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開店前夜、片づけを終えた店には、まだ新品の木の匂いと、淹れたてのコーヒーの余韻が残っていた。人が帰ったあとの静けさは、嵐の夜のあとのそれとは違う。次の灯りを待つ、柔らかな静けさだ。
その時、扉が三回鳴った。
コン、コン、コン。
ディアビレとジナウタスが同時に顔を上げる。あの真夜中の訪問者と同じ合図だった。
ジナウタスが先に扉へ向かい、鍵を外す。そこに立っていたのは、旅装のままの年上の女性だった。海風に傷んだ帽子を押さえ、少し意地の悪そうな、けれど疲れた人にはちゃんと湯を出しそうな目をしている。
ゲティが店の奥から顔を出すなり、声を上げた。
「やっぱりあんたか」
女性は肩をすくめた。
「もっと早く名乗るつもりだったんだけどね。若い子たちが思ったより頑張るから、口を出す隙がなかった」
ジナウタスが息を吐く。
「伯母上」
その呼び方で、ディアビレは目を瞬いた。彼女がジナウタスの伯母であり、かつてホテルと喫茶室の橋渡し役をしていた人物だと知る。
女性はディアビレへ向き直った。
「未現像フィルムを置いたのは私。あなたのお母さんに預かってた。いつか、ここが本当に危なくなった時に渡してくれって」
店の空気が静かに張る。
「じゃあ、あの夜の封筒も……」
「全部そう。ノック三回は合図だったのよ。昔から、眠ってる人を起こしすぎない回数」
そんな妙なこだわりまで含めて、どこかこの店に似合う人だった。
伯母は鞄から最後の封筒を取り出した。これまでより少し厚い。封の端は長い年月を越えたみたいに柔らかくなっている。
「これは最後。もう隠さなくていい時に渡そうと思ってた」
ジナウタスが受け取ろうとすると、伯母はわざと少し引っ込めた。
「二人で見なさい。今度はひとりで抱えるんじゃないよ」
その一言に、ジナウタスの顔がわずかに苦くなる。ディアビレはそれを見て、ひとりで抱える癖は伯母にも見抜かれていたのかと、少しだけ可笑しくなった。
封筒はまだ開いていないのに、もう次の真実の匂いがした。