その時カクテルが出来上がった。
「お待たせいたしました」
バーテンダーは理紗子の前にカクテルを置いた。
カクテルグラスに入ったアプリコット・フィズはとても鮮やかなオレンジ色をしていた。
グラスにはシークワーサーの輪切りとデンファレの花が添えてある。
「素敵!」
理紗子が思わず声を出すと、バーテンダーは笑顔で言った。
「ありがとうございます」
「写真に撮ってもいいですか?」
「もちろんです」
「このお酒のカクテル言葉はなんというのですか?」
「こちらは『振り向いてください』ですね」
「へぇ、そうなんですねー」
そして理紗子はカクテルを一口飲む。
「美味しい!」
「ありがとうございます」
バーテンダーは嬉しそうな笑顔で言った。
その時、新たな客がバーに入って来たようでバーテンダーが声をかえる。
「いらっしゃいませ」
新しく入って来た客は男性で、一人で飲みに来たようだ。
男性はまっすぐにカウンターの方へと歩いて来た。
そして、理紗子と一つ席を隔てた隣に座った。
理紗子が男性をさりげなくチェックすると、その男性は先程レストランにいた客の一人だった。
40歳前後の出張風の一人旅の男性だ。
男はストライプのワイシャツにスラックス姿で肌はかなり日焼けしている。ゴルフ焼けだろうか?
髪は短髪で堂々とした身のこなしが普通の会社員ではなく何か自分で事業をやっている人間のように見えた。
ホテルのバーにも慣れているようで、席に着くと手慣れた様子で、
「マンハッタンを」
と注文する。
理紗子はさりげなく視線を元に戻すと、またカクテルに口をつけた。
すると、男性が声をかけてきた。
「こんばんは。横にお邪魔してすみません」
「いえ、お気になさらずに」
理紗子はそう言うと、カクテルをもう一口飲んだ。
「素敵な色のカクテルですね。何と言うカクテルですか?」
「あ、これはアプリコット・フィズです」
「ちょっと甘めなのかな?」
「私も甘いかなと思っていましたが、甘さ抑えめでさっぱりしていて美味しいですよ」
理紗子はそう言って微笑んだ。
「そうですか…….。こちらにはご旅行で?」
「はい、そうです……ご旅行ですか?」
「旅行半分、仕事半分みたいな感じです」
理紗子は軽く頷くと、また正面をに視線を戻す。
するとまた男性が言った。
「お一人ですよね? 良かったら一緒に飲みませんか?」
「あ、はい…….」
理紗子は少し戸惑い気味に答える。
やっぱりバーでの女の一人飲みはこうやって声を掛けられてしまうのねと少しがっかりする。
なぜなら理紗子はもっと一人でゆっくりと飲みたかったからだ。
一方こういったドラマにありがちなシチュエーションもなかなか捨てがたい。
まさに小説のネタ探しのチャンス到来だ。
自由を取るか、ネタ探しを取るか、悩みに悩んだ理紗子は、
なんとなく断りづらい雰囲気もあったのでつい「はい」と返事をしてしまった。
すると男性は途端に笑顔になり、
「良かった。では失礼して…….」
男性は椅子を一つ移動し理紗子の隣へ座り直した。
男性が隣に座った瞬間、男性用香水のきつい匂いが理紗子の鼻を突く。
間近で見た男性の服はかなり品質の良い物に見える。やはり会社経営者なのだろうか?
理紗子がさりげなく男性の左手に視線を落とすと、結婚指輪はしていなかった。
その代わりに、左手首には世界的に有名なハイブランドの腕時計を着けている。
主張の強いその高級時計は、文字盤もベルトもゴールドに輝いていた。
(残念、シルバー系の方が素敵なのに……)
理紗子は勝手に心の中でそうジャッジしていた。
そして今の状況を客観的に見る。
ホテルのバーで女一人で飲んでいると、金持ちの大人の男性に声をかけられる。そして一緒に飲み始める。
恋愛小説だと、ここからは夢のような展開だ。
弘人と付き合う前の理紗子だったら、このチャンスをものにしただろうか?
