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切られた、という実感は、時間差で効いてきた。
その日の夜、布団に入っても眠れなかった。
天井を見つめながら、日下部は何度も同じ場面を反芻する。
目が合わなかったこと。
声をかけられなかったこと。
“何も起きなかった”という事実。
(偶然だ)
最初は、そう結論づけた。
忙しかっただけ。
タイミングが悪かっただけ。
(俺が気にしすぎてる)
そう思えれば、楽だった。
翌日。
蓮司はやはり、こちらを見なかった。
廊下ですれ違っても、教室で視界に入っても、存在しないもののように扱われる。
(……続いてる)
偶然ではない。
胸の奥に、薄く冷たいものが溜まっていく。
(理由があるはずだ)
理由さえ分かれば、まだ立て直せる。
蓮司は、理由なく切るタイプじゃない。
――そう思い込んでいた。
(俺が、足りなかった)
一番納得しやすい答えが、それだった。
中途半端だった。
覚悟が甘かった。
一線を越えきれなかった。
(遥のことで、迷った)
その考えに行き当たった瞬間、喉が詰まる。
(……あ)
否定したくて、すぐに次の思考を重ねる。
(違う。あれは迷いじゃない)
正しい判断だった。
深入りしない。
距離を保つ。
それが“大人な選択”だったはずだ。
(でも)
蓮司の基準は、そこじゃない。
(全部、割り切れるかどうか、だ)
遥が殴られていた場面を、思い出す。
止めなかった。
視線を逸らした。
“見ない”という選択をした。
(それでも、完全じゃなかった)
心のどこかで、引っかかっていた。
それを、蓮司は見逃さなかった。
(だから切られた)
その結論に辿り着いたとき、妙な安心感があった。
(俺が悪かった)
誰かを責めなくていい。
構造を疑わなくていい。
自分の問題にしてしまえば、世界は単純になる。
昼休み。
階段裏の方から、鈍い音がした。
殴る音。
蹴る音。
日下部は、一瞬足を止めた。
(……行く必要はない)
そう思う。
いや、思おうとする。
(今さら関わったら、余計に悪くなる)
誰にとって?
遥にとってか。
それとも、自分にとってか。
(俺はもう、関係ない)
その言葉を、何度も頭の中で繰り返す。
関係ない。
切られた人間が、口を出す権利はない。
(……正しい)
そう言い聞かせて、歩き出す。
背後で、誰かの笑い声がした。
「日下部、最近静かだよな」
「まぁ、あれ見てたら正解じゃね?」
“あれ”が何を指すのか、説明はいらなかった。
(……そうだ)
俺は、正解を選んだ。
そう思わないと、
自分が“加害側にいた”ことを、
自分で認めることになる。
それだけは、できなかった。