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コメント
5件
読み終わりました。七瀬と早坂の距離がぐっと縮まった、温かくて少し切ない回でしたね。特に「浮気の境界線」を話し合う場面——お互いの過去の傷をさらけ出しながらも、今の関係を確かめ合うような会話の空気感がとても自然で良かったです。早坂が「ヒーローなんて安っぽい」と否定するのに対して、七瀬が「私だけのヒーロー」と返すシーン、胸にきました。日常の細やかな描写から、二人の信頼の深まりがしっかり伝わってくる、素敵なエピソードでした。
雪がちらつき始めた夜空の下、冷えた空気が氷のように肌にしみる。
コート1枚だけでは防寒しきれない程の寒さだが、実家で暮らしていた頃に比べたら、東京はまだマシな方だ。
雪積はないし、除雪作業も不要で、凍り付いた歩道で転倒、なんて心配をすることもない。
冬の寒さも、雪自体も、昔から慣れ親しんだもので苦ではない。
……雪が好きな誰かさんは大いにはしゃぎそうだな。 内心ほくそ笑みながら、マンション1階に併設されたコンビニに入った。
・ ・ ・
――北海道から上京して8年。
実家にいた頃とは違う、何の縛りもない自由奔放な一人暮らしというのは、それなりに充実していて満足している―― という主張を、今更ながら撤回したい。
帰る家があって、俺の帰りを待っていてくれる人がいる。 そういうのも悪くないと改めて思う。
その相手が、自分の想い人であれば尚更。
見上げた先にある自宅マンションから、温かな光の漏れる一室を見つけて頬が緩んだ。
・ ・ ・
遥
遥
ドアを開けると、遠くから弾んだ声が飛んでくる。
周囲を漂う香ばしい匂いが、俺の帰宅を迎えてくれた。
どこかで嗅いだ記憶のある匂いだな、と頭の片隅で考えながら、コートに付着した雪を払って靴を脱ぐ。
早坂
早坂
遥
遥
キッチンから慌ただしい足音がする。
そんなに急ぐ必要はないのに、そう思いつつも、彼女の声は楽しげな雰囲気を纏っていて。
だからあえて何も言わず、濡れたコートをハンガーに掛ける。
……ふと鼻腔を掠めた、空腹感を誘う匂い。
釣られてキッチンを覗いてみれば、揚げたてのポテトを小皿に盛り付けている七瀬の姿がある。
俺の気配に気づいて、彼女はパッと顔を上げた。
目が合うと、お疲れ様、と微笑んでくれる。
早坂
遥
遥
早坂
早坂
遥
遥
七瀬は振り向き様にそう告げた。
瞬間、ふわっと掠める甘い匂い。
シャンプーの残り香が、彼女の存在をより際立たせているように感じる。
・ ・ ・
俺と七瀬のシフトは被ることも多い。
ただ時期によってはすれ違うこともある。
そういう日は大抵、七瀬の方が帰宅が早い。
一足早く部屋に辿り着く彼女は、俺が帰ってくる前に夜食を用意してくれるようになった。
居候する代わりに飯炊きをしてほしい、そう言ったのは俺だけど、あれは部屋を出ていこうとする七瀬を引き留めるために発した言葉であって、本意じゃない。
七瀬は怪我を負っている身なのだから、そんな事はしなくていいと思っていた反面、ここまでして貰えることに優越感も抱いていた。
帰宅すれば部屋は暖かくて、彼女の手の凝った料理と酒が待っている。
もちろん風呂も沸かしてあって、洗濯や掃除も全て済ませてあって。
こんな至れり尽くせりな状況が、嬉しくないはずがなく。
早坂
早坂
遥
早坂
要らん嫉妬を振り払い、バスルームへと向かう。
早々に入浴を済ませてリビングへと戻ってみれば、テーブルの上には手料理が綺麗に並べられていた。
七瀬特製のチーズドリア、フライドポテトに枝豆。ブラックペッパー入りのサラミ。 酒のつまみに合う惣菜が一通り揃っている。
缶ビールに浮かぶ水滴が、今にも滴り落ちそうだ。
