テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
第33話、読み終えました。朝のキッチンでの早坂のカジカ汁の愛が感じられて、思わずほっこりしました。避妊の確認であそこまで狼狽する早坂は新鮮で、からかう遥の笑顔が目に浮かびます。かなえちゃんの怒りもリアルで、でも「明けない夜はない」と締めくくる遥の強さが沁みました。この距離感、すごく好きです。
――夢の底に落ちた意識が、朝の訪れと共に浮上する。
重い瞼をゆっくりと押し上げれば、カーテンの隙間から射し込む白い光の筋が、私に真っ直ぐ注がれていて。
遥
眩しすぎて目が眩む。
寝起きの瞳に、その光の強さはちょっと痛い。
たまらず目を細めた時、隣にいたはずの人物がいないことに気づいた。
遥
胸元まで毛布を引き寄せて身を起こす。
部屋の中は暖房がよく利いていて、一糸纏わぬ姿でいても、寒さを感じることはない。
時計を見上げれば、長針は6時を指している。
耳を澄ますと、キッチンの方から人の気配と、微かな生活音が聞こえてくる。
トントンと、リズミカルに刻まれる包丁の音。
仄かに美味しそうな匂いも漂ってくる。
枕元に視線を落とせば、床に散乱してたはずの服が、丁寧に折り畳まれている状態で置いてあって。
どこまでも律儀なんだから、と笑みが浮かんだとき、こめかみに鈍い痛みが走った。
遥
遥
昨日のことはよく覚えている。
とんでもない醜態を晒してしまったことも。
柄にもなく泣き喚いて、早坂に縋って。
それから――……
遥
思わず両手で顔を覆う。
羞恥で頭を抱えてしまった。
いくら青木さんのことでショックを受けていたとはいえ、「抱け」なんて口走ってしまった自分の発言を恥じた。
遥
抱かれた時の記憶もちゃんと残ってる。
乱暴的ではなかったけど、会話もなく、愛の言葉を交わすこともなく、貪るという言葉がしっくりくるような、野性的な行為だった。
最初こそは恥じらいもあったけれど、早坂の触れ方が優しいのに、どこか激しさもあって。
すぐに心は絆されて、行為に没頭してしまった。
……正直に告白します。
めっちゃ興奮したし気持ちよかった。
なんだあれ。
エロいこと全然興味ありません、みたいな顔してるくせに、あれは反則……
遥
ふと、胸に湧いた疑問。
抱かれた記憶はあるけれど、最後の記憶は曖昧だ。
途中で意識を飛ばしたのだろうか。 よく覚えていない。
だからこそ疑問が浮かんだ。
そっと下腹部に手を当てる。
特に痛みもなく、気怠い感覚もない下腹部を、手のひらで触れながらポツリと呟く。
遥
・ ・ ・
いつまでも布団の中にいるわけにもいかず、ベッドから降りてクローゼットを開く。
適当に選んだ白シャツをご拝借して、袖口に腕を通した。
こうして彼の服を羽織るのは、これが2度目。
優しい柔軟剤の香りが、ふわりと身体を包み込んだ。
それだけで心が満たされて、幸せな気持ちになる。
遥
ペタペタと、裸足のままキッチンへ向かう。
近づく度に、匂いの濃度も増してくる。
天井近くの窓から差し込む自然の光が、キッチン全体を均等に照らしていて。
その光景の中心に、心を寄せる人の後ろ姿がある。
包丁を持つ手を止めた早坂が、次の調理の工程に入ったのか、別の作業に取り掛かろうとしていた。
その後ろ背を視界に留める。
青木さんのことを考えると、まだ少し胸が痛い。
彼から解放されて自由の身になれたという実感も、今はまだ湧かない。
あの人から受けた暴力の傷は消えたし、骨折もほぼ完治してる。
でも心に負った傷は、簡単には消えてくれない。
完全に癒えるまで、もう少し時間がかかりそう。
でも、もう終わった人だ。
過去を引きずっても仕方のないこと。
今の私には、一番に考えなきゃいけない人がいる。
だから、もう……考えない。
ゆっくりと歩み寄る。
私の気配に気づいたのか、お玉を持つ早坂の手が一瞬止まった。
その隙に仕掛けに行く。
空いていた方の腕に自らの腕を絡め、早坂にぴったりと密着する。
遥
早坂
遥
早坂
遥
覗き込むと、大きな鍋が見えた。
ぐつぐつと、音を立てて煮えたぎる味噌仕立ての汁から、何やら黒いトゲトゲが見える。
強面な魚と、異様にでかい目ん玉も見える。
……なにこれ。
遥
早坂
遥
早坂
遥
馴染みのない言葉だった。
でも聞いたことはある。
カジカっていう貴重な魚を用いて作られる、北海道の代表的な郷土料理だったはず。
冬に食べる鍋として有名だと聞いたことがある。
遥
遥
早坂
遥
早坂
