それは運命的な出会いだった
俺
その日、俺は目を疑ったのだ
風鳴き音すら立てずに振るわれる拳の、しかし強靱な鋭さに
静けさの中で突然響き渡った、鮮烈な破壊音に
そしてそれを成すのが、未だあどけない頬をした
彼女
彼女
幼い女児だという事実に
厚さ五センチという木の板をこともなげに粉砕し
彼女はへにゃりと頬を緩ませたのだ
ザワ……ッ!
その瞬間の周囲の動揺は
否
俺の動揺は、如何ばかりのものだったろう
それは俺が営む空手道場の、体験入門での出来事だった
門下生達は一様にぽかんと口を開き、歓声すら上げられず
師範として教えを説くはずの俺ですら言葉をなくして
俺
俺
このぶ厚い背筋を、まっすぐに伸ばし
彼女に相対する際には態度を改めなければならないと
そう考えずにはいられなかった
彼女
彼女
俺
俺
彼女
正式に入門した彼女の成長はめざましく
まるで薔薇がその蕾を膨らませていくように
たった数年でその結実を期待させてくれた
彼女に師範と呼ばれるたび、俺の、否
私の心はとんでもない!と大声で否定し
アナタこそが私の師範であると真摯に訴えた
当然彼女にそんな内心は悟られていなかったろうが
彼女が私を慕い、教えを請い、着実に力をつけていくのを
私は光栄すぎる心持ちで見守り続けていた
彼女
私
私
私
私
彼女
彼女
私は、自らが師範と呼ばれるようになってから初めて知ったのだ
他者を師範として敬い、その能力に恍惚とできる歓びを
年齢に関係なく、他者を師と慕えることの愉しさを
まして、我が師は私の技を最大限に昇華し、輝きを放つのだ
こんなにも嬉しいことがあるはずもない
彼女
私
彼女
私
私
私
私
彼女
薔薇は優美にその枝を伸ばし、蕾をつけ
そしてその棘で、対戦者を寄せ付けない
いずれ大輪の花を咲かせるその薔薇の栄養となるよう
私は彼女の技量にふさわしい相手を選び、糧とし
その根元に賞賛と、他者の敗北を積み上げていった
しかしその糧は
薔薇を無残に食い荒らした
彼女の能力があまりにも隔絶されているからと
そしてその能力のために、自分たちの価値が地に落とされたのだと
恨み、呪い、憤った者達が
彼女を欲望の吐き捨て場にしたのだ
その一報が届いたとき、私はあまりのことに崩れ落ちた
なんという傲慢な思い違いだろうか
地に落ちるほどの高い価値もなかった者が
ただただ、彼女に内包され、昇華されただけだというのに
彼女が我々の技術を懐胎してくれているというのに
なんと馬鹿げたことを妄想したのだろう
私
警察
警察
警察
警察
この一言に、私は再度めまいを覚えた
彼女の衣服は切り裂かれ、穢され、汚物にすらまみれさせられて
まるで人目に晒されるように、放り出されていたのだそうだ
――どれほどのことをされたのか、私には分からない
男の身で、彼女の痛みが理解できるとも思えない
けれど彼女はその辱めを堪え、加害者を告発したのだ
なんという高潔さだろう
私はその気高さに、彼女を今後も支えていくことを
改めて決意したのだ
翌日、私は彼女の死を知らされた
私
私
警察
警察
警察
私
――あぁ
彼女は懐胎を拒絶したのだ
卑劣な糧どもの精を受け入れることも
そして彼らの技術を昇華することも
すべてあのゆるやかな腹部に孕むことを拒否して
彼女は死を選んだのだ
もうすぐ咲き誇るはずだった大輪を首ごと落とし
彼女は私をも
私の技術をも、彼女は拒絶して逝ってしまった
――警察が去った後、私に残されたのは虚無だけだった
この数年で、私の心は彼女に全て捧げ尽くされていたのだ
私
私
ふと視界の端に、彼女が体験入門で割った板が映り込む
あの日の衝撃を生涯忘れぬようにと、そっと保管したものだ
不均等に割れたそれは、薔薇の棘を思わせるように鋭い
知らず私はそれを手に取り、静かに見つめ
やがてそれを、喉元に突き立てた
コメント
10件
コンテスト参加ありがとうございます。 きっちりと文で伝えてくるこの文才は流石と言わざるを得ませんね!師範の中に愛があったのかは分かりませんでしたが、確かな愛情はあったのだと思います。彼女を薔薇で表現している所も素敵でした。薔薇のように強く気高く穢れを許さない。しかし儚く散ってゆく。人間の怖さをえがく悲しい物語なのに、美しいと感じました。
彼女を薔薇に例える表現がとても素敵でした。その分、彼女の身に起きた悲劇が、とても辛かったです。
表現がすごく綺麗で、もう切ないです… 嫉妬で、才能ある彼女を😭