「二人が近所の人に椿ちゃんを自慢してたの、知ってた?」
「え?」
「自慢してたよ。うちの孫がどこの高校に合格した、とか、嫌な顔をせずに家事を手伝ってくれる、とか」
意外だった。
祖父はあまりお喋りな人ではなくて、家にいる時は将棋を指しているか、時代劇を見ていて、外出は時々ご近所さんと喫茶店に出かけるくらい。
祖母も、ご近所さんの噂話を聞くことはあっても自分のことを話す人ではない。
と思っていた。
「息子に似て機械に強い、とも言ってたな」
息子に似て……?
「嘘よ。だって、私は――」
「――それが祖父ちゃんと祖母ちゃんの気持ちだったんじゃないのか?」
彪を見る。
彼の顔が、滲んで見えた。
溢れる涙が頬を伝う。
その涙を、彪の指がそっと拭ってくれた。
「椿は、愛されていたんだよ」
「……っ」
「亡くなった両親も、引き取って育ててくれた祖父ちゃんと祖母ちゃんも、倫太朗も、みんな椿を愛してるんだよ」
「ふ……ぅっ」
ギュッと瞼を閉じると、彪の指では拭いきれないほどの涙が零れ、顎から私の太腿に落ちた。
「でなきゃ、こんなに嬉しい結婚祝いを遺してくれたりしないだろう?」
「う……ぅ」
みっともない嗚咽しか出てこない。
ぐしゃぐしゃな顔を見られたくないのに、俯くことも出来ずにいる。
「ってゆーかさぁ、俺、この話前にもしたのに、やっぱりちゃんと聞いてなかったね」
「え?」
彪の手が離れ、私は倫太朗に目を向けた。
彼は、浮かんだ涙を自分の指で拭っていた。
そして、少し呆れたように笑った。
「お祖母ちゃんの葬式の後で言ったよ?」
「そう……だっけ?」
「そうだよ! だから、お祖母ちゃんの言ったことは気にするなって言ったのに。ま、冷静に俺の話を聞けるような状況じゃなかったか」
「そう思ったんなら、改めて言えば良かったろ」と、彪がティッシュの箱を倫太朗に差し出す。
倫太朗は二、三枚のティッシュを取り出すと「えー、俺のせい?」と口を尖らせながら顔を拭いた。
私もティッシュを抜こうとすると、濡れたタオルを渡された。
いつの間に取りに立っていたのか。
「え? なんで椿ちゃんにはタオルで、俺はティッシュ?」
「ティッシュで擦ったら、椿の肌が荒れるだろ」と言って、彪がタオルを持つ私の手ごと掴んで、顔を拭く。
温かい。
「ちぇっ。俺、これでもモデルなんだけど?」
「自己管理しろ」
「折角、着物渡しに来たのに!」
「うん。ありがとう、倫太朗」
目にタオルを当てたままで、言った。
「これで、心置きなく東京に行けるよ」
「え?」
タオルを外すと、倫太朗が立ち上がって伸びをしていた。
「生活を東京に移すよ。あ、仕事では来るだろうから、マンションはそのままにしとくけど」
「どうして?」
「麗さんに逃げられないように」
「京谷さん!? 付き合ってるの?」
倫太朗にしては珍しく懐いているとは思ったけれど、本気だとは少し意外だ。
「まあ、ね。あ! けど、彪さんに泣かされたら連絡して? 麗さんと一緒に殴りに来るから」
「なんでれ――京谷まで」
「えー。だって、俺と麗さんが結婚したら、椿ちゃんと彪さんの義理の妹になるんだよ?」
「は?」
「結婚するの!?」
「うん。口説いてるとこ。ってわけで、俺は東京に行くね」と言うと、倫太朗はスタスタと玄関に向かう。
私と彪は驚きながらも後を追う。
「あ! 俺と麗さんからの結婚祝いは後で届くから。じゃ、ね!」
早口でそう言って、倫太朗はさっさと出て行ってしまった。
「忙しないな……」
彪が鍵をかけながら呟いた。
本当に。
お陰で、涙も引っ込んだ。
リビングに戻った私たちの前には、着物。
「さっきはああ言ったけどさ――」と、彪は広げた袖を戻しながら言った。
「――本当の父親を知りたければ、協力するぞ?」
「え?」
「DNA検査は無理でも、椿が生まれた時のこととか、調べようと思えば知らベられると思う。母親の実家を突き止めて話を聞くとか、当時のことを知っていそうな友人を探すとか。真実と言えるかはわからないけど、かなり近いところまでわかるんじゃないか?」
確かに、今まで探そうとも思わなかっただけで、このご時世、何かしらはわかると思う。
ただ、知りたいか、なのだと思う。
私は彪の隣に座った。
「俺が病院で母親に父親を知りたいかって聞かれた時、本当に何の迷いもなくどうでもいいと思ったんだ」
『聞きたいと思わない。聞いたからって名乗る気はないからな』
彪はそう言った。
「結局、聞いたところで事実は変わらない。父親が俺の存在を知っていたなら、非情な男だと軽蔑するし、知らなかったのなら間抜けな男だと思う。どんな事情があっても」
「もし……、彪のお父さんが彪を探していたら?」
「これだけ長い間、探せなかったと思うか? 俺は大学卒業まで是枝の家にいたんだし」
「……」
確かに、そうだ。
そうだけれど、願うなら、探していたけれど見つけられずに落胆している、のであって欲しい。
「俺がそうだからってわけじゃないけど、椿も本当に血の繋がりは気にならないって言うならそれでいいと思う。けど、そこんとこハッキリさせたいって思うなら、協力する」
私の本当の父親が誰か……。
私は着物に手を置いた。
もしも、私の記憶のお父さんが実の父親でなかったら、この着物を遺してくれたお祖母ちゃんとは無縁になってしまう。
この着物を遺してくれたお祖母ちゃんの気持ちがすごく嬉しいのだから、それだけで十分ではないか。
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