テラーノベル
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午前の授業が終わるチャイムが鳴ったとき、遥の席の周囲は、すでに“準備”を終えていた。 弁当を出す者はひとりもいない。黒板の前に立つ教師が出ていくと同時に、私語と視線が彼へと一斉に向けられる。
教室という箱は、突然、獣の檻に変わる。だが、誰も吠えない。
むしろ静かだった。沈黙が、静寂ではなく「共有された欲望」として張りつめる。
「さっきの、“死ねばいいのに”さ……あれ、もう一回、お願いできる?」
黒板を背に、ひとりの男子がふざけた笑顔を浮かべる。だが、その笑みの裏にある色は鋭い。
遥は顔を上げ、眉ひとつ動かさずに答えた。
「録っとけよ。今度は喉潰すから」
誰かが笑った。だがそれは、評価だった。
「良いじゃん良いじゃん、今日テンション高くね?」 「壊れてるっていうより、煽ってるねー。じゃ、対応変えよっか」
すぐに背後から腕を掴まれた。
立ち上がるより早く、遥の首筋に指が這った。
「“ごめんなさい”って、言わせるまで放さない、ゲームな」
「やだって言ってんだろ、クズが」
返す言葉は鋭いが、声はかすれていた。
叫びではない。ただ、燃え残る石炭のように、じりじりと熱を放つ。
「じゃ、三人係でいこ。時間、昼休みだけじゃ足りねーけどな」
イスがひとつ蹴られる。誰かが教室の隅のカーテンを引く。
ひとりが鞄を持ち、さも「自主勉強でもするような顔」で壁際に立った。
「声、録る用。顔、撮る用。で、今日の“リアクション担当”な」
遥は動かない。
暴力はいつも唐突だ。けれど、それより怖いのは、予告された暴力だった。
襟元を引かれ、制服のボタンがはじけた。
瞬間、誰かの手がシャツの中に潜り込む。痛みではない。感覚を奪う寒さだった。
「やっぱ痩せたね? 家庭の飯、ちゃんと食えてないの?」
わざとだ。わかっていて、遥は返さない。
それを“知ってるふり”で揶揄するのが、彼らのゲームの始まりだった。
「──っ、触んな」
「じゃ、触ってないことにして。……声は録るけど」
シャッター音。
どこかでカメラのフラッシュが、小さく光った気がした。
「泣かせるだけだと飽きたからさ。今日は、どこまで耐えるか、やってみよ」
制服の裾が引き裂かれる。ほんの少しだけ見えた肌に、ペンの先が押し当てられた。
尖っていない。ただ、強く、押される。
「声、どうした。喋れよ。“お願い、やめてください”でもなんでも」
「──うるせえ」
声にならない吐息のような言葉。
けれど、その一言が、教室の空気をさらに熱くした。
「ほら、見てみ。泣きそうになっても、泣かないのがこの子の長所で短所」
「どっちかっていうと──壊しがい、あるよね」
「うん、時間かけて潰そ。……明日も昼、いける?」
「俺、放課後も」
「じゃあ、共有カレンダー更新しとくわ」
スケジュールとして管理されていく暴力。
一人の人間が、教室という空間の“カリキュラム”になっていた。
遥は、ペンを押し付けられた腹部の鈍い感触を無視して、喉奥に言葉を押し込む。
「……殺されたいのか、おまえら」
掠れた声。だけど確かに響いた。
誰かが、笑いながら答えた。
「それ、録った。次のテーマ、『逆襲のフリ』な」
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