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十月初めの土曜、保管庫前の小さな広場には、前回より少しまともな看板が立っていた。ハルミネが布を張り直し、エルドウィンが足場を固め、ノイシュタットが文字だけは無駄に美しく整えた結果である。
看板にはこう書かれていた。
《告白実況中継 匿名希望・事前確認制》
「前よりだいぶ人として成長した感じがしますね」
エフチキアが感心する。
「前回がひどすぎただけだ」
オブラスは冷静だった。
前の失敗では、ドゥシャンが応募用紙を取り違え、別人の名を叫んで広場を修羅場に変えた。あの日の教訓を踏まえ、今回は応募用紙の色分け、事前確認、読み上げ係の分担、最終承認まで決めてある。ずいぶんまともだ。まともすぎて、逆に少し寂しい気もしたが、それは誰も口にしなかった。
保管庫の壁際には花屋の一輪包み、アンネロスの焼き菓子、神社の小さなお守り風しおりまで並び、広場はもうただの空きスペースではなくなっていた。笑い声の先に買い物があり、買い物の先に別の店がある。真柄蒼司の設計が、ゆっくりと今の町へ戻ってきている。
最初の告白は、中学生の男の子だった。
読み上げ役のノイシュタットが、やけに美声で言う。
「はい、次は匿名希望。『毎朝、図書室へ行くふりをして君の家の前を通っています。怖がらせていたらすみません。好きです』」
「それは書き直させてください!」
ジョンナが即座に止めた。
会場がどっと笑う。
修正後の告白は、ちゃんと可愛らしい内容になり、受け取った相手も赤くなりながら笑っていた。次は、長年謝れずにいた兄が妹へ、焼きすぎたクッキー事件の真相を白状する。次は、旅館の若旦那が女将へ、夕食の品数をごまかしたことを泣きながら詫びる。広場は笑いと拍手に満ち、前回の気まずさはどこにも残らなかった。
ハヤは受付から少し離れた場所で、その光景を見ていた。胸元には甘い名札がある。もうそれを隠す癖も少し薄れている。
「成功だな」
隣に立ったオブラスが言う。
「うん。ちゃんと笑える」
「笑えるだけじゃない。滞留時間も長い」
「そこ、今は数字じゃなくていい」
「両方必要だ」
その答えが、少しだけ可笑しくて、ハヤは笑った。
会の終盤、ドゥシャンが進行表を持って走ってくる。
「これ、最後の一枚! 差出人不明!」
「差出人不明はだめです」
ジョンナが言う。
「でも、ちゃんと事前確認済みって書いてある」
エフチキアが紙を見る。「……ほんとだ。受け取り人も了承済み」
「誰が確認したの」
ハヤが訊くと、ノイシュタットが少しだけ目をそらした。
嫌な予感がした。
応募用紙には、短くこう書かれていた。
《今夜、ちゃんと名前を呼びます》
たったそれだけなのに、紙の白さがやけに目立った。
アンネロスが「きゃあ」と小さく叫び、エフチキアは口元を押さえ、ドゥシャンは事情もよく分からないのに何となく興奮している。
ハヤの耳だけが急に熱くなった。
「読むの?」
ジョンナが進行へ確認する。
ノイシュタットは、いつものように涼しい顔を作ろうとして、少し失敗した顔で言った。
「読むしかないだろう。確認済みなんだから」
「誰が確認したのって聞いてるんです」
「僕だ」
「自分で出して自分で確認したんですか」
「手続き上の不備はない」
広場じゅうが笑いに包まれた。
ハヤは笑えなかった。笑えないのに、逃げることもできなかった。胸の名札がそこにあるせいか、足だけは地面を離れない。
ノイシュタットは、読み上げ台の横で一度だけ深く息をした。
けれど、その先を言う直前、神社から戻ってきた子どもたちが一斉に広場へ雪崩れ込み、エフチキアが「列が崩れます!」と叫び、ドゥシャンが看板を倒しそうになり、告白は見事に中断された。
「……今の、わざとじゃないですよね」
ハヤが呆れて言う。
「町ぐるみで僕の告白を邪魔している可能性はある」
ノイシュタットは本気半分の顔で答えた。
その気障な言い方に、ようやく笑いが込み上げる。
広場の向こうでは、子どもたちが名札の匂いを嗅いで騒ぎ、アンネロスが焼き菓子を配り、ジョンナが進行表を守っている。笑いと失敗とやり直しが、今日も町のあちこちで一つにつながっていた。
ハヤは胸元の名札をそっと押さえた。
今夜、ちゃんと名前を呼びます。
その言葉は、ただの恋の合図ではない気がした。二十年前に呼べなかった名前。今、自分がようやく名乗り始めたこと。その全部の続きを、誰かが引き受けようとしている。
夕暮れの広場に、秋の風が吹いた。
倒れかけた看板をエルドウィンが立て直し、その横でノイシュタットが、今度は逃がさないという顔でハヤを見ていた。
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