早坂
七瀬の隣に腰を下ろせば、綺麗な瞳がぱちりと瞬いた。
遥
早坂
早坂
遥
遥
早坂
早坂
遥
遥
カラカラと軽快に笑う。
そんなの、俺だって同じだ。
遥
早坂
遥
早坂
遥
早坂
突然何の話かと眉をひそめる。
早坂
遥
遥
確かに、と思う。
互いの恋愛事情に関しては、今まで深く触れることはなかった。
俺も七瀬も、正直得意な話題ではない。
俺の場合は単純に、七瀬の口から男の話なんて聞きたくなかったから。そんな単純な理由。
早坂
遥
遥
早坂
遥
早坂
あらぬ疑いを掛けられて、少し焦る。
そんなに軽い男に見えていたのかと落胆したが、七瀬はぶんぶんと首を横に振った。
遥
遥
遥
早坂
遥
遥
早坂
遥
便利なツールにも良し悪しはある。
特にLINEは危ういツールのひとつだ。
気軽に他人と、簡単に繋がることができてしまう。
巷では浮気ツールと囁かれるほどだ。
とはいえ、必要以上に連絡を取らないなら浮気にはならない、という結論に落ち着いた。
俺と七瀬が考える浮気の境界線は同じみたいだ。
早坂
遥
遥
早坂
遥
遥
遥
意外だな、と思った。
七瀬が相手の許可もなく、携帯をチェックするようなタイプには見えなかったから。
早坂
早坂
遥
遥
遥
"青木と色々あった時期"
その部分に引っ掛かりを覚えたものの、触れてほしくなさそうな空気を察して口を噤む。
早坂
遥
早坂
早坂
論より証拠。 百聞は一見にしかず。 口で言うより、実物を直接見てもらった方が早い。
いつだって証拠が厳然たる事実になる。
遥
早坂
遥
遥
不意に飛び出すストレートな物言いに驚く。
まるで俺だけ特別だと言われてるみたいで、つい表情筋が緩みそうになる。
誤魔化すように缶ビールを煽った。
遥
早坂
七瀬を好いている人間は周りに多い。
明るくて、愛嬌も抜群な七瀬の華やかさを見ると、男女ともに友人が多そうなタイプに見える。
けれど、意外にも交友関係は狭い。
プライベートの付き合いも、ほとんどが同性ばかり。
男との接点自体がほぼ無く、あっても本部の男性社員ぐらいじゃないだろうか。
それ以前に、七瀬は異性に対して潔癖なところがある。
それは本人も自覚しているようで。
遥
遥
早坂
遥
遥
遥
肩に、ゆるやかな重みが掛かる。
俺にもたれるように、七瀬が頭を預けてきた。
甘えるような仕草で寄ってくる姿は、まるで猫のようで。
遥
遥
遥
遥
上目遣いで見上げてくる。
その瞳が心なしか潤んでいるように見えるのは、アルコールのせいなのか、俺の願望による錯覚なのか。
あらぬ感情が溢れそうになって、ぐっと息を飲む。
ベチッ、と彼女の額に一発くらわした。
遥
遥
早坂
遥
早坂
遥
ぽつりと零すと、七瀬は怪訝な顔をする。
さすがに言えない。 急に襲いたくなったとか、そういうのは。
早坂
遥
早坂
遥
早坂
早坂
はた、と動きを止める。
七瀬はこてりと首を傾げた。
遥
遥
初耳だった。
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が襲う。
つまり青木は七瀬にとって、様々な初めてを捧げた相手ということになる。
早坂
ショックを隠しきれなかった。
あんな男に捧げるくらいなら、俺が全部貰いたかった。
……なんて、変態発言過ぎて口には出せないけれど。
遥
早坂
遥
早坂
遥
早坂
遥
信じられない、と七瀬は言う。
けれど別に珍しいことじゃない。
異性の付き合い方もわかっていない学生のうちは、いざ交際が始まった途端、上手くいかずに気持ちが離れてしまうことも多い。
元カノとも、そんな理由で距離を置かれた。
一緒にいる時間が増えたことで、相手の短所が目立って見えてしまった。
