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結局、1週間の休職を貰えることになった。
私が診察室にいる間、早坂が菅原エリアに連絡をして頼み込んでくれたお陰だった。
たとえ事務作業が出来たとしても、無理をし過ぎて完治が長引くようなことになったら目もあてられない。 けれど、シフトを長期間空けるわけにもいかない。
様々な事情を考慮した結果、菅原さんは1週間の猶予をくれた。
たった1週間で骨折は完治しないけど、休養できる期間があるだけでもありがたいことだ。
そのぶん早坂も安心して、仕事に集中できるだろうから。
遥
遥
でもそんな無責任なこと、言えるはずもない。
医師
医師
遥
医師
一通り話を終えた後、医師の先生は意味深に言葉を切った。
ぎこちない笑顔が私に向けられる。
医師
医師
警察、という単語に顔が強張る。
無意識に、痛々しく残る痣を手で隠していた。
無理だけはしないでくださいね、何度も掛けられる優しい言葉が胸に染みる。
すみません、と頭を下げて診察室を後にした。
――――帰宅する頃には22時を回っていた。
外来入口の扉を開ければ、外の冷気が風になって玄関に流れ込んでくる。
コートの裾がぱたぱたと扇ぐ。 横髪が乱れ、耳元でひゅうひゅうと唸る。
頬を強張らせる夜風は、鋭く尖って冷たかった。
病院の周辺は静寂に満ちている。 外来を訪ねる人の姿もない。
街灯が照らす光を頼りに、私達は駐車場へ歩き出した。
遥
早坂
遥
早坂
沈黙が続く。 うまく会話が繋げられない。
ここまで互いにぎこちないのは、出会って以来初めてのような気がする。
頭が全く働かなくて、何も言葉が生まれない。
だからって無理に話題を振るのも違う気がするし、何よりも億劫だった。
何をしても疲労を感じる。
体が鉛のように重い。
結局、お互い一言も発しないまま、早坂の車に辿り着いた。
遥
助手席に乗り込んでから一言詫びる。
私の謝罪に、早坂は何も言わなかった。
ハンドルに触れただけで、エンジンを掛ける気配はない。
重苦しい空気が車内に淀む。
……ひどくやるせない心持ちだった。
早坂も何も言わない。
やっぱり怒ってるのかな、呆れてるのかな。
もう一度謝罪の言葉を口にしようとした時、早坂が急に私の方を振り向いたから、どきっとした。
早坂
遥
早坂
その口調に怒気は含まれていない。
むしろ私を気遣うような、静かな優しさが滲んでいる。
遥
遥
遥
気まずさを誤魔化すように笑う。
意識的に口角を上げて、ぎこちない笑顔を取り繕った。
こんな事態になったのは自業自得。 早坂の忠告を聞かなかった私が悪い。
だから、もう迷惑をかけられない。 心配かけちゃいけない。
私なら大丈夫だと告げて、この話を終わらせるつもりだった。
でも早坂の表情は険しいまま。
眉根を寄せて、真剣な眼差しで私を射抜く。
早坂
遥
その一言に肝が冷える。
全身の血が冷え渡って、急に動悸が高まった。
青木さんが待ち伏せしている可能性を、一切考えていなかったと言えば嘘になる。
でも、あんな事があったばかりなのに、彼がまた部屋で待ってるなんてありえない。 普通であればそう考える。
絶対に大丈夫だと断言できる確証はないのに、あの人は逃げて家に帰ったんだって信じたかった。虫のいい話だ。
彼がこのまま引き下がるとは思えない。
また私に接触してこようとする。
もしこのまま部屋に帰って、あの人が待ち受けていたら――――
そう思った瞬間、悪寒が背筋を駆け巡った。
遥
待合室にいた時も、病院から出た後も。 私の中にあった、漠然とした正体不明の不安。
その正体はこれだ。 あの人がまた会いに来る、それがいつなのかがわからない、何処から現れるのかわからない、未知の恐怖。 それが私の心を支配しているからだ。
もし彼と鉢合わせてしまったら、理不尽な暴力を受けるんじゃないか。
もしかしたら、今もどこかで私を見てるんじゃないか、尾行されてるんじゃないか。
そんな被害妄想に囚われてしまっている。
遥
遥
両手がまた小刻みに震え始めた。
血の気がどんどん引いていくのがわかる。 冷や汗も止まらない。
指先の感覚もわからなくなってきて、全神経が麻痺していくような錯覚を覚えた時。
遥
遥
早坂
私の異変に気付いた早坂が、不安げに呼びかけてきた。
でも何も答えられない。
息が苦しくて、浅い呼吸を繰り返すことしかできない。
過呼吸なんて初めての経験で、頭の中はパニックに陥っていた。
早坂
遥
早坂
早坂
嫌な汗が伝う背中に、手のひらが何度も行き来する。
労るようにさすってくれる動きはとても優しいものなのに、私の呼吸は落ち着くどころか、どんどん荒くなっていく。
苦しげに喘ぐ私の傍で、カチリと無機質な音が響いた。
早坂が自分のシートベルトを外したようだ。
身を乗り出して、私の分も外してくれる。
早坂
その一言に心臓が冷えた。
遥
遥
咄嗟にそう思った時、勢いで彼の上着を掴んでいた。
遥
早坂
ずっと俯き加減でいる私には、早坂が今どんな表情をしているのかはわからない。
でも、見なくてもわかる。 私と同じくらい苦痛に歪んでいるのを。
でも、誰にも迷惑をかけたくなくて。
この場に一人にされるのも嫌で。
大丈夫だという虚勢と、誰かに傍にいてほしい本音が、私の中でない交ぜになって早坂を引き止める。行かないで、と。
早坂
ああ、早坂に心配かけてる。 不安にさせてる。
私は大丈夫だって言わなきゃ。
そう思うのに、ヒュ、ヒュ、と忙しなく喉が鳴って言葉にならない。荒い呼吸の繰り返しで気が遠くなる。
遥
徐々に意識が薄れかけてきた、その時。
早坂
早坂
耳元で掠れた囁きが聞こえたと同時に、顎を持ち上げられて上を向かされた。
目の前には、早坂の長い睫毛が揺れていて。
え、と開きかけた私の唇は―――― 次の瞬間、早坂の唇で塞がれていた。
遥
触れ合う隙間から吐息が漏れる。
掻き乱れていた思考が、一瞬でクリアになった。
コメント
2件

えーめっちゃ良い
わあ……第10話、読み終わりました。過呼吸の発作、すごくリアルで胸が苦しくなりました。七瀬さんが「また迷惑をかける」って必死に耐える姿と、早坂さんが「悪い、許せ」って口付ける展開、もうドキドキが止まらなかったです。あの瞬間、七瀬さんのパニックが落ち着くための優しい手段だったんだろうなって思うと、早坂さんの切実さが伝わってきました。続きが気になりすぎます!