「レンタルって言ってなかった!?」
そうだ。
お祖母ちゃんは、一緒に写真が撮りたいからと、外泊に合わせて着物をレンタルしたと言っていた。
だから、写真を撮った後で返したものとばかり思っていたのだ。
「借金で家を手放さなきゃいけない時に、着物を買ったって言えなかったみたい。本当は、お祖父ちゃんが亡くなる少し前に買ってたんだって」
「そんな……」
お祖母ちゃんが亡くなって、仕事に追われ、成人式どころではなかった。
中学三年で転校した私は、成人式で会いたい友達もいなかった。
倫太朗に、成人式に行かないのかと聞かれたことがあったけれど、即答で「行かない」と言ったことは憶えている。
私は、碧い着物にそっと触れた。
「この振袖を着てお嫁に行く椿ちゃんを見たかったって、泣いてたよ」
知らなかった。
お祖母ちゃんが、私の為に着物を買ってくれていたなんて。
お祖母ちゃんが、私が結婚する日を楽しみにしてくれていたなんて。
「広げてみてもいいか」
彪が、着物に触れる私の手を握った。
私は着物から手を離し、彪が重なり合う布地を広げた。そして、呟く。
「椿の瞳の色だな」
「え……?」
「ん? だろ?」
私の瞳……こんな色なの……?
着物は、全体的には青地で赤や桃色の牡丹や椿の花が描かれており、袖の袂と裾に向かって緑にグラデーションされている。
ただ、単純な青や緑とは違い、青とも緑とも見える、言うなれば南国の海のような色。
私はこの瞳の色が嫌いだった。
子供の頃は他の子たちよりほんの少しだけ明るいブラウンだった。
それが、成長するにつれて青味がかってきた。
それを隠したくて、眼鏡をするようになった。ほんの少しだけ色の入ったレンズで、瞳を隠した。
その頃から、自分の瞳をマジマジとは見ていない。
「お金に余裕がない中で、瞳と同じ色の着物を買って着せようだなんて、するか? 愛してもいない孫のために」
それは、私がお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに愛されていたってこと……?
『気味の悪いその目で見るな』
『孫でも何でもない他人のために、どうして私たちが犠牲にならなきゃいけないんだ』
そう言ったのに?
「なぁ、椿」
呼ばれて、ゆっくりと首を回した。
彪が、穏やかに微笑む。
「本当のところ、椿と祖父ちゃん祖母ちゃんとの血縁関係についてはわからない。だから、最初は亡くなる前に祖母ちゃんが言ったみたいに、椿を疎ましく思っていたかもしれない。でも、一緒に暮らしていくうちに、変わったかもしれない」
「かわ……った?」
彪が、両手で私の眼鏡を外す。
眼鏡をテーブルに置き、真っ直ぐに私の瞳を覗き込む。
私は、じっとしていた。
「そう。最初は気味が悪いと思っていたこの瞳を、綺麗だと思うようになったかもしれない」
初めて会った時、お祖父ちゃんは私に微笑んでくれたけれど、お祖母ちゃんは無表情だった。
だから、お祖母ちゃんを怖いと思った。
一緒に暮らして、家事全般や礼儀を指導された。
倫太朗には優しく微笑むのに、なぜ私にはそうしてもらえないんだろうと思った。
けれど、いくら孫でも両親が亡くなるまで会ったこともなくて、いきなり孫だ、同居だなんて言われても戸惑うのはお互い様だと飲み込んだ。
一年も過ぎた頃には、お祖母ちゃんの厳しさにも慣れたし、それなりに優しい言葉をかけてもらえるようにもなったから、それで良かった。
お祖父ちゃんに『祖母ちゃんが厳しいのは、遺された椿が困らないようにと思ってだからな』と言われたこともあった。
忘れかけていた、思い出そうとしなかった、祖父母と暮らした日々が、脳裏に浮かぶ。
お祖父ちゃんが亡くなって、お祖母ちゃんが病気になって、私は過去を振り返る余裕もなく生きてきた。
お葬式で聞いた親族の心無い言葉や、亡くなる前のお祖母ちゃんの言葉だけが、消えない傷として残った。
けれど、確かに幸せな時間《とき》はあった。
どうして疑ってしまったんだろう。
血の繋がりなんかなくても、一緒に過ごした時間は、確かに幸せだったのに。
「なぁ、倫太朗」
「はい?」
「椿は愛されていたと思うか?」
「はい」
「俺もそう思うし、そう信じたい。椿は?」
「え?」
「椿はどう思う? なにを信じたい?」
「信じ……たい?」
「ああ。事実は大切だ。だけど、確かめようがないなら、信じたいものを信じたらいい」
信じたいもの……。
「亡くなる前の祖母ちゃんの言葉が本心だと思うのなら、それもいい。けど、この着物を買って、倫太朗に預けた祖母ちゃんの気持ちが椿への愛情だと感じるのなら、そう信じたらいい」
「信じ……る」
私は何を信じたい……?
「椿ちゃん」
倫太朗を、見る。
彼は、なぜか目に涙を溜めていた。
「倫太朗?」
「俺は椿ちゃんが羨ましかったよ」
「……?」
「じーちゃんとばーちゃんが椿ちゃんのことを『うちの孫が』って話すの聞くと、羨ましかった。俺の方が椿ちゃんより長く二人のそばにいるのに、どうやったって実の孫には敵わないって思ったから」
「りんたろ……」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!