欠点も含めて彼女なのだと受け入れるには、俺はまだ幼すぎた。
今は、そんな幼稚な真似はしない。
七瀬のことは欠点も含めて好きだから。
この先、嫌なところが見えたとしても、この気持ちは絶対に揺らがない自信がある。
でなければ、とっくの昔に諦めがついている。
4年越しの片想いは伊達じゃない。
1人目の元カノは……あれは論外だ。 浮気は別問題だ。
いくら未熟な学生でも、浮気が人を傷つける行為だってことぐらいはわかる。
遥
早坂
若かろうが年配だろうが、浮気する奴はいくつになっても浮気する。年齢はあまり関係ない。
遥
遥
早坂
遥
遥
俺の肩に寄り掛かったまま、七瀬は無邪気に笑った。
遥
誰と、なんて聞かなくてもわかる。
……本当に、タチが悪い。
早坂
空になった缶ビールをテーブルの上に置く。
七瀬の身体をひっぺ剥がし、その場に勢いよく押し倒した。
遥
身を強張らせる彼女の上に覆い被さって、すぐさま脇の下をくすぐる暴挙に出る。
遥
早坂
遥
涙目になりながら笑い転げ、必死に逃げようとする七瀬を押さえつけて反撃する。
成人を迎えた男女のやり取りにしては、いささか幼稚が過ぎるような気がしなくもない。
けど、さっきから煽られてばかりいるんだ。腹いせの嫌がらせ程度は許してほしい。
散々いじり倒した後に手を止めれば、七瀬はぐったりと力尽きた。
目尻に涙を滲ませて、恨みがましい視線を俺に向ける。
遥
早坂
遥
早坂
言いながら、七瀬の首筋に目が止まる。
キメの柔らかい色白の肌に、あの日受けた痛々しい痣は見当たらない。
早坂
安堵しつつ、彼女の首筋に顔を埋める。
くすぐったそうに肩を竦めても、七瀬が嫌がる様子はない。
早坂
遥
早坂
遥
遥
遥
無邪気に喜ぶ七瀬を眩しく眺める。
少し前までは、絶対に出来なかった会話だと思うと、それだけで胸に込み上げてくるものがある。
遥
早坂
早坂
遥
遥
早坂
それに関しては、身に覚えがあるだけに納得できる。
早坂
遥
遥
苦笑いを浮かべる七瀬の表情は曇りがち。
青木と物理的に距離を置いても、心に巣食う不安は消えないんだろう。
以前の彼女なら、こんな時でも強気だった。
弱い部分をひた隠し、気丈に振る舞っていた。
でも今は違う。
辛いときは辛いと、打ち明けてくれるようになった。
俺の前で素を出してくれる彼女の変化を、嬉しく思う自分がいる。
早坂
青木との話し合いの日は間近に迫っている。
嫌でも情緒不安定になってしまうんだろう。
半年以上も解決の術を見いだせていない問題に対する不安、かつて好意を寄せていた男から受けた、理不尽な暴力に対する恐怖。
それらを早く、七瀬から取り除いてやらないと。
早坂
遥
早坂
……その日はおそらく、七瀬はもう一度、青木に傷つけられることになると思う。
できれば回避したいと思っていたが、話し合いの場に七瀬が行くと決めたなら、どうしたって避けられそうにない。
けれど今の七瀬なら、絶対に乗り越えられる。
俺はそう信じてる。
その足枷になるものは、全部俺が壊すから。
遥
早坂
遥
早坂
遥
遥
七瀬はくすくすと笑い、俺の頬に軽く唇を寄せた。
今度はその唇に、自分のそれをそっと重ねる。
互いの吐息が絡み合い、甘い温度に包まれる。
――幸せだと思った。
同時に、もどかしさを感じる。
早くこの現状を打破して、ちゃんとした形で付き合いたいと願ってしまう。
早く、彼女を自分のものにしてしまいたい。
そんな自分勝手な感情を抑え込む。
遥
遥
柔和な笑顔を向けられて、胸を打たれる思いがした。
それは俺だって同じ気持ちだ。
この笑顔を守る為ならば、何でもできそうな気がした。
――きっとこの先、幾度となく苦難は立ちはだかるだろう。
でも俺達なら乗り越えられる。
根拠もなくそう信じて、もう一度唇を重ね合わせた。