弘人に振られた直後だったら、寂しくて流されるままに燃え上がっていただろうか?
(いやいや、それはないわ)
理紗子は軽く酔っていたが、その辺りの判断は冷静だった。
男性は背が高くてハンサムで、経済的にも余裕がありそうな大人の男性だ。一般的に見ればかなり好条件のはずだ。
しかし理紗子は全くその気になれなかった。
なぜなら、まずは男性の香水が鼻について不快な事。
きつい香水の匂いをまき散らす男性にはマナーの欠如がみられる。
これは理紗子の持論で、今までそういう男性とは距離を置いてきた。
次に時計の趣味が悪い事。
お金を持っている人ほど、こういう金ピカな成金趣味であって欲しくない。
出来れば、シンプルで上質な物をさりげなく身に着けていて欲しい。
理紗子はブランドで全身を固めたような男は昔から苦手だ。
隣にいる男を観察すると、一見落ち着いているように見えるがどこか地に足がついていないような感じがした。
バーで一人飲む女に気安く声をかけている時点であまり信用出来ない。
そして決定的な問題は、彼の顔が理紗子の嫌いな俳優にそっくりな事だった。
おそらく彼は、その俳優に似ている事を今まで散々利用してきたと思われる。そのくらいよく似ていた。
しかし理紗子にその手は通用しない。
なぜなら理紗子にとってその俳優の顔は生理的に受けつけない顔だからだ。
きっと洋子が彼を見たら、
「あの俳優に似てる! 素敵!」
と絶賛するだろう。
しかし理紗子にとってはその顔はまさに鬼門であった。
朝起きてあの顔が隣にあったら、きっと絶望の朝になるだろう。
人間の生理的反応が危険信号を出したら、どうあがいても無理なものは無理なのだ。
(うーん、残念! 旅先での素敵な出会いになるかと思ったけれど、やっぱりそんな美味しい話は現実にはないのね)
そう判断した理紗子は、この場はお付き合いで少しだけ飲み、頃合いを見計らって部屋に戻ろうと思った。
その時、男性が理紗子の左手を見て言った。
「ご結婚はされていないのですね?」
「あ、はい…….(随分ズバリと聞くのね)」
「いやー奇遇ですね。僕も独り身なんですよ」
男性はそう言って笑った。
(いやそんな事私には関係ないんだけれど)
「南の島であなたのようなお美しい人と偶然一緒に飲めるなんて、なんだか運命を感じてしまいますね」
(うわっ、出た! 安っぽいドラマのようなセリフ! 本当にこんな事を言う人いるんだ!)
理紗子は思っている事を顔に出さないようにしながら必死で作り笑いを浮かべた。
理紗子が微笑んだだけで何も言わないので、男性は更に続けた。
「僕ね、運命ってあると思うんですよ。『偶然』は『必然』ってよく言うでしょう? 僕達は出会うべくして出会ったのかもし
れませんね……」
(出たっ、スピリチュアルおじさん! まさか手に数珠とかはめてたりしないでしょうね?)
理紗子はそっと男性の右手に視線を落とす。
するとすぐに理紗子の顔色が変わった。
(ヒェッ!)
男性は右手に、黒と透明の石が数珠のように繋がったブレスレットをはめていた。
透明な石は水晶、黒い石はオニキスだろうか?
それを見た瞬間、理紗子の心は更なる絶望を感じた。
(なんか深入りすると面倒臭そうだから、早めに撤退しよう…….)
そう決心し、撤退のチャンスをうかがう事にした。
コメント
4件
うわっ!!!スピリチュアルおじさんこの人胡散臭いぞ!ヤバくない⁈(꒪ཫ꒪; )ヤバイ大丈夫か?理紗子ちゃん💦
うわっ❗️😱これは 飲んでないで 早く退散した方が....💦 健吾さん、来ると良いんだけどなぁ~✈️
理沙ちゃんの鬼門男性登場🙅♂️健吾じゃなかったね、残念😿 ネタも大切だけどまず自分を守らないと!! 早く退散しないと酔わされちゃったら逃げられないよ💦