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はなたろう@推しと恋する物語
黒猫ている
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ここは私がアルバイトで通う印刷会社の撮影スタジオ。今は、とあるスイーツショップのパンフレット用の商品撮影が行われている。カメラマンはフリーで活動している須藤さおりだ。
今日の私の仕事は、彼女の撮影の、初めてのお手伝い。そしてもう一人、アルバイトの先輩、北川拓真も一緒だった。
「碧ちゃん、そのピンクのお花、もうちょっと右に寄せてくれる?うん、そうそう、そんな感じ。北川君は、そのライトの位置、もう少し左の方にずらしてくれるかな。あと、そこのアートレも下ろしてちょうだい。お、いい感じになったかも。ありがと。よし、最後はこれでちょっと撮ってみようかな」
私と北川は、テーブル周りから離れてさおりの少し後ろに立った。
カシャッ、カシャッとシャッター音が響き出す。
テーブルの上にはクッキーボックスが置かれていて、その中には美味しそうな焼き菓子たちが詰め込まれている。眺めているだけでもわくわくするが、でも……。
撮り終わったお菓子はどうするのかな。
その味を想像して、ついペロリと唇をなめてしまう。その時横顔に視線を感じた。はっとしてたどった先に北川の目があって、どきりとする。
食いしん坊だと思われただろうかと、恥ずかしくなって私はうつむいた。
「よし、こんなものかな」
さおりの声が聞こえて私は顔を上げた。
北川が訊ねる。
「終わりですか?」
「うん、一応ね。室長に見せて来るわ。問題なければ、あとは片づけるだけなんだけど、どっちかは待っててもらってもいいかな?」
「じゃあ、二人で待ってます。笹本さん、確か撮影の手伝い、初めてでしたよね。なので、今日は一緒に片づけてみようかと」
「あ、そうだったわね。じゃあ、私が戻って来るまでの間、その辺の機材のことでも簡単に説明しておいてくれる?」
「はい。了解です」
さおりがスタジオを出て行き、北川と二人きりとなってしまった。緊張して落ち着かない。
「笹本さんって、ここに来てそろそろ一か月くらい?仕事とか、少しは慣れた?」
「は、はい。皆さん、優しい人たちばかりですし、それにあの……」
私は口ごもった。
北川さんが優しく色々と教えてくれるおかげで、早く慣れることができてます――。
本当はそう言いたかったが照れ臭いので言葉を飲み込み、他のことを口にした。もちろんそれも本当のことには違いない。
「楽しいです、とても。印刷物とかって、こんな風にしてできていくんだなって」
北川がにこりと笑う。
「そっか。なら良かった。困ったこととか、分からないこととかあれば、いつでも言ってね」
「ありがとうございます」
優しい表情と声に、胸の奥がトクンと鳴った。
「それじゃあ、簡単に説明しようか」
北川が機材の説明を始めて間もなく、さおりが晴れ晴れとした顔で戻って来た。
「お待たせ!オッケーが出たわ。あとは片づけて終了よ」
「お疲れ様でした。じゃあ、笹本さん、片づけようか。俺はこっちの機材とかやるから、笹本さんはそのテーブルの上の方をお願いできるかな」
「分かりました」
「碧ちゃん、そのスイーツボックス、あとでみんなで頂くんだって。蓋をして、そこの紙袋にまとめておいてくれる?」
「はい」
「私、ちょっとここの経理に用事があるから、いったん外すね。後で確認しにくるけど、北川君がいるから大丈夫よね?」
「はい。大丈夫です。もう何度も手伝ってますんで」
「じゃあさ、だいたい片付いたら、電気だけ消して戻っていいよ。碧ちゃん、そのお菓子類はいったん室長の所に持って行ってくれる?」
「はい」
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
さおりの後ろ姿を見送って、私たちは片づけ始めた。
再び北川と二人きりになってしまって、また、そわそわする。
「そうだ。説明がまだ途中だったね」
北川は機材を移動させながら、その名前や使い途などを説明してくれる。
彼の柔らかい声音を耳にしているうちに胸がどきどきしてきて、私は何度も説明を聞き逃しそうになった。
このままここにいたら心臓がもたなさそう。早く片付けて向こうに戻らなきゃ――。
北川の説明も終わったところで、私はせっせと手を動かして小道具類をまとめた。それが終わって、今度はテーブルの上のスイーツボックスをまとめる。
「笹本さん、こっちは終わったんだけど、そっちはどう?まだなら手伝うよ」
これで最後と思った時北川に声をかけられて、私はあたふたとしながら答えた。
「あ、ありがとうございます。今ちょうど終わった所ですので。先に小道具類、戻してきます」
言いながら、小物類をまとめて入れておいた籠を取ろうと手を伸ばした。その時、テーブルの上にまだ敷きっぱなしだったクロスに、羽織っていたパーカーの裾が引っかかった。同時にクロスが引っ張られてしまう。籠はかろうじて落ちずにすんだのだが、スイーツボックスの一つがテーブルの角から滑り落ちそうになった。
私は慌ててその救出のために手を伸ばした。
「あっ!」
「おっと!」
手を伸ばしたタイミングは北川もほぼ私と同時で、その箱は無事に彼の手の中に落ち着いた。
彼はにっこりと私に笑いかけた。
「落ちなくて良かった」
彼の笑顔にどぎまぎしながら、私はほっとする。
「ほんと、危なかったです……」
「これ全部、室長のとこに持って行くんだよね?あとは俺がやっておくから、先に戻っていいよ」
「でも……」
私はためらった。テーブルには傾いた籠から飛び出した小物類が散乱している。犯人は私なのに、と申し訳ない。
しかし、北川は微笑みなが言う。
「これだけだから大丈夫だよ。笹本さんはこのお菓子たちをよろしく。きっとみんな楽しみに待ってるよ」
北川が私の前に手にしていた箱を差し出す。
「それじゃあ、すみませんがお願いします」
私はおずおずと手を伸ばして、彼から箱を受け取ろうとした。その瞬間、偶然に彼の指先に触れてしまってどきりとした。
「ごめんなさい……っ」
「いや、俺こそ……」
私たちは互いに謝りながら、互いの指から自分の指を離そうとした。その結果。
「うわっ!」
「あっ!」
またもや箱が落下しそうになった。それを受け止めようとして、私たちは互いに慌てながら同時に手を伸ばした。無事に箱を捉えて、二人してほっとする。
「よかったぁ……」
「今度こそだめかと思ったけど、セーフだったね」
顔を見合わせ笑いながら、私はすぐさまはっとした。箱は今度は私の手の中にあったが、気づけば先ほど以上に彼との距離が近い。
先に体を引いたのは北川だった。素早い。
「ご、ごめんっ」
「い、いえっ」
どきどきと鼓動がうるさい。今の騒ぎで床に落ちた紙袋を急いで拾い上げて、私は手にしていた箱と他のスイーツボックスを次々にその中に入れた。
「それじゃあ、あの、私、先に戻ってます」
「う、うん。その、よろしく」
言い方が、笑顔が、ぎこちなかったのは私だけじゃなかった、と思う。
彼も私を――?
彼が動揺して見えた理由を、自分に都合のいいように解釈しそうになって、急いで打ち消した。
まさかね。そんなこと、あるわけがない。だってこんな素敵な人なら彼女がいるはずだもの。彼にとっての私は、単なるバイト仲間にすぎないんだから。
そうやって自分に言い聞かせ、すぐに胸に小さな痛みがちくりと走った。しかし顔には出さない。私は北川に頭を下げてからスタジオを出た。廊下に出てから足を止めて、紙袋の中のスイーツボックスに目を落とす。
今度、このお店を教えてもらおうか。それで、この前撮影したお店のお菓子だと言って、買ってきたのを北川さんにもあげたりしたら、話が弾んだりするかしら。彼とはバイト先だけでの先輩後輩だけれど、もう少しだけ、彼との距離が近くなれたら嬉しい。彼ともっとお喋りしてみたい。あの薄茶色に見える瞳に映し出されてみたい。
胸の奥にキュッとした甘い疼きを感じながら、私は紙袋を持ち直してデザイン室に向かって歩き出した。
(了)