菜箸に持ち変えて、魚の身をほぐして私の口元まで運んでくれる。
ぱくっと咥えれば、口内で広がる浜の香り。
ほくほくした身の感触から、味噌と魚の旨味が同時に滲み出た。
遥
早坂
遥
早坂
早坂
遥
その口振りから、早坂のカジカ愛が伝わってくる。
この魚も実家から送られてきたものらしい。
早坂も、北海道が恋しくなったりするのかな。
早坂
控えめに尋ねられて、静かに頷いた。
遥
早坂
遥
早坂
遥
遥
早坂がずっと一緒にいてくれたから、私は私の恋を終わらせることが出来たんだ。
この人がいてくれなかったら、いつまでたっても過去を清算できず、青木さんからも離れられず、ひとりで泣いていたと思うから。
そう考えると怖くなる。
不倫問題を抱えたままの、汚い人間になるところだったのかと思うと。
早坂がいてくれて、本当に良かった。
早坂
早坂
遥
早坂
早坂
遥
早坂
早坂
早坂
……ああ、そうだね。
早坂はこういう人だよね。
真面目で誠実で、困ってる人にはすぐ手を差し伸べてあげられる人。
私だけじゃない、青木さんのことも認めて尊重してくれる。
……こんな時ぐらい、恰好つければいいのにね。
しないんだよね、早坂は。
遥
素直に頷く。
早坂はそれ以上何も言わなかった。
汁物を小皿に移し、味を確認している。
遥
早坂
遥
そう尋ねた直後、早坂がごふっと派手に汁を噴き出した。
むっとしながら、早坂の顔を覗き込む。
遥
早坂
しどろもどろな反応。
どうにも怪しく見える。
疑いの目を向ければ、「したから!」と珍しく声を荒げていた。
遥
遥
遥
早坂
遥
早坂
部屋に引き返そうとする私の腕を、早坂の手が荒々しく掴んだ。
そのまま後ろから抱きすくめられる。
背後から伝わる体温が心地いい。
耳元で、はあ……と疲労混じりの吐息が聞こえた。
早坂
狼狽が過ぎる早坂の慌てっぷりが可愛くて、私はくすくすと笑みを零す。
遥
遥
早坂
もちろん最初から疑ってなんかいない。
記憶は確かに曖昧だけど、早坂がちゃんと避妊したって言うのなら、信用していいんだろう。
私を傷つけるような嘘をつく人じゃないのは、もう知ってるから。
避妊具なんていつ用意したんだろうとか、そんな野暮なことは訊かない方がいいのかな。
早坂
遥
早坂
遥
早坂
遥
早坂
遥
早坂
遥
早坂
・ ・ ・
かなえ
眉間に深い皺を寄せて、かなえちゃんは言い放つ。
その表情には紛れもない、憤激の色が漲っていた。
かなえ
かなえ
かなえ
かなえ
遥
かなえ
かなえ
遥
仮にも大物政治家をゴミとか。
あんまりな言い草に私は苦笑する。
ファーストフード店の席で事の顛末を打ち明ければ、かなえちゃんは大層ご立腹な様子で青木さん一家を罵った。
その様子を眺めながら、手元のバーガーにかぶりつく。
柔らかなバンスにサニーレタスのシャキシャキ食感がたまらない。美味。
かなえ
かなえ
苛立ちを含ませた口調で、かなえちゃんは呟いた。
私だけが損をして、青木さんは何のダメージも受けていない、周りからはそんな風に見えるんだろう。
反省も謝罪もしていないし、償うべき罪も償っていない。
その上で、彼は今も平穏な日常を送っている。
その裏で自らが犯した裏切りや過ちを、まるで何も無かったかのように振る舞って。
そう思うと、やっぱり複雑な気持ちになるけれど。
……でも、これが本来、私が望んだ結果でもあるから。
かなえ
遥
遥
その言葉に嘘はない。
青木さんの家族を傷つけずに済んだ、それだけでも、彼から離れた意味はあったと思いたい。
この選択が正しかったのかはわからない。
わかっていたら苦労はしないし、全ての状況で完璧な選択ができる人間なんていない。
散々悩んで、何度も泣いて。
全部乗り越えてきた今だからこそ、これで良かったんだと思える自分がいる。
今は、それだけでいい。
かなえ
かなえ
諦めにも似た表情を浮かべながら、かなえちゃんはポテトを摘まんで口の中に入れた。
遥
かなえ
かなえ
かなえ
遥
そこまでの熱量は私にはない。
心残りがあるとすれば、10発ビンタ返しが出来なかったことくらい。
かなえ
ぽつりとかなえちゃんが呟く。
暗い影を落とした瞳。
その瞳に映し出す未来が、暗いものではないように願う。
綺麗な恋愛も、理想的な結婚も。 それ以外のことだって。
思い描いていた形とは、現実とはかけ離れているかもしれないけれど。
それでも必ず道は開けている。
明けない夜は……きっとない。
そう思うから。
#大人の恋愛
柏木さくら
4,085
瑠璃マリコ
26,680
桃下結衣
916