翌日、宮内は何食わぬ顔で出社した。
侑の報告では、宮内は昨夜の最終の新幹線で川原と東京に戻り、駅近くのビジネスホテルにチェックインした。
私は、宮内の出社を確認して、川原が宿泊した部屋のドアベルを押した。
一人で平気だと言ったのに、蒼は私が川原と二人きりになることを許さなかった。
「はい」と、室内から男の声がした。
「客室係の者ですが、清掃に参りました」と、私は余所行きの声で言った。
「必要ありません」
そう言うことは、予想通りだった。
「では、タオルとティーパックだけお渡ししてもよろしいでしょうか?」と、私は用意していた台詞を言った。
ガチャっとドアノブが動いて、ゆっくりとドアが開いた。すかさず蒼がドアを大きく開け、宿泊客の男を突き飛ばす。
男は尻もちをついて、顔を上げた。
川原誠一だ。
それを確認して、私は部屋に入った。
「お前っ——!」
川原は私の顔を見て、驚きを露わにした。
「かくれんぼはお終いよ」
蒼がドアを閉めて、ロックを掛ける。
「座ってゆっくり話しましょうか」
川原は私と蒼の顔をじっと見て、観念したように項垂れた。
「宮内にあなたを守る気がないことくらい、わかっていたでしょう?」
「わかってたさ……」
川原は力なく立ち上がると、ベッドに腰を下ろした。部屋はツインで、私と蒼は使われていないベッドに座った。
「宮内はあなたに何をしてくれると?」
「T&Nを築島から奪うと……。そしたら、俺を重役待遇で復職させると……」
川原の声は震えていた。
「そんなこと、本当に叶うと思ってたの?」
「思ってない……。だけど、俺にはどうすることも……」
「あなたが清水や同期を使ってやらせたことは、宮内の指示ね? それを、和泉社長の指示に見せかけたことも……」
「ああ……」
川原が、宮内との出会いから現在までを語り終えるまで、二時間を要した。
大きく息を吐きながら、蒼が髪をかき上げ、うつむいた。思うことは多々あるけれど、川原の前ではと口を閉ざしていた。
川原の方は、逃げ回る生活から解放されて肩の荷が下りたのか、穏やかの表情をしている。
「話はわかった。で、あなたはこれからどうしたい?」と、私は川原に聞いた。
「こいつに選択権はないだろう。取締役会で証言させて和泉兄さんを復職させた後で、警察に突き出す」
蒼は静かに、けれど怒りに満ちた声で言った。
「意思を確認しているだけよ。その通りにさせるかは別の話」
「俺は……」
川原の目に、涙が見えた。
「罪を償いたい——」
「はっ? 散々逃げ回っておきながら何言ってんだよ!」と、蒼が声を荒げた。
「こんな大事になるなんて思ってなかったんだ! 最初は……女も楽しんでたし、成功報酬も払った。セックスも不正入札も横領も、共犯関係にあったんだ。なのに……」
「味を占めた清水が暴走した……?」
私の言葉に、川原が声を詰まらせて頷いた。
「あいつは病気なんだ……。セックス依存症なんてレベルじゃない。こちらの提案を拒んだ女に薬を盛って、写真で脅し始めた。そこまであいつがイカレてるとは……思ってなかった……」
「あなたはコネが欲しかった。清水は女と金が欲しかった。負の相乗効果で、引き返せなくなったと……」
「言い訳にもならないだろ!」
緊張の糸が切れたように、川原の嗚咽する声が部屋に響いた。
蒼はため息をついて、川原から目を逸らした。蒼が手をきつく握り、川原を殴りたい衝動を必死に抑えているのがわかる。
私がこれから話すことを、蒼は納得できないだろう……。
「川原さん、あなたを警察には行かせません」
「は……?」
蒼の顔を見れなかった。
「場所を変えて、証言を録画させてもらいます。もちろん、顔も名前も出して」
川原が涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。
「咲、何言ってるんだよ? こんな奴、一生刑務所に——」
「この人に! ……罰を与えるのはあなたじゃない」
あえて、厳しい物言いをした。蒼は察したようで、それ以上は何も言わなかった。
私は川原に荷物をまとめさせた。
侑に電話をする。
「ホテルを出るわ」
『三十秒後に』
「了解」
きっかり三十秒後に、私たちはホテルを後にした。
*****
「とりあえず、最重要人物を確保できて大きく前進したな」と、真が言った。
「まさか、蒼がきっかけを作るとは思ってなかったけどな」と、侑。
「いや、あれは……」と、蒼が気まずそうに言う。
「どうせ、咲がらみでカッとなったんだろ」と、真が蒼の反応を楽しむように含みのある言い方をした。
「ま、結果オーライってことで!」と言いながら、百合さんが人数分のグラスにビールを注いだ。
「まだ乾杯には早いと思うけど……」と、気が進まないまま、私はグラスを持った。
「たまには息抜きも必要でしょ。はいっ! 川原捕獲おめでとー! 乾杯!」と百合さんがグラスを持ち上げた。
「乾杯!」
五人でグラスを重ね、冷えたビールを流し込んだ。
「充副社長も呼べば良かったのに」と、真がチーズに手を伸ばして言った。
「そうよ。次男にも会ってみたいわ」と、百合さんが言う。
「百合さん、俺ら兄弟の呼び方間違ってますよね?」と、蒼が百合さんに言う。
「だんご三兄弟みたいだな」と、侑が茶化す。
「うわ……、懐かしすぎる」と、私が言った。
「つい最近でしょ?」
百合さんの言葉に、侑がゴホンッと咳払いをした。
「何よ!」
「何も……?」
「百合さん、今日は随分テンション高いけど……」と言いかけて、私はハッとした。
「もしかして……?」
「ふふ……」と、百合さんが嬉しそうに微笑んだ。
「何だよ?」と、今度は侑が聞く。
「何も……?」と、百合さんが答えをはぐらかす。
「おい!」
侑を無視して、百合さんが立ち上がった。私も続く。
「男子会、楽しんでー」
私と百合さんはリビングを出て、二階の私が使っている部屋に移動した。
「私の方は準備出来たけど、どうする?」
私たちはベッドに腰を下ろした。
「今更ですけど、本当にいいんですか?」
「本当に今更ね。どうしたの? 迷うなんて、らしくないわね」
「侑に……恨まれるなぁ」と、私はため息をついた。
「侑は大丈夫よ」
「すごい自信ですね」
「まあね……。今回のことで、色々と吹っ切れたわ」と、百合さんが穏やかに微笑む。
幸せそう……。
心からそう感じたし、嬉しくなった。
「咲だって、もう腹括ってるんでしょ?」
「……」
腹を括るしかない……。
頭では理解している。けれど、気持ちは迷うばかりだった。
「仕事で迷わない分、プライベートは迷ってばかりなのよね」
「百合さんも?」
「迷いのない人間なんていないわよ」
私も、百合さんのように吹っ切れる時がくるのだろうか……?
「咲、下の男どもがどうであれ、私は最後まできっちり付き合うわよ」と言って、百合さんが私の肩を抱いた。
「ありがとう、百合さん……」
百合さんの腰まであるストレートの髪は甘い香りがした。癖っ毛の私の憧れだ。
百合さんのように、百合さんの髪のように、芯の通った真っ直ぐな女性になりたい。
それなら、こんなところで迷ってちゃダメだ!
「百合さん、計画を進めてください」
「了解」
百合さんが私に拳を向け、私は自分の拳を合わせた。