマスク、長い三つ編みの髪で。服装は、グレーの作業着から、黒のシャツとジーンズに着替えている。手には大きなバッグ。

「あの、よろしければ、お手伝いしましょうか」

「え?」

「私は清掃会社からの派遣ではなく、この会社に直接雇用されているので、秘密保持契約も交わしています。なので、社外秘の資料を扱うことに支障はありません」

随分と堅苦しい言葉遣いに、驚いた。

正直に言って、俺はモテる方だ。

条件もさることながら、百八十三センチの身長と、程よく筋肉質な体形、営業で身に着けた爽やかな微笑み。すごいイケメンとまではいかないが、それなりに女性に好かれる印象の顔。

だから、彼女が俺に近づきたくて戻って来たのだとしても、驚かない。が、そうなら、もう少し愛想よく手伝いを申し出るだろう。

「ですが、余計なお世話でしたら、申し訳ありません」と言って、彼女は頭を下げた。

どうやら、俺目的ではないようだ。

純粋に、親切心で手伝いを申し出てくれたらしい。

「お願いしようかな」

「はい」

俺は彼女を連れて部長室に行った。

応接用のテーブルに資料を置く。

「ホッチキス……二つあったかな……」と、引き出しの中をガチャガチャと探すが、一つしか見つけられなかった。そもそも、二つあったかもわからない。

「いえ。私が折りますから、是枝これえだ部長がホッチキス留めをしてください」

「ああ。うん」

結局、俺はホッチキスを二十回、原本もあったから二十一回押しただけだった。

「そう言えば、名前を聞いてなかったよね」

二十部をトントンと整えて、聞いた。

彼女はハッとして立ち上がり、直角に腰を曲げた。

柳田椿やなぎだ つばきと申します」

三つ編みが宙に揺れる。

俺はジャケットの内ポケットから名刺を取り出し、差し出した。

是枝彪これえだ ひょうです。今日は本当にありがとう。助かりました」

柳田さんは両手で名刺を受け取った。

その所作は、営業の奴らよりずっと丁寧。

「名刺が必要な仕事ではないもので――」

言葉遣いも丁寧。

普段はあまりしないが、俺は彼女の言葉尻に被せるように言った。

「――いえ。名刺は癖のようなもので」

「ご丁寧にありがとうございます」

深夜の部長室には似つかわしくない、堅苦しい挨拶。

「なんか……、こんな時間に取引先相手にしてるみたいな挨拶、おかしいな」

もう、疲れ切っていて、笑うしかない。

けれど、柳田さんはにこりともせず、再び腰を折った。

「では、帰ります。お疲れさまでした」

「え!? あ、タクシー呼ぶから――」

「――いえっ、徒歩なので大丈夫です」

「徒歩!? いや、それなら尚更――」

俺は慌てて鞄を持ち、さっさと部屋を出て行く彼女の後を追った。

背筋を伸ばして白いスニーカーで力強く廊下を蹴る彼女は、ビックリするほど歩幅が広く、足の運びもスピーディー。

要するに、歩くのが早くて、俺が部屋を出た時には、姿が見えなくなっていた。急いでエレベーターホールに向かう。

「待って!」

扉同士が触れるかどうかのタイミングで、開く。

俺が乗り込むと、彼女が〈閉〉ボタンを押した。

「送るよ。遅くなったの、手伝ってもらったからだし」

「いえ。十五分程度遅いからと言って、いつもの帰り道と何も変わりませんから」

女性からこんな風に拒絶されたことがあっただろうか。

いや、そもそも、俺から女性を誘うなんて数えるほどだし、それも、俺に気があると確信している場合ばかりだから、拒まれたことはない。

いやいや、これは誘っているわけじゃない。

【コミカライズ原作】キミの瞳に魅せられて〜恋を知らないモテ上司が、地味で孤独な部下を溺愛